ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

ワケあり女子のワケのワケ⑮ 地方で精神医療に通うということ

 

f:id:wakeali_joshi:20180927002407j:plain

(福井の空模様はいつも不安定。撮影:ワケあり女子)

 

こんにちは!ワケあり女子です。

2週連続お休みしてすみません…!今日はもう、言い訳しません。

10月からは毎週水曜日の更新になりました。変わらずご愛読いただけると嬉しいですm(_ _)m

あ、あと、twitterはじめました!まだ何も書いてないですが、フォローしてもらえると喜びます!(@wakeali_joshi

そんなワケで、「ワケあり女子のワケのワケ」、今週もどうぞよろしくお願いします!

 

www.hikipos.info

(これから記述するひきこもり期、おもに15歳から18歳頃までの出来事については、
 本人の記憶が曖昧なため、時系列など一部正確でない可能性があります。)

 

内緒で精神科に通う

新たに居候することになった伯母の家はそこそこの市街地にあったので、実家と違って少し歩けばそれなりの環境にアクセスすることができた。

幹線道路に出ればロードサイド型のショッピングセンターがあり、もう少し頑張って駅前まで歩けば、商店街や病院があった。メンタルクリニックもあった。

私は「買い物に出かける」と称して、こっそりとそこに通うようになった。自分1人で病院を受診するのは初めてだった。精神科に通院していることがこの田舎で誰かに知られたらどんな偏見に合うかわからないと思い、通院時はいつも細心の注意をはらった。

自立支援医療の申請書を祖母に見られそうになった時は心臓が止まりそうになった。

もうあまり覚えていないが、物腰の柔らかな男性医師に自分の状況を一通り話した。

ロールシャッハテストやバウムテストなどの心理検査も受けた。

私は当時持っていた電子辞書にあった『家庭の医学』のメンタル関連項目を熟読していて、複数の症状から自分のことをうつ病ではないかと疑っていた。

けれど彼は決して私に診断名を教えてくれなかった。何度たずねてもいつも微妙な微笑みではぐらかされた。そして毎回出される薬が変わった。

 

理由が欲しい

それでも私は諦めなかった。『医者からもらった薬がわかる本』というのもその電子辞書にはついていたから(いま思えば大変有用な辞書である)、うつ系の症状に出される薬だとうすうす見当をつけていた。

だからなおさら、病名を教えてくれないその医師へのいらだちと不信感が募った。

思春期の精神病の診断は難しく、またむやみに病名を言わない方がいいこともある、というようなことも家庭の医学で読んでいたが、それでも自分は大丈夫だから教えてほしいと思っていた。今思えば、「学校に行けない」という自分の状況に対して、「怠けである」という以外の理由づけが欲しかったのかもしれない。

薬を飲むと頭がぼーっとして、思考力が低下するようだった。

そしてそのことにとてつもない不安と焦りを感じた。自分が今まで行ってきた「世の中に対して常に自分の問いを持ち続ける」ということが、薬のせいでできなくなっていくような気がしたのだ。

それを医師に話したら、「それでもいいんじゃないですか」と言われた。今となってはその通りだと思うが、当時はそんなわけないじゃないかと思っていた。

考えることができなくなるなんて、自分が自分でなくなるようだった。

だから薬が効果的だと思ったことは特になく、むしろあまり飲みたくなかったが、不眠対策でもらったハルシオンだけは唯一私にはよく効いた。

薬の名前まで覚えているのは、当時好きだった菜摘ひかるという作家の本にハルシオンが登場したからだ。彼女はのちに精神を病んで若くして亡くなっている。

 

窮屈な世界

ある日その医師が、私の父の名前に反応を示した。父の出身地はどこかなどと尋ねてくる。聞けばどうやら父の中学時代の後輩で、同じ村に住んでいたことがわかった。

「またか、」と思った。高校の担任も父の同級生だ。道を歩けば知り合いにぶつかるような、狭い世界に私たちは住んでいる。これ以上はもう、窒息してしまう。

私はそれまでの診療で話していた、父の不在や母のことなど、家庭の事情を話す気力を一切失ってしまった。

父と同じ村に属していた人に家のことを話すなんて耐えられなかった。都会にはあまりない感覚かもしれないが、一度でも同じ村に属していたら、それはもう「身内」に近い。身内に家の恥を晒すなんて耐えられなかった。

私は通院をやめた。

 

あろうことか数年後に、その医師は実家に電話をかけてきた。

元気かどうかが心配になったということらしい。電話を受けたのは母親だった。

最も知られたくない人に、精神科通院を知られてしまった。私はその医師を恨んだ。

私のことが心配なら、適切な支援機関などを紹介してくれればよかったのにと思う。この時抱いた、地方の精神科への不信感はいまだに拭い去ることができない。

 

(つづく)

(著・ワケあり女子)