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語っているのは誰か ― 全国ひきこもり当事者ネットワーク、NPO法人Nodeの「総意なき船出」

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「node」には、組織などの「中心点」のほかに
綱などの「結び目」といった意味がある。写真・Pixabay

 

 

文・ぼそっと池井多

 

 

違和感の始まり

2018年5月7日に行なわれた、全国ひきこもり当事者のネットワークを目指すNPO法人「Node」の設立記者会見に先立って、設立の「仕掛け人」を自称する佐藤啓プロジェクトリーダーと、私、ぼそっと池井多は、4月27日から5月2日にかけて、3往復にわたる意見交換をおこなっていた。

 

発端となったのは、4月25日のNHKニュースである。
佐藤氏がNodeを代表する者のようにインタビューに答えていたことが、私の違和感をそそった。


なぜ当事者でない方が、まるで当事者を代表するような発言をおこなっているのか」

 

当事者という立場は、当事者主権ということがしげく言われるようになってから、発言において特権的な力をもつ。また、そうでなくてはならない。それは、当事者が社会的弱者であるかないかと関わりなく、言えることである。


それだけに、当事者でない者が、当事者であるかのように社会的に発言することは、たとえば2011年東日本大震災のあとの被災地支援活動などにおいて「当事者憑依(ひょうい)」などと呼ばれ、厳しく戒められたものである。


4月25日のNHK報道については、Node内部の理事から、「当事者でない者を、当事者を代表する者であるかのように報道したNHKの側に問題がある」などとする声も出た。


もし、NHKの一方的な裁断によって、佐藤氏を当事者のように仕立て上げたのだとしたら、それは大変なことである。しかし、その場合は、Nodeの側にNHKへ抗議する義務があると思う。NodeがNHKにこの件で抗議したという話は、私は聞いていない。


私は、自分がいだいた違和感をインターネット上に表明させていただいた。すると、他の当事者の方々からいくつかのコメントが寄せられたあと、やがて佐藤プロジェクトリーダー自身から私へメッセージが届いたのである。


それを皮切りに、私たちは3往復におよぶ対話をおこなった。
詳細は、私が主宰するぼそっとプロジェクト(*1)のブログで、ほぼ全文がごらんいただけるが、その中に以下に抜粋するやりとりがあった。
文中敬称略、太字・( )内は筆者が補ったものである。

*1: 当事者活動を考える(4)

「全国当事者連合会」は何のために

ぼそっとプロジェクト ブログ   2018.04.27

https://blogs.yahoo.co.jp/vosot_just/66039257.html

 
佐藤(プロジェクトリーダー)Node全体の意思として、今回のぼそっとさんのご意見にきちんとお答えすることはしたいので、そのためのオープンな議論の場として、ひきポスの取材にて行うということでどうでしょうか、という提案をした、というつもりでした。
ぼそっと池井多 Node全体の意思」なるものが、存在する日は来るのでしょうか。
さらにいえば、発足する5月7日までに
「これがNode全体の意思だ」
といえるものが形成されるのでしょうか。

 

私がここにこだわった理由は以下のようなものである。


もしも、「Node全体の意思」もしくは「Nodeの総意」というものが確立できるのならば、私が指摘する「当事者憑依」という問題は、それだけ重要ではなくなる。Nodeの誰でも同じことを言うことが保証されているならば、発言した佐藤氏が「当事者ではない」ことは、そんなに大した問題ではなくなるからである。
しかし、「Node全体の意思」もしくは「Nodeの総意」なるものは、そんなに簡単に確立できるものだろうか。私はこれに否定的だったのである。 


ひきこもり当事者からの発信は、容易に「われわれは」という一人称複数で語れない。

当事者とは多様なものであり、いかなる当事者も、当事者全体を代表できない
 という、哲学的ともいってよい、一つのテーゼがあるためである。

 

こうして私は、「Nodeの総意」なるものを想定することに疑念を抱いたまま、5月7日のNode設立記者会見に出席することとなった。
そこで、このような質問(*2)をさせていただくことになる。 

*2.全文は

NPO法人Node設立記者会見 全文<後篇>

Hikipos  2018.05.09

http://www.hikipos.info/entry/2018/05/09/060000

 

ぼそっと池井多 今日、こうしてNode発足の場を設けるに際して、「Nodeの総意」というものは確立されたのでしょうか?

 

各理事たちからのご返答は、以下のようなものであった。

林恭子(副代表理事) 今日の資料にもある「目的」は、(Nodeの)総意だと思っています。(……中略……)「支援」という言葉が適切か分からないのですが、サポートし合うものにして行きたい。そこでは総意が取れていると思っております。
森下徹(事務局長 理事) (Nodeの)総意というのはなかなか難しいというのが正直な所です。(……中略……)これから皆さんと他の経験者が交流したり、いろいろやっていく中で、だんだん確立して行くかと思っております。
割田大悟(理事) Nodeの総意」という物に、カッチリ全てをはめなければいけないのか?と言うと、「そうではない」と思っています。それぞれの特性を活かしながら、つなぎ目としてのNodeの役割を果たせる。それをどこまで出来るか、皆さんに注視していただければと思います。
下山洋雄(理事) 総意が取れているか、取れていないかと言うより、みんなで分かち合って、色々なアイディアを出して、繋がっていく。
川初真吾(理事) そういう意味では、僕は「総意は取れていない」、というのと、「取れていないからこそ良い」という風に、現時点では考えております。今のメンバーは、各地で自分たちの活動や場を持っている。あくまで現時点では、まだまだと言うか、自分たちの活動に軸足を置いて、その足でNodeという場に参加していると、僕は思っています。

