ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

ワケあり女子のワケのワケ⑭ 「家族」って何だろう〜祖母・伯母と暮らして

f:id:wakeali_joshi:20180906042312j:plain

(福井の田んぼ。そろそろ収穫の時期。(写真:友人提供))

こんにちは!ワケあり女子です。

台風がひどかったですね・・・みなさまご無事でしたでしょうか。
私は無事元気に過ごしております。
実家に慌ててLINEしたら「屋根ぶっ飛んだ」と言われ、
本気で心配したら「嘘ぴょん」と言われました。
嘘ぴょんて・・・てか、この状況でその冗談通じねえよ・・・さすがわが母上でございます。

そんなワケで、「ワケあり女子のワケのワケ」、今週もお楽しみください!

www.hikipos.info

 (これから記述するひきこもり期、おもに15歳から18歳頃までの出来事については、
 本人の記憶が曖昧なため、時系列など一部正確でない可能性があります。)

下宿から居候へ

2度目の高校1年生だった17歳の夏〜秋頃、穏やかな一人暮らし生活は突如終焉を迎えた。
例のごとく両親と高校とが話し合い、不登校改善に効果がなく、
費用もかかるので終了ということになったらしい。
友人たちとの夜遊びも何かの形で彼らの耳に入ったのかもしれない。

しかし実家に戻るのは嫌だ…と思っていたら、どういうわけか、
県内の少し離れた街に住む祖母と伯母の家に同居することになった。
いきさつは覚えていないが、伯母が名乗り出てくれたような記憶がわずかにある。
親戚づきあいは濃く、一人っ子だった私にはいとこたちと遊ぶ時間がとても楽しくて貴重だった。
祖母のことも伯母のことも好きだったし、
幼い頃からかわいがってもらっていたので、この話に乗ってみることにした。
下宿先の建物はとある高校のすぐそばにあって、
チャイムの音や生徒の笑い声を毎日聞くのが耐えられなくなってもきていた。

伯母は何年も前に夫を交通事故で亡くしていた。
眼鏡産業で内職をしながら女手一つで2人の子どもを育てる伯母といとこの住む家に、
一人暮らしをしていた祖母が同居することになった。
そこへさらに私が転がり込んだという形だ。
伯母と、2人のいとこのうち1人と、祖母と、私の計4人の生活が始まった。

 

愛情を受け入れられない?

暮らしてみて真っ先に驚いたのは、家の中に会話と笑いが途絶えないことだった。
彼らはいつも愛情とユーモアにあふれていて、常にリラックスしていて、
楽しいことがあればすぐ笑った。
というより、日常のあらゆる出来事を「楽しいこと」に変換できるのかもしれない。

誰かのちょっとしたミスとか、うっかりした発言なども、怒りではなくユーモアで受け入れるのだ。
驚いた。うちだったらものすごく母親を不機嫌にさせるからとても言い出せないようなことも、
この家の人たちはみなあっけらかんと話して楽しそうに笑っている。
誰も何かを怖がったり緊張したりしていない。

こんなに笑いの絶えない家庭なんて、「ちびまる子ちゃん」や「サザエさん」みたいに、
フィクションの中にしか存在しないと思っていた。
私も確かにその輪の中にいて、みんなと一緒に笑っているのに、どうしようもない疎外感を感じた。
愛情で繋がり合う家族の関係をどうしても信じられなかった。怖かった。
私と彼らはまるで違う世界にいるように思えた。
いつも胸がざわついて、ここは自分の居場所ではないという気がずっとしていた。

いま思えば、これはまさにアダルトチルドレン特有の悩みなのだろう。
常に緊張感や恐怖で満たされていることが当たり前の環境で育ったアダルトチルドレンは、
家庭のトラブル解決のために自分が何か努力をしなければ、
自分の存在意義が認められない、と感じてしまう。
だから何も努力をする必要のない平和で安全な環境に身を置くと、かえって不安に思ってしまうのだ。

でも当時はもちろんそんなことは全く知らずに、
ただ自分は普通と違うのだ、と思うことしかできなかった。

 

自信を取り戻す

しかしここでの生活は、人との関係性や自信を取り戻す貴重な体験でもあった。
一人暮らしで身につけた料理などの生活スキルをさっそく披露し、
内職で忙しい伯母やいとこから好評を得た。
みんなで一緒に買い物に出かけられるようになったし、1人で買い物を任される日もあった。

家庭の中で、恐怖に縛られるのとは違う形で誰かの役に立つ経験は、
健全な人間関係を学び直すチャンスでもあった。
「怒られるのが怖い」という動機で行う行為は、
その瞬間の相手の機嫌に左右されるので、一貫性がなく学びを得にくい。
安心・安全な関係の中で「この人の役に立ちたい」「喜んでほしい」という動機で行う行為は、
普遍性があるので次回につながる。
「次はもっとこうしてみよう」という創意工夫ができるのだ。

「お前は何もできない」とずっと母親に恨みがましく言われ続けて育ったけれど、
なんだ、意外となんでもできるじゃん私、と思った。

母の呪いがまた一つ解けた瞬間だった。

 

(つづく)
(著・ワケあり女子)