ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

ひきこもりマウンティング Ⅱ

f:id:hikipos:20180602112808j:plain

(著・ゆりな)

私がマウンティングしているのなら、他にも

 

「自分は人より、ましな引きこもりだ」と思っている参加者がいるのではないか

 

そう思った途端、思考が止まり、体が震えた。

 

今日、誰かとアドレスを交換して、連絡を取り合うことになったとしても

 

「どこかで悪口を言われてるかもしれない。」

 

「悩みの共有の果てに、交友関係の上下が待っているなら、いずれ"私が下"になる。そして悩みは大勢に嘲笑われ、自我が潰れて、結局これまでと同じ、二の舞だ。」

 

直感が、先の見えない未来を想像させた。

 

そして現状のこじれた人間関係と、会場にいる初めて出会った人の人格とがリンクしたすえ、

 

「自分のダメな所をこれ以上自覚したくない。恥さらしはもう御免だ」

と脳は限界を迎えた。

 

そうして汚い感情の整理はつけられぬまま、私の、会への足は遠のいた。

 

ひきこもりの集まりでさえも、誰かより優位でいたいと思うのは

私が、「女」だからなのか。

 

時の経過の中で、漠然と考察していた。

 

 

そして、その答えを求める気持ちは、別の集まりを探す原動力となった。

 

1つ1つの当事者会の雰囲気は様々で、

運営する方の人柄が会の空気を決めていた。

 

色んな会に継続的に顔を出すなかで、気付いたことがある。

それは、当事者に男性の割合が多くなった時、男性同士の会話には「誰が上で、誰が下」という隔たりがあまり感じ取れなかったということだ。

引きこもり経験のある男性の多くは、「自分」というものをしっかりと持っていた。

 

興味のあること、好きだと思うことを

ためらわず楽しそうに人に伝えている姿は毎回、印象に残った。

 

その人が正しいと感じることを、思うままに行動し、コミュニケーションをとる様は、私の目に羨ましく映った。

 

そして、その羨ましさを覚える根元には、私に欠けているものがあることを教えてくれた。

 

 私は好きな事柄も、好きなものを好きと言える自信もなかった。

物事を好きだと言えないことは、感情を抑圧し、本心を見て見ぬふりすることになる。 自己を無視することは、自分も、他者も大切に出来ないことにつながり、関わりを持った人をはじめとして、無差別に"苦しみに対してランク付けしたい衝動"が暴走を始める。

 

 

・「女性はマウンティングをしている」という潜在意識

・尺度を持たずに「自分がない私」として生き続けてきたこと

 

この2つが重なったことで、自己愛が歪み、極端に"人の上に立ちたい"という気持ちが強くなって表れていることに気付いた。

 

 

もしあの場に、同じ感情を抱いている人がいたとしたら……

今後、私が当事者として活動に長く関わり続けることで、人間関係の悩みにさらされる機会が増えると思うと怖くなる。

 

 人が集まれば集まるほど 当事者会というものが"一般化"し、マウンティングしようとする人数が増え、その思考が蔓延化する。

それが原因となり、いずれ、当事者本人の足を運びにくくするのではないかと、ふと思った。

 

本当に人との接点を作らないと生き延びていけないような人ほど、

このマウンティングの中に埋もれ、窒息して、

この世からいなくなってゆくのではないか。

 

それが頭をよぎった時、

自分を大事に出来ないことでわき上がった感情が

知らずに人を殺していないだろうかと

私は後ろを振り返らずにはいられなくなった。