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ピアサポートゼミナールから学んだ”理解の力”

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頼りになりたい相談者は紅葉坂を登った

 

(文・ωaτaru)

なぜ、ピアサポートゼミナールに興味を持ったのか

一番最初に興味を持ったのは、私がまだどこの支援施設や居場所にも行かず、ウェブの世界にしか自分の居場所を見つけられなかった30代になるかならないかの頃、ウェブ上で引きこもり大学が紹介されている記事を読んで興味を持ったのが始まりです。

その頃の私の状態では、興味は持てどその場に行こうなどとは考えもしませんでした。

 

そして何年かの時が流れ、私が通っている、行政の引きこもり支援施設のチラシ置き場を眺めていたら、偶然ピアゼミ第一回目の報告会のチラシを見つけ、担当相談員の薦めもあり行ってみようと思い立ちました。

 

担当相談員は、いつも私の気持ちを理解しようとしてくれる、とても頼れる方です。私がピアゼミに来れるまでに回復したのはこの方と、心療内科の主治医の存在が大きかったです。もちろん、私の事を理解してくれている親の存在も大きいです。

 

支援施設での葛藤

職員の方たちは、当事者の気持ちがどんなものかについては、詳しくは知らなかったようです。

この文章を書く1、2年前の頃は、40歳以上の人が支援されないのは仕方ないといった反応が普通で、職員の大多数は引きこもった経験がなく、所詮他人事なのかと思ってしまい、心の中に不快な気持ちが渦巻いていました。

 

40歳で支援が打ち切られることに、何故不快な気持ちになるのか。ひきこもった人は、40歳を過ぎてから変わろうとする人もいます。

私には、40歳以降の人は、若くないので支援をして社会に出ても使い物にならないので、支援がされないのか?と、感じてしまい、それが人を物扱いしているように思えました。

 

イメージとしては、ベルトコンベアに乗った製品が、良品と不良品ではじかれていくような、

または、賞味期限切れの食品の様に人が廃棄されていくような、そんな印象を受け、嫌悪感を感じるのだと思いました。

 

支援施設での葛藤は、主に私が通っている心療内科の主治医に相談をすることで、心の整理や解決を試みています。

支援施設での年齢制限に対する不満を行政へ投書してみたらどうか?と提案をしてくれました。昨年、一昨年の2度の投書により、支援施設の対応は変わってきましたが、40歳以降の支援については、国の変化を待つしかない様で、支援職の方たちは理解してくれていても為す術なしといった所でしょうか。

私の住んでいる地域が自主的に、年代を問わず、ひきこもり支援にもっと力を入れてくれたら良いなと思っています。

  

ひきこもり大学ピアサポートゼミナール活動報告会へ行く


報告会では、色々な人が自分の思いや気持ちを語っていました。その中でも、ある方の発表が、当時の私の心の琴線にふれました。

 

その頃の私は、生まれて初めて仕事する経験をしていました。区役所の生活支援課で生活困窮者自立支援制度を利用していて、無料職業紹介というもので、初めての仕事を紹介されたのです。

パッケージにシールを貼ったり、品物を封入したりといった、簡単でそれほど多くの数をこなすものでもない、仕事に就くための訓練的な内職の仕事と、説明を受けていたものです。しかし、私にはその作業がとてもつらく、そこの社長とも性格の折り合いがあわず、家の中で内職をしながら、気持ちが追い詰められていってしまいました。

 

 

そんな時の私には、発表の中のお話で、以前の職場での辛さを「一人で戦っていた」という言葉で表現していたのですが、これが私には、とても共感できる内容だったのです。

一人で戦っていると言う言葉は、一人で物事を抱え込んでしまいやすいとも言えるのですが、私も同じように、一人で悩みを抱え込んでしまう事が多く、この方とは考え方が似ていて共感できたのだと思います。ちなみに、この方は、後に私をひきポスという場へ、たどり着くまでのきっかけを作ってくれた存在です。

 

そして、報告発表が終わった後、会場に来ていた当事者や親や支援者を含めたトークセッションが行われました。

私は、そこで話をしていて、誰かに自分の経験を話したり、相手の経験を聞く事が、自分にとってプラスになるのではないかと感じました。

私も、どんな事が出来るのかは分からないけれど、ピアサポートができるのではないかと感じたのです。

 

