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「主権」をめぐる小さな歴史 当事者憑依が起こるわけ

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「1970年代 信号を待つ人々」 写真・柄松稔

文・ぼそっと池井多

 

 

人民主権

国際政治とひきこもり生活は、密接につながっている。


私はいつも、そう考えている。
だから、ひきこもりに対して、
「もっと外へ目を向けろ。外には広い世界がひろがっているぞ」
というお説教は意味をなさない。
なぜならば、彼はひきこもることによって
世界情勢に参加しているかもしれないからである。

米朝首脳会談の実現で、北朝鮮社会が「独裁者主権」から「人民主権」に変わっていくかどうかが注目されている。
この、主権という概念の上から下への移行は、
じつは私たちひきこもり当事者たちにとって、大きな意味があると思う。
それをコンパクトに振り返ってみよう。

 

 

国民主権

約70年前、日本国憲法が施行されたことによって、
一般の日本人は初めて
国民主権
という語と出くわした。

それまでの日本人にとって
主権とはあくまでも天皇という、「上」にいる存在が持つものであって、「国民が主権を持つ」などという発想は、とんでもない、ありえないことだったのだ。

だから当初、日本人は「国民主権」という考え方に
戸惑いながらも湧き立ったことだろう。

しかし、それから歳月が経ち、
戦後の高度成長を謳歌するようになって、
国民主権は当たり前のことになっていき、
日本人の日々の暮らしの中でインパクトが薄らいでいった。

いまさら改めて「国民主権だから…」などと
日常生活のなかで話す人もいなくなった。
たとえば私が子どものころは、そういう時代だったのだと思う。

国民主権という語は使われなくなったが、
それでもやはり日本人にとって
「おかみ」という概念は根強く残っていた。
行政や公務員は一般の民草よりも「上」にあるものであり、
「親方日の丸」「護送船団方式
などということもしげく言われていたものである。

 

市民主権の時代

1990年代になると、
バブル経済がはじけて、
それまでの価値体系がくずれた。

人々はお金を使わない地味な価値の探求にめざめ、

「……する市民の会」

といった名称の団体が多く結成され、
「市民主権」「市民運動
といった語が多用されるようになった。

もちろん、1960年代など、もっと以前から
「市民」という語は政治的な主体として使われてきたわけだが、
1990年代になると、
それが「反体制」といった突起をさほど感じさせず、
私たちの日常生活にしっくりあてはまるマイルドな形で
使われるようになっていったように思う。

それには、やはり世界情勢として東西冷戦の終結が、
遠くから影響しているのに違いない。

ところが、「市民」という語が、
あまりに多用されるようになったため、
やがてそこに一種のうさん臭さがまとわりつくようになっていく。

市民という存在の実態は、じつに多様だ。
だから、何にでも発信主体として「市民」が使える。

すると、かえって「市民」という発信主体の訴求力が失われていったのであった。

 

当時の映画には、
「市民」という漠然とした存在が正当化されるあまり、
暴力団ですら自分の要求を通すのに
「これは市民の声や!」
などと叫ぶシーンが見られたりする。(*1)

*1.伊丹十三監督『ミンボーの女』1992年

 

 

こうして「市民」は、
始まりにおいて持っていた「正義」の響きを失っていく。

「市民」という言葉へいだかれた嫌悪の感覚は、
今日つかわれている
プロ市民
といった語などに残っていると思う。
プロ市民」などと呼ばれて、喜ぶ人はいないのではないか。

 

このようなプロセスを経て、「市民」というと、なにやら
切実で「ぶざまな」問題は何も自分の中にかかえておらず、
品行方正にして公明正大な毎日を過ごしており、
休みの日に家族でショッピングモールで
和気あいあいと買い物を楽しんでいる人々のような像が
定着していったように思う。

少なくとも、私はそういう意味で
「市民」という語をとらえている。

だから、私は自分を「市民」だと思っていない。
「当事者」である私にとって「市民」とは、
河の向こう岸で優雅に暮らしている、まぶしき人々である。

そして私が「市民」になるときには、
それは「なりすまし」である。


もちろん現実的には、市民だって
ぶざまな問題はかかえているのにちがいない。
身に迫って訴えたい問題はあるにちがいない。

しかし、どうも市民が訴える問題というと、
原発廃止運動」とか
「アフリカの飢えた子どもを救え」とか
「動物愛護」とか
「贈収賄禁止」とか
何の批判も浴びる恐れのないような、
どこから見ても100パーセント正しくクリーンなことのような、
自分の身に火の粉が降りかかってこないと見えるような、
人道的で理想的で無難な課題に限られているイメージがある。

もちろん、いま私が例として挙げた課題の数々も、
その最前線、その現場は、激しく批判も火の粉も浴びまくりなのであろうが、
いわゆる一般「市民」の皆さまは、
そこまで深入りすることなく、
平穏な日常生活のなかでディレッタンティズムの一環として
そういう運動に末端だけ軽くかかわっているイメージがある。

