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やっぱり生きづらさを語るには〈現代詩〉が必要だ ~中原中也から最果タヒまで・オススメ詩人トップ5~

「ヤバい」とか「カワイイ」とか「死にたい」とか、世の中にはカンタンな言葉があふれている。けれど本当の思いは、それだけの言葉では伝えられない。時にムズカシイ表現にもなってでも、書き伝えたい思いがある。今回は、国内の〈現代詩人〉の中から個人的なオススメトップ5を紹介する。これまでに気づかなかった未知の思いが、最先端の言葉の中に見つかるかもしれない。  

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Ⅰ 20世紀を代表する日本語詩人 中原中也

秋の夜に
僕は僕が破裂する夢を見て目が醒めた
(「脱毛の秋」)

 日本で最も読まれてきた詩人の一人と言っていいだろう。1907年・山口に生まれた中原中也(なかはら ちゅうや)は、時代を越えて読み継がれている数少ない詩人だ。
 有名な詩「サーカス」は、『幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました』とはじまり、ブランコの揺れる『ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん』という印象的な擬音で結ばれる。その独特な感性は、今も愛唱される数多くの詩を生みだした。

 もっとも、繊細な詩風とは違って、私生活では周囲に迷惑かけまくりの人だった。
 学校を落第し、家族から乞われても定職に就かない。三角関係でモメては失恋して、独特な人間関係の築き方のせいで作家仲間からも嫌われた。(中也の「空気を読まない」ノリには、太宰治も犠牲になっている。)
 晩年には精神の病も経験し、結核性脳膜炎によって、30歳の若さで亡くなった。短すぎる生に、ありあまる詩才を燃やした生涯だった。 

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 中原中也の代表作には、「秋」の気配がただよっている。
 一人ぼっちの心細さに、乾いた風が落ち葉とともに吹きつける。高い空が澄み渡り晴れていても、そこには途方もないさびしさがある。
 いくつかの詩から、断片的に抜粋すると――

港の市の秋の日は 
大人しい発狂 
私はその日人生に 
椅子を失くした
(「港市の秋」)

飛んで来るあの飛行機には
昨日私が昆蟲の涙を塗つてをいた。
(「逝く夏の歌」)

あ〃 おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
(「帰郷」)

 中也の詩では「秋」の切なさが、日本的な自然描写を含んで表現されている。それは今もなお多くの読者を引きつける魅力の一つだ。
 けれどもう一つ強調したい作風に、「夏」的な熱度と息苦しさもある。国語の教科書には載らないタイプの詩で、静けさとかナイーブな心境とかでない、怒りと悲鳴による言葉がある。

わが生は、下手な庭木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
(「つみびとの歌」)

私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。
(「夏」)

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!
(「少年時」)

 「ギロギロする目で諦めていた」ってどういうことだろうか。意味としてはわからなくても、感覚としてはわかる気がする。
 中也には詩一つとってみてもいろいろな作風があり、俳句、散文詩、また訳業もある。中原中也の世界は、底知れない。

 

Ⅱ 2010年代が生んだ〈現代詩〉のエース 最果タヒ 

     ++ きみたち わ 、 わたし
の い い たいことなどちっとも わかっ
ていない。きみたち わ 、 +++ しん
でいくから、わかんなく ても い い か
もしれない。きみたち   わ、とてもきれ
い。
(『グッドモーニング』収録「苦行」)

 「現代詩」という売れない本のジャンル1位にあって、ほぼ唯一例外的に売れ・読まれているのが最果タヒだ。
 1986年生まれの最果タヒは、十代から詩を書き始め、若くして現代詩手帖賞と中原中也賞を受賞。詩集を原作にした『映画 夜空はいつでも再高密度の青色だ』(2017年)はキネマ旬報の邦画部門1位を獲得。また群馬の太田市美術館で開催中の『本と美術の展覧会』は、最果タヒの言葉がフューチャーされた展示となっている。これだけ存在感のある若手詩人は他にいない。

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 詩集は、オシャレな表紙に横書きの作品もあり、読みやすく作られている。言葉づかいもポップなもので、雰囲気としては「I LOVE YOU!」とか「君は一人じゃないよ!」みたいな軽さがある。けれど、最果タヒはその先がこわい。
 たとえば、誰かが誰かに向かって「地球上で君だけを愛している!」と言ったとする。それは良いことのようだけれど、その言葉が自分に向けて言われていないなら、言った人にとって自分はどうでもいい存在だってことになる。ドラマや歌の場合でも、「君が一番!」とか「君だけが大事!」とかが他の人に向かって言われているとき、言われていない私の価値はゼロになっている。
 最果タヒの言葉の軽さが生み出すものは、全然軽くない世界だ。InstagramやFacebookの「いいね!」や「好き!」みたいに、良いメッセージはいつでも大量生産されている。その言葉が軽くてきらびやかなほど、最果タヒの詩は「私」のむなしさを逆照射して、最低の自分を映し出す。それは自分の居場所がどこにもないのに、都会のネオンがキラキラしているみたいな、すごいキレイなんだけどすごいからっぽ、という精神状態をとらえているように思う。

