ここがちがう 日本とイタリアのひきこもり

 

編集

文・マルコ・クレパルディ
共訳:マルコ・グランデッソ・ぼそっと池井多

 

 

 
「ひきこもりは、文化的側面と密接に結びついた、純粋に日本的な現象である」

と主張する人が多いが、個人的には私はいつも、

「ひきこもりは、地球上で経済的に発展したすべての国に影響を与える社会現象である」

と主張している。

しかし、世界中のひきこもりがすべて同じであるということではない。

ある国と他の国では、ひきこもりの形態に大きな違いがある。

この稿で、私は日本とイタリアにおける

ひきこもりの違いについて仮説を立てようと思う。

 

文化的原因

日本文化は、ひきこもり現象を広めるような

特に肥沃な文化土壌を生み出すのに貢献する

いくつかの要因を持っていることは明らかであり、

これは否定できない。

例えば、徹底した勤務スケジュールのために、

身体的にも精神的にも、非常に競争が激しい社会や教育の制度が背景にあり、

そこへ父親がしばしば不在である家庭に生じる隙間は、

母親の育児に不均衡を引き起こし、

息子との共生関係(日本では「甘え」と呼ばれる)を発達させ、

若者が必要とする社会的なスキルを発達させることを妨げる

過保護な態勢を生み出す傾向がある。


ここには、「いじめ」など、

特に日本人のような集団主義の社会では個人に苦痛を強いることが多いなど、

数多くの社会文化的要因が追加される可能性がある。

そして、実存的なうつ病を緩和しているための宗教的なドグマがないこと、

また出生率の大幅な減少とそれに伴う一人っ子の増加も背景にある。


私はこれらのテーマのそれぞれについて論考をあらわしているので、

ここでは詳しく触れないが、

私が研究しようとしているコンセプトは、

「文化的、社会的、家族的、キャラクターベースのひきこもりは潜在的に無限である」

というように安易な一般化に堕することなく、考察していきたいと考えている。

 

社会的自己実現の圧力

 私たちが議論したことは、ひとつひとつのことを共有している。

すなわち、私は個人的には、

いわゆる「社会的自己実現の圧力」へさらされることと、

そのときの脆弱性の増大がひきこもりの主な原因であると指摘している。

 

この圧力が発生する原因は、実際には数多く、人によって異なる。

学校からの圧力、仕事からの苦しみ、仲間からの需要(例えば、仲間に留まるためにはファッショナブルでなくてはならない、コミュニケーションができなくてはならない、スポーツができなくてはならない、など)などさまざまである。

すべては、自分の個人的な特性だけでなく、

彼らが存在する社会的、文化的、家族的な文脈にもよる。

 

ひきこもりは、社会からの撤退を通じて、

持続不可能となったこうした圧力から脱出し、

「競争」から実質的に脱退したいのである

 

イタリアと日本におけるひきこもりの違い

日本だけでなく、経済的に発展したすべての資本主義社会において、

社会的自己実現への圧力は非常に強い。


ひきこもりが数十万人といわれる日本の社会的文脈は、

確かに世界の中でも最も競争力のあるものの一つであるが、

文化的特性は単なる要因にすぎない。

私はこのひきこもり現象の排他性を正当化できない。

イタリアでも社会的自己実現への圧力は非常に強く、

ひきこもりの増加には好都合な社会的・文化的要因がすべてそろっている。

例えば、出生率の低下とそれに伴う(特にそのような圧力にさらされている)一人っ子の増加、あるいは若い世代の宗教的イデオロギーからの脱却、労働市場に参入することを困難にする経済危機、 ソーシャルネットワークの広範な普及によって悩まされたイメージ文化の爆発などなどである。


日本とイタリアのひきこもりの違いを決めるのは、まさに社会的圧力の源である。

具体的な例を挙げると、イタリアのひきこもりは、家族の中で完全に孤立しているわけではなく、両親や親戚と世界観を異にしているが、連絡を取り合っている。 逆に、日本のひきこもりは、家族との関係でも、どんな種類の関係も完全に隠す傾向がある。

 

相違の理由

なぜ、この違いがあらわれるのだろうか。

それは、文化的に、日本のひきこもりにとって両親は、

イタリアの親が彼らのひきこもりの子に対してよりも、

強く社会的圧力の源を表しているからである。


この比較は、ある国ともう一つの国との間に存在する

すべての差異に対して行うことができるが、

ある国ともう一つの国との間だけでなく、

北イタリアと南イタリアの間にも行うことができる。

実際、北部イタリアのひきこもりは、

南部イタリアとは異なる特徴を持つ可能性が高い。

 

 

結論

ひきこもりは、当初考えられていたように
日本だけに見られる現象ではなく、
世界の先進国すべてに関係している。

各国のひきこもりは、

個人的な特性や社会文化的な違いによって、

社会的圧力のさまざまな原因によって異なると判断される特異性を持つ。  (了)

  

 

<訳者註>

by ぼそっと池井多

 

 

じつは、私はイタリア語はあいさつ程度しかできないのである。フランス語の文法をあてはめてイタリア語の文章を解するという、まるでステーキナイフで魚を三枚におろすような無茶なことをしている。あとはトホホな翻訳サイト頼みである。

今回は、東京に留学していたイタリア人の文化人類学者マルコ・グランデッソ氏に、私の「無茶訳」をチェックしてもらった。その結果、いくつかの部分を校正され、そのために日本語として崩れてしまった箇所はあるものの、訳は正確になったはずである。

なおも誤訳に気づいた方などあれば、遠慮なく「ひきポス」編集部へご連絡いただきたい。

また、イタリア語に堪能で、この関連の文章の翻訳をボランティアで手伝ってもよい、という方がいらしたら、これもまた、ぜひご連絡いただきたい。

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<原文>

http://www.hikikomoriitalia.it/2017/11/differenze-hikikomori-giapponesi-italiani.html

 

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