ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

「なぜひきこもったのか」私を10年閉じ込めた「牢獄の村」 後編・青年時代

(文・Toshi)

前回:私を10年閉じ込めた「牢獄の村」前編・少年時代

中学校でのイジメからひきこもり、外出ができない環境に置かれ、そのまま成人・・・筆者のひきこもり状態は、その後も続きました。

ひきこもったまま成人を迎える

成人しても、自由に動けるのは自室の中だけでした。

外が怖く、親も私を隠すため、カーテンと雨戸を閉め切りました。同級生が大学に行っても、社会に出ても「またあいつらが見ている!」という恐怖は、私の中に新鮮なまま保存されていました。

私が感情を表すのは、親や周囲が気にいるような、見かけだけの物。「心」のままに話し、感じることは罪だと思うようになり、嘘偽りない感情を表せた相手は、ゲームとネットだけになりました。それでも、私がどうご機嫌をうかがっても「勝手になまけてるだけ」と思われていましたが・・・。

f:id:Toshl:20180103185147j:plain

ゲームやネットは、私にとっては、都市から届くわずかな酸素でした。月の光もそうかも知れません。でもその酸素と光は、私の心を満たすには少なすぎました。

子供が「お人形」で無ければ気が済まない親

母は、いまも私を「お人形」だと思っているのでしょう。

小学生の時からそうでしたが、 母の言った通りにしなければ「誰からも相手にされないよ!」と言い、いい子に振る舞うことを教えられました。そして言う通りにすると「おかしいよ」と友達に言われ、私は強情になりました。むしろお人形になったことで嫌われた。

年末に帰った時、母は当時のように、すごい勢いで私の部屋に入ってきました。気分を高ぶらせて服を押し付け、「身なりも考えかたも、すべて私の言う通りにしなければ誰からも相手にされないよ!」と叫びました。「なぜ、この高ぶる善意が通じないんだ!だからお前はひきこもったんだ!」と言わんばかりに。

父は「人間ってのはな、老いた親を子供が助けるんだぞ。そうするのは人間だけなんだぞ」と、私に言いました。でもそれは人間扱いされなかった場所で、一つも助けてくれなかった物のために、しなければならないことなのでしょうか?

家族には、一度でいいから、私の育つ場所に「牢獄の村」を選んだことを間違っていたと認めてほしかったです。しかし、その言葉を聞くことは一生、出来ないでしょう。

もう、それで良いと思います。

人間は、より高く、より遠くを夢見るものなのでしょう。でも彼らは、とっくに死んだ「いい学校、いい会社で生きている私」を夢見ている・・・。 それを私は、あらかじめ捨てないといけない環境に置かれ、生きるために必死であきらめたのに・・・。

もし今、また「牢獄の村」に帰ったら、以前と同じように、地域と家族に監視され、外に出られなくなるでしょう。

中学時代、他にも不登校になった同級生が数人いました。牢獄の村の、あのたくさんの団地と住宅の中に、今も多くのひきこもり当事者が「閉じ込められている」のかも知れません。

「ひきこもりの長期化」とは、自分で抵抗できない間に「自分は何かができる人間だと思ってはならない」と思わされる状況に置かれた結果なのでは・・・。私がもし牢獄の村にいたら、40歳でも、50歳でも、ひきこもり続けた気がします。

牢獄の村を出て、外の世界を歩く

f:id:Toshl:20180103185455j:plain

その後、あるきっかけで東京に来ることが出来ました。

悪魔の同級生がいなくて、だれも私を見ない場所で、はじめて自由に歩くことが出来ました。危険もありましたし、貧しい状況でしたが「牢獄の村」にいた時の、監視されているという思いは、少しづつ軽くなって行きました。

その後に5年間、非正規で「ひきこもっていた間を取り戻すんだ!」と、週6-7で働く無理をして、当時のイジメを受けた記憶が蘇り、医者に「就労不能」と言われて退職。また数ヶ月動けなくなりました。

もしかしたらこの数ヶ月こそ、いわゆる「社会的ひきこもり」に近かったのかも知れません。「ひきこもり経験の社会学」で言えば、LEVEL1の「友人とのつきあい・地域活動には参加している」に該当するでしょう。

すでに電車に気軽に乗り、自分なりに本も読み、対人経験も得て、いろいろな場所に行ける。「牢獄の村」にいた時とは別物の状態でした。そして自分からネットを使って、「ひきこもり当事者活動」に行き、当事者仲間と出会い、人生で最も有意義な時間を過ごし、今につながっています。

結果的にひきこもり当事者として出会った人たちは、自分の人生に強い意味を与えました。そして「心のままに、過去の経験を話していいんだ」と、もうウソをつかなくていいんだと思えました。そんなふうに私に力をくれた「ひきこもり当事者活動」に関わり続けるため、住居を横浜に変えて、週4回ほどの一般就労で生計を立てつつ、運営の手伝いをしています。

「自分の心」を持つことが許される世界

きっと「牢獄の村」に戻されなければ、どうにか歩めるような気がします。それは今の私が、心を持つことが許される世界にいるからでしょう。

f:id:Toshl:20180103185550j:plain

私はもう『牢獄の村』には、何があっても帰ることはありません。

でも、あの恐ろしい世界と『ついに諦めるしかなかった』結末を思うと、そして、あの村で多くの人がひきこもっているのだろうと思うと、悲しくて、いきなり泣いてしまうことが増えています・・・。