 上に挙げた詩「苦行」は、耳鳴りやパソコンの文字化けみたいに、どこかが失調してしまった「私」が表れているように思う。(ちなみに最果タヒは、字句の配置の仕方が抜群にうまい。詩集でもタテ書きとヨコ書きの作品が並んでいるので、一度紙の本で読むのをオススメする。)

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 この他に、印象的だった言葉をいくつか並べると……

生きるはきたない。
生きるはけだもの。
(『グッドモーニング』収録「暴走車を追いすぎて、」)

孤独になれば、特別になれると、思い込むぼくらは平凡だ。
(『夜空はいつでも最高密度の青空だ』収録「かわいい平凡」)

生命は尊いというひとたち。愛情は尊いというひとたち。そのひとたちにとって、生きていないひとは尊くなくて、すきじゃないひとは尊くないのかな。きのうはバスにのっていて、いろんなひとが席を取り合っていた。あしたからはもうバスにのりたくない。いろんなひとの悪口の、思い合いが窓をにごらす。
(『死んでしまう系のぼくらに』収録「LOVE and PEACE」

 小説やエッセイでも活躍中。今もっとも注目すべき詩人だ。

 

Ⅲ 史上最年少で詩壇を席捲 文月悠光

 1991年生まれの文月悠光(ふづき ゆみ)は、16歳で現代詩手帖賞、17歳で中原中也賞受賞の最年少記録を持っている詩人だ。14歳で書かれた詩も含まれているデビュー作『適切な世界の適切ならざる私』(2009年)は、学校生活を生き抜く少女の痛みに満ちている。

ブレザーもスカートも私にとっては不適切。姿見に投げ込まれたまとまりが、組み立ての片肘を緩め、ほつれていく。配られた目を覗きこめば、どれも相違いしている。そこで初めて、一つ一つの衣を脱ぎ、メリヤスをときほぐしていく。それは、適切な世界の適切ならざる私の適切かつ必然的行動。
(『適切な世界の適切ならざる私』収録 表題作)

 少女は制服の窮屈さに閉じこめられ、保健室の天井を見つめ、同級生からの「いじめ」らしきものにもあう。学校の日常は多くの人が目にしてきたものだけれど、画家の描いた風景画が新しい見方をもたらすように、文月悠光の言葉が独創的な世界を作り出す。たとえば同級生に隠された上履きも、「うしなったつま先」と表現される。こういった言い方に、ハブられる体験のあてどなさが描き出されているように思う。

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振り切れないまま伸ばしておいた前髪。
ちいさな額を求め、かきわけても
そこにわたしはあらわれない。
(『屋根よりも深々と』収録「Alternative」)

上靴からかかとが
ブレザーの袖から手首が
シャツの襟からくびすじが
第一ボタンから息の根が
逃げ失せる。
(『屋根よりも深々と』収録「この世の果てることすべて」)

 私はこれらの一節に、日常生活で覚えた息苦しさを思い出す。「息の根が逃げ失せる」のも、「そこにわたしはあらわれない」と感じるような、自分自信がどこかへ消えてしまう感覚だ。
 けれど、文月悠光はそれだけでは終わらない。帰り道に電車のホームから見えた空は、案外きれいに晴れわたっているし、制服を脱ぎ捨てたら、そこには戻ってきた〈自分〉を発見できる。毎日をくぐり抜けている「わたし」の、生き延びていくタフさも描かれている。

 

Ⅳ 十代の生きづらさとの闘い 三角みづ紀

いつもの二倍悲しい夜は
いつもの二倍薬を飲んで眠ろう
(『オウバアキル』収録 「ケモノ道」)

 1981年生まれの三角みづ紀(みすみ みづき)は、現代詩手帖賞・中原中也賞・萩原朔太郎賞他を受賞している詩人だ。(当たりまえのように受賞歴を並べるけれど、めったにないことだ。)音楽活動もあり、多彩な活動をしている。

 出版のペースが早く、複数の詩集によって編まれる「現代詩文庫」のラインナップにも 、すでに『三角みづ紀詩集』が入っている。
 10冊ほどの詩集があるけれど、ここではデビュー作の『オウバアキル』(2004年)一点を取り上げたい。痛みをもって書かれた日記ように、スリリングな言葉でできている作品集だ。
 細切れながら、いくつかの言葉を抜粋すると――

カッターを握りしめ自室にたてこもった
ことがある
(「冬のすみか」)