 

結局「Nodeの総意」というものを、佐藤プロジェクトリーダーほど前向きに語る理事はいなかったのである。割田理事、下山理事や川初理事のように、「Nodeの総意」が成立していないことに、むしろ価値をおくとも受け取れる発言があったことは、特筆に値するといってよいだろう。 

 

「結び目」が全国に結ぶもの

理事たちの発言を総合すると、

「Nodeとは、これまで各地でおこなわれてきたひきこもりの当事者活動を全国的に統一する機関ではない」

という認識のようである。

それでは逆に、Nodeの設立によって統一されるものは何だろうか。

 

それは、もしかしたら、ひきこもり当事者たちの「内」には存在しないのかもしれない。もし存在するとしたら、それは「外」ではないか。

すなわち一般社会という「外」が、私たちの「内」……「ひきこもり界隈」と通称される、このひきこもり当事者・経験者・支援者などから成り立つ、漠然とした社会集団へ向かって持つ「印象」である。

 

たとえば、行政という、ひきこもり界隈の「外」にあるものからすると、一説には全国で150万人とも言われ始めた「ひきこもり」という人口層は、表に現われないという特性をもつために、実態や意向が把握しにくい。

そのために、これまで行政は、ひきこもりに関して「ひきこもりとは39歳以下である」、「結婚している女性はひきこもりではない」などと、数々の現実離れした認識を示し、ひきこもり当事者たちから批判されてもきたのである。

そこでNodeのような機関が設立されれば、行政にとっては便利であろう。たとえば関係官庁の担当官は、Nodeの意向をうかがえば、「ひきこもり当事者の意向もちゃんと聞いた」と言えるようになる。

 

体験が独自であるがゆえに当事者

しかし、一人一人のひきこもり当事者としてはどうか。

頭上はるかに高い所で、まったく知らないうちに、Nodeと行政担当者のあいだで意見交換がなされたとしても、個々の「自分」という当事者が「行政に意向を聞かれた」という実感は、おそらく生まれない。

それどころか、いつのまにか自分も中へ含められた「ひきこもり当事者の意向」が、Nodeによって行政へ伝えられたことになってしまう、ということも起こりうる。「オレはそんなこと言ってない」などと言ったところで、たかがひきこもり一人のつぶやき、誰にも相手にされないかもしれない。

 

個々のひきこもりの事例は、それぞれに個別であり、独自だ。

私自身、「ひきこもりが始まった時には、すでに両親の家を出ていた」「二十代をおもに『そとこもり』で過ごした」といった事実の数々があるために、ひきこもりという社会的マイノリティの中で、さらに一種のマイノリティ性を感じる時もある。また、そのように独自なひきこもりの態様がすなわち私の当事者性であるということを、痛切に認識せざるをえない。

このようなことは、具体的な詳細がちがうだけで、個々のひきこもり当事者が皆、それぞれ感じていることにちがいない。

こうしてみると、

「当事者は、体験(eXperience)してきたことが個別であり独自(Unique)であるがゆえに当事者である」

とさえ言えると思うのだが、当事者の「連合会」になったとたんに、当事者性が持つこの側面が、一挙に空無化されるということはないだろうか。

 

Nodeの側は、けっして全国のひきこもりを代表するつもりはないだろう。しかし、いくらそうであっても、全国ひきこもり当事者のネットワークを標榜して設立した以上、いつのまにか「外」によってNodeが全国のひきこもりの代表と目されていく可能性は十分すぎるほどあるのだ。

「外」からみれば、今後Nodeから発信されることは、とうぜん「Nodeの総意」によって発信されていると思われる。それどころか「全国ひきこもり当事者の総意」であるとさえ考えられるのではないか。

 

ふたたび、語っているのは誰か

記者会見によれば、Nodeはやがて、政策提言などもおこなっていくのだという。そのとき、その提言を「語っているのは誰か」という問題が出てくる。

なされた政策提言によって、行政が、政治が、動いていくことだろう。すると、Nodeの内側や、あるいはNodeに近い位置にいる当事者のほうが、同じ当事者でも、行政に対して影響力をもつようになる。そこに一つの権力構造が生まれるのである。

それは、今回Nodeの理事になられた方々が「人間的に誠実」かどうかといった問題とは、あまり関係なく起こりうる変化だと思う。そのときに、私たちはどう対処すべきか。

これまでひきこもり界隈は、良し悪しを別にして、とかく政治とは無縁に過ごしてきた。しかしこのたび、「圧力団体」というと言いすぎであるが、国の政策に影響を与えうる団体が出現したことによって、ひきこもり界隈にはにわかに政治力学が発生していくことになるのである。

Nodeにつながっている全国区の当事者会と、つながらず草の根で泥臭く活動している当事者会とのあいだに乖離が生じ、ひきこもり界が上下に二分していくパターンも考えられる。近日、聞かれるようになった「ひきこもり界隈の階層化」という声は、こうした展開を危惧しているのではないか、と私はとらえている。

 

「きつく統率する」となると、全国の当事者から反発がくる。

「ゆるくつながる」となると、団体が存在している意義がうすれていく。

そのジレンマの中で、支援産業への仲介機関となることなく、錚々たるゲストを招いたイベントを打ち上げてお祭り騒ぎで終わっていくのでもなく、どのようにNPO法人Nodeが今後の進路をとっていくのか。

一人の当事者として注視していきたいと思う。