 

「市民」の皆さまがそうだ、というのではなく、
私が「市民」という語に感じる響きがそうだ、というわけである。
おそろしく主観的な話をしているので、
むりに共感していただく必要はない。

 

しかし、まかりまちがっても
「自分自身の生きづらさ」
などという、
表面的には「甘ったれた」ととらえかねない問題を中心にすえて訴えるのは、やはり「市民」という主体ではない語感がある。

 

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直接民主制が行なわれているスイス山奥の村
撮影・ぼそっと池井多(1991年)



当事者主権の時代


そこで「市民」に変わって、
しだいに社会の表に出てきたのが「当事者」である。

ふしぎなことに、西洋諸語には相当する語彙がないものの、
「当事者」も「市民」と同じように、
かなり以前から使われてはいた。

しかし、こんにちほど存在を主張する語として
「当事者」が出てきたのは
やはり2000年代に入ってからではないか。

それまでの専門家への崇拝を排し、
問題をかかえた社会的弱者のための「当事者主権」は、
このように定義される。

当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれも-国家も、家族も、専門家も-私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である。(*2)

*2.中西正司・上野千鶴子『当事者主権』岩波新書, 2003年 P.4

 

 

 

しかし、この高らかなる宣言は、
やがて新しい「正義」の響きを帯びるようになっていく。

ほんとうは、社会的弱者にかぎらず、
人はみな何らかの当事者性を持っているものだと
私は想像するのだが、
社会的にめぐまれた立場にある人は、
自分の当事者性をうったえることによって、
かえって損なわれるプライドを持っていることが多く、
あえてそのリスクを取ることが少ない。

最近、経済評論家の勝間和代さんが
同性の恋人を持っている事実を公表したことが、
あれほどニュースになるのは、
そうした傾向の裏返しであるために目立ったからに他ならないのだろう。

 

そのため、必然的に「当事者」を名乗る者は、
たいてい社会的弱者であるかのように考えられる傾向が
2018年現在の日本にはあると思う。

「あらまあ、あなたは当事者なの。たいへんねえ。かわいそうね」

といったように。

ともすれば「被害者」「貧困者」という語と同義であるような錯覚もその延長に発生していく。

しかし、「被害者」「貧困者」という語にしみこんでいる
受け身で弱いイメージではなく、
「当事者」という概念には、
自分の特性を正面から社会にうったえていく
一つの強さが宿っている。

 


当事者憑依が発生する構造

こうして当事者という立場が、
2000年代以降の日本における発言において特権的な力をもっていった。
すると、その特権にすべりこもうとする
「当事者ではない者」が現われるのだ。

 

こうした現象に、私は強く「経済」を感じる。

「利益を取る」という動きは、どうしても経済になる。

 

当事者の声にことよせて、
自分の主張を社会に押し出そうとする
当事者でない人たち。
当事者が乗り移ったかのような、熱っぽい口調。

「みなさん、知らないかもしれないけど、
当事者はみんな、こう言っているんですよ」

といって、当事者のいないところで演説をするのだが、
なんのことはない、その主張は、
その人自身の自己実現であり欲望充足なのである。

 

その人自身が当事者であることの「みじめさ」を味わうことなく、
その人でない人が当事者であることの「うまみ」を享受している。

 

「当事者憑依(ひょうい)」
という語は、こうして生まれた。

 

1990年代に、なんでも
「これが市民の声だ」
といえば正当化されたように、
「これが当事者の声だ」
といえば正当化されるような2010年代の社会の空気から生まれたものともいえるだろう。


こういう憑依者たちを、当事者が批判するのは、むしろたやすい。
しかし、憑依者たちは、ある意味、賢い人たちであり、
当事者性というものの弱点をうまく突いているのである。

 

その弱点とは何か。

「当事者は、他の当事者たちを容易に代表しない。代弁できない。」

 

政体にたとえると、当事者の世界では、
選挙区ごとに代議員を選出して中央議会に送りこむような、
間接民主政治が機能しない。

望ましいのは、すべての選挙民が議会に参加する、
たとえばスイスの山奥の村のような直接民主政治であるが、
そもそもひきこもりとは部屋から出てこない人々だから、
それも実現しない。

それに、日本のひきこもり人口は150万人ともいわれるようになり、とてもではないがスイスの小村のようなわけにはいかない。

こうして当事者たちが代表を出せない仕組みを自分たちの世界に内包しているために、
当事者でない人が当事者の代わりに「代弁する」のを、
許してしまう構造がある。

 

主権在民の思想は進化して、
国民、市民、当事者と主権の在り処が下りてきた。
この「代表」「代弁」について、
当事者主権をうったえる私たちは
今後ともよく考えていかなくてはならないだろう。

(了)