給食の牛乳には
ケシゴムが入っていて
わたしの
花壇は
荒らされていて
低くうなる
目の高さで舞う
鬼が
笑った
(「低空」)

包丁で指を切った
止まらない血
の向こうの
肉の切れ目の断片
に私
が見えた
確かに私は生きていた
(「帆をはって」)

一通の手紙が届いた
十年来の友達から
の遺書であった
大量の薬を飲み
息絶えていく彼女
の死に際を私は克明に想像できた
(「イマワノキワ」)

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 いじめ、リストカット、自殺、オーバードーズなど、小学生時代も含めた十代の苛烈さが記録されている。現代詩の言葉としてはストレートながら、シンプルさを上回る意味の強度に打たれる。
(余談だけれど、第三詩集の『錯覚しなければ』の解説は歌手の友川カズキ。三角みづ紀の作品を称賛している。)

 

Ⅴ 自分でない自分がいる自分。 髙木敏次

うわさを信じるなら
もう少し
私をしてもよい
(『私の男』 表題作)

 髙木敏次(たかぎ としじ)は、2010年に処女作『傍(かたわ)らの男』でH氏賞(優れた新人に送られる賞)受賞。2015年に第二詩集『私の男』を刊行。本はその二冊しかなく、詩集やネット上にもほとんど情報が出ていない。紹介するには困るけれど、それでも個人的には一番オススメしたい書き手だ。
 髙木敏次の詩では、「私」であるはずの自分の存在がぼやけ、「私」が分裂する。そのことを時に困惑するのだけれど、時にどうしようもなくのんびりと散歩する。(なので読み流すのではなく、とぼとぼと、疲れた足取りの時のペースで行を読みすすめるのがいい。)

 『傍らの男』から抜粋すると――

もしも
遠くから
私がやってきたら
すこしは
真似ることができるだろうか
(「帰り道」)

海へ行くバスに乗れば
知らない人によりかかって
その人を
知っている人のようにおもいたい
そして
その人から
名前を呼んでもらいたい
日曜日の午後は
鏡に映っているが
見たこともない
私も映っている
(「その人」)

 「自分」を他者のように描いてきた詩が、特に珍しいわけではない。(ヴァレリーやフェルナンド・ペソアに思い出す作品があるし、日本でも嵯峨信之等が多重の「私」を描いている。)けれど髙木敏次の詩には、声高に叫ぶようなところがまるでない。初夏の南フランスあたり(行ったことないけど)をバカンスしているような悠長さで、のうのうと「自分」を失っている。精神の破綻として深刻になりそうなのに、「どうしようもないよなあ」という(ちょっとつげ義春の漫画的でもある)諦観で過ごしている。

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 個人的に一番味わい深かった一編「机」を、全文引用させてもらう。

  机

積極的に似ようと
職場に向かったのも
机にすわり
私と眼が合って
昨日の花火を思い出したことも
計算することは
誰にも似ないことだろうか
静かに
仕事をするふりをしていると
昨日から考えていたこと
誰かに似ようとすれば
机にすわり
計算する人がいて
私に見られていたのは
誰でもなければ
人の
にせものでもない

 

 私は、ここに描かれている「私」でない「私」のいる「私」のことを、“これは私だ”と感じる。(複雑だけども。)自分が自分でないような感覚でいながら、それを毎日のこととして過ごしていく。そんな日常を、髙木敏次の詩は取り出してみせてくれた。それは詩の言葉がなければ出会えなかった感覚で、私にとって大事な発見になるものだった。


 終わりに

 大勢の詩人が、あらゆる手法を尽くして日々詩を書き綴っている。仮に今回の五人の詩にピンとこなかったとしても、いつかどこかで「これは自分だ」と感じられるような、詩との出会いはありえると思う。これまで私は、言葉によって傷つけられて、言葉によって自分を責めてきた。それでも私が言葉に希望を失うことができなかったのは、いくつもの〈現代詩〉があったためだ。 

 
 

  引用文献
吉田煕生編『中原中也全詩歌集 上』講談社文芸文庫 1991年 ※一部を新字体に修正して表記しました。
最果タヒ『グッドモーニング』思潮社 2007年
最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア 2014年
最果タヒ『夜空はいつでも最高密度の青色だ』リトルモア 2016年
文月悠光『適切な世界の適切ならざる私』思潮社 2009年
文月悠光『屋根より深々と』思潮社 2013年
三角みづ紀『オウバアキル』思潮社 2004年
髙木敏次『傍らの男』思潮社 2010年
髙木敏次『私の男』思潮社 2015年

 

 ご覧いただきありがとうございました。 

 

  執筆者  喜久井ヤシン

(きくい やしん)1987年東京生まれ。8歳頃から「不登校」になり、中学の三年間は同世代との交流をせずに過ごした。二十代半ばまで、断続的な「ひきこもり」を経験する。「ひきポス」では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。

 

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