 

昔をふりかえれば… ひきこもり始め

私は小学4年生の冬休みの終わり頃から不登校が始まりました。しかし、その頃はまだ友達付き合いもあり、子供としての社会性もある程度保っていました。

 

小学5、6年生の時には、とても良い先生に出会え、小学6年の頃には、登校はしていないものの、生徒たちとの繋がりを保ってくれたり、修学旅行に参加できたり、当時としては不登校の生徒にとても理解がある先生でした。

 

小学校の卒業式には出られませんでしたが、5、6年生の頃に前向きな気持ちが得られ、中学校からは学校に通う様になりました。

 

しかし、中学生になると、小学生の頃とはガラッと環境は変わり、仲の良かった友達とも疎遠になって行きました。小学校5、6年生の時の様な理解のある教師には出会えず、些細な出来事でつまづいてしまい、そのままずっと学校を休んだままになってしまいました。

 

結局、中学1年の春のわずかなあいだ通っただけで、小学生の時と同じく、また卒業式には出られず卒業になってしまいました。

 

同じ年代の子が、みんな高校生になる頃、長く自分を責め続けていた、自分は学校に行っていないという罪悪感から多少解放されてきました。

しかし、その頃には付き合いのある友達は一人しかおらず、私はその友達に依存してしまいました。関係は徐々にすれ違いはじめ、お互いの気持ちに亀裂が生じ、そして関係は苦い思いと共に途切れてしまいました。

 

その頃は90年代、家族以外の人間と繋がりを無くした私はTVとゲームの世界に居場所をみつけました。ですが、新しい一歩が踏み出せない、年月や時間に追われる日々。この歳なんだからどうにかしないと、この歳なのにこんなんじゃダメだと、いわゆる世間一般の常識に合わない自分を、自分で追い詰めていく、長い長い日々。

 

ネットで見つけた心の衝動 ひきこもりからの解放

そんな常識から、徐々に開放されはじめたのは、インターネットが家に導入されてから、10年は経った頃でしょうか。

 

私は、ネットのあふれる情報の中から、自分の心が目覚め始める衝動を見つけました。ある人のコンサートに行きたいと思いました。私はその人の実際の姿に会いたいと思いました。PCから出力される画像や映像や音声ではなく、自分の五感で感じ取れる本物に会いたいと思いました。

親と一緒でしか家の外に出られなかった30代の私は、その人に会うために、一人で外の世界に出る決意を固めました。なぜなら、親と一緒では恥ずかしいからです。

そしてそれは、当時の私にとっては、幾多の困難と葛藤を経験し、乗り越えていく様な、他人にとっては小さくとも、私にとっては大きな旅でした。

そして、コンサートに行くことができた私は自信をつけ、その後も徐々に色々な場所へと赴いていけるようになったのですが、私は当時、嫌々通っていた歯医者の治療が負担になり、心のバランスを崩してしまったのです。

 

どれだけ治療をしても、歯の違和感が消えませんでした。9ヶ月間、歯医者に通い、担当の医師に、もう歯医者では治せる所はないので、心療内科に行くように勧められました。私は、どこの病院に行けばいいのですか?と、訊ねましたが、病院の紹介はできないから、ネットか何かで調べて、と言われました。その事を母に相談したら、母が通っているひきこもり支援施設で相談したらどうかと提案され、私はその支援施設で心療内科の先生を紹介してもらうため、今の担当相談員に会いに行きました。

 

 

担当相談員との出会い

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私はこの施設に、20歳ぐらいの時に一度、母と一緒に訪れたことがあります。

当時の担当相談員の方と一度だけ面談をしたことがあるのですが、その頃の私は、今よりもとても精神面が不安定で、面談の後の帰り道の辺りから、湧き上がる不安感に襲われて体がすくんでしまい、そのまま長らく支援施設には行くことができなくなってしまいました。

 

30代になって、また改めて施設に通い始めた頃の私は、歯医者での出来事もあり、人に対して疑心暗鬼になっており、心はささくれ立ち、気持ちはとても不安定でかかわり辛い人間だったことかと思います。

 

ですが、担当相談員の方はそんな私でも、面談で会えばいつも真面目に話を聞いてくれて、私を応援してくれました。そして、その頃の私が必要とするだろう場所をいくつか紹介してもらい、そこで失敗や成功を経験しながら、私は徐々に社会に馴染んでいく下地を作って行きました。

担当相談員と長く面談を重ねる内に、私の中の疑心暗鬼や心の葛藤が徐々に溶けていき、それと同時に担当への信頼感が私の心の中で徐々に成長していきました。会えばいつも笑顔で迎えてくれる、やさしいけれど自らには厳しい、そんなとても頼りにしている担当みたいな人になりたい。ピアサポートを学べば、私もそんな人に少しは近づけるのではないかと思いました。

 

2017年度 ピアサポートゼミナール

ピアゼミの発表会で良い印象をもった私は、2017年度の第一回目のピアゼミに参加しました。その時に一緒のテーブルでグループになった人の中に、報告会で発表もしていたファシリテーターの方が一人と、グループの参加者の方が何人かおりました。

そこのテーブルでは、ピアゼミで先輩にあたるファシリテーターの方が主に話をリードしていきます。私も、私のできる範囲で、グループの参加者を相手に、ピアサポーターの真似事みたいなことをしてみました。

ファシリテーターの方と参加者の方が対話をしている合間に、私は過去の自分が経験したことを思い出しながら、こうだろうか?ああだったのかな?と、霧の中に隠れた相手の心の中を手探りで探っていくような感じで、私も対話の中に、少しずつ参加していきました。 

 

ピアサポートゼミナールで学んだこと感じたこと

私は、ゼミの回数が進めば進むほど、テキストの内容が難しく、ピアサポーターになんて、なれる気がしないと思えてきました。

しかし、ピアゼミは、ピアサポーターを養成してる場ではなく、ピアサポートという概念を広めることで、当事者のための居場所を運営できる人が増えてくれたり、またはゼミで学んだことで、何か別の分野で応用したりといった事が出来ればよいものと、運営メンバーの方に教えてもらいました。

 

 

ピアゼミの特徴としては、勉強会自体が、当事者のための居場所としての役割を持っているので、長く通えば自然とゼミで仲間が出来ていきます。

ですが、運営者の方が言うには、ピアサポートとは広く浅い人間関係を築いていくものとの事なので、あまり親密な人間関係は作りにくい環境のようです。

この人間関係の長所としては、関係が浅い分、お互いに精神的に楽な所です。短所は対人関係のトラブルが発生した時に修復に手間取るといった所でしょうか。

雑談が苦手な私としては、勉強会という、話すお題目が決まっているこの環境が、居心地が良く、長く通える要因になっていました。

 

 

ピアゼミでは休み時間を挟んだ、前半と後半のセッションに分けられており、ひとグループ4、5人で、お題目に沿った対話が行われます。

対話の最後には全体共有という、グループでどんな事を話し合ったかという事を発表する時間があります。そこで私は発表をする機会が何度かありました。

最初の頃は、自分でメモ帳に書いていたものを見ながら、これこれこんな話が出ました、私はこう感じましたといった様な事を、ゼミに来た人たちの前で話すのですが、初めの頃は話すだけで精一杯でした。ですがゼミの回が進むにつれて発表方法が変わり、みんなで自分が付箋に書いたメモを大きな紙に貼り付けて、それを読み上げながら発表する形に変わりました。

この頃になると、私にも発表の時に多少の余裕が生まれてきましたが、やはり発表する段階になると焦ってしまい、中々うまく喋れないものです。しかし、何度か発表の機会を得られたおかげで、人前で話すことに対して、以前よりも自信がついた様に感じます。

 

 

ピアゼミで学ぶ中で、テキストの中に出てくる用語に、レッテルやスティグマというものがあります

当事者以外の人に私が長くひきこもっていたことを話すことがあるのですが、いわゆる一般の人に話すと、時に何とも言えぬ引いた感じの反応が返ってくる事があります。その時、私は世間から認められていない生き方をしてきたのかなと感じてしまい落ち込んでしまいます。

世間では、私ぐらいの年齢だと、働いていてあたりまえといった考え方が多く見受けられます。これが、レッテルです。私ぐらいの年齢の見た目の人は働いて普通でしょ、といった感じのレッテル。

そして、私が働いて無く、それは長くひきこもっていたのが理由だと分かると、相手は哀れみを秘めたような眼差しで、どう対応したらいいのか分からないのか、何とも言えぬ距離感を空けるようになる事が、時にあります。この時、私は相手から、ひきこもりと言う名の烙印を押されるのです。このネガティブな反応がスティグマです。

  

 

ひきこもり当事者によるピアサポートは、日本では、まだ世の中に浸透しておらず発展途上の分野です。

今、ピアゼミで学んでいるのは、生きづらさを抱えた大人たちがほとんどです。

ピアゼミで扱われる複雑な内容のテキストを分かりやすく噛み砕いて、子供たちでも楽しんで理解して学べるようになれば、ピアサポートのすそ野が大きく広がる事かと思います。

そのためには、文章や解説だけではなく、絵やストーリーを使った物語的な表現でアプローチをする事ができる人の存在が重要になってくるのではないでしょうか。

 

 

 

ピアゼミの良い所は、学んだ事に、点数で結果を出さない所です。

私は、子供のころ、学校の勉強についていけないことが、不登校になった理由の内の一つでした。

点数で優劣をつけない学びは、いわゆるおちこぼれの人を出さずにすみます。勉強をしてどれだけ憶えたかではなく、学んだことそのものに価値があるのではないかと私は思っています。

 

 

ピアゼミでは、自分とはまったく別の場所で、自分と似たような経験をした人と、普段なかなか人に話しづらいことを打ち明けたり対話をする内に、自分もそんな気持ちだったなとか、そんな経験したなといった、以前は話すのも辛かった事を、まるで思い出話を聞いたり語ったりするような気持ちで話し合えることでした。

 

テーブルで話し合う方たちと仲間意識や親しさみたいなものが湧いてくるように感じました。一人で悩んでいたのなら、ただ自分を責め続けるような嫌な記憶でも、同じ経験をした人たちと話せば、今までとはまた違った形のストーリーとして自分の過去を見つめ直すことができるのではないかと思います。私にはこれがピアゼミの対話による学びと楽しさに感じられました。

 

ある程度、ひきこもり状態から回復してきて、その上で、何かしら生きづらさをかかえていて、もがいている、そんな人たちにピアサポートは必要とされているのかもしれません。

 

昔の私、今の私、これからの私

今はそうでもありませんが、引きこもりを脱出し始めた当時の私は、恥ずかしくて自分の存在は知られたくなかったけど、誰かに自分がここに存在していて、そしてどこかに自分のいるべき場所があって欲しいという強い渇望がありました。

家に帰れば、親はいつもいるけれど、心の中は孤独でした。支援施設にいって、頼りになる相談員に出会えたけれど、それでも孤独でした。お互いを理解しあえる仲間がほしいと強く感じていました。

 

ですが、今は、けっこう仲間ができたかな?と感じています。昔の私を振り返ると、とても嬉しいことだと思います。

 

そして、いつかは、私が頼りにしている相談員から、頼りにされるような人になれたらいいなと思っています。こう思える人に出会えたことは、とても幸せな事だと感じています。

 

私は、良き人たちと出会うことで、人として大きく成長できたと感じています。

良くも悪くも、人間の心を変えてくれるのは人間です。ひきこもっている人に、支援施設や居場所が必要なのは必然で、今なおその数は足りていないと思います。

ひきこもりから抜け出すだけでも大変なのに、電車やバスに乗って遠くまで足を運ばなければならないのは、大きな負担になるという事を私自身がよく知っているからです。

理想を言えば、支援施設や居場所という閉じた空間だけではなく、社会そのものが引きこもっている人たちに理解を示してくれる事が、何よりの支援になる事でしょう。

 

 

今、私が行っている社会活動は主にボランティアをすることです。自分を人間社会に馴染ませて行くだけで精一杯なのが現状です。ピアゼミでの学びを、今後どう役立たせられるのか、まだまだ模索中の日々です。しかし、この文書を書けたことそのものが、ピアゼミでの、ひとつの成果ともいえるでしょう。

 

回復途上の私では、担当相談員から頼られるには、まだまだ力不足ですが、これからも無理せず歩んでいきたいと思います。

 

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