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ワケあり女子のワケのワケ⑰ 「ニート」という言葉〜無所属の苦しみ

 

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(実家最寄りのJR芦原温泉駅。2013年頃。撮影:ワケあり女子)

こんにちは!ワケあり女子です。またも更新が滞りすみません…!身体がふたつ欲しいです。

この連載、文字数カウントしたら3万9,000字超えてました。まじやばいですね。
何がやばいって、わたし、大学の卒業論文が4万字だったのです。超えちゃうじゃん。

ところで「まじやばい」的なことを「まじ卍(まんじ)」ということを最近知りました。3万字とか、まじまんじですよね。はい、それが言いたかっただけです。

そんなワケで、「ワケあり女子のワケのワケ」、いよいよ佳境です…!たぶん。

 

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(これから記述するひきこもり期、おもに15歳から18歳頃までの出来事については、
 本人の記憶が曖昧なため、時系列など一部正確でない可能性があります。)

どこにも所属していない

高校を中退し18歳になろうとしていた私は、
「学校に通うため」という口実を失い、また実家に戻されることになった。
戻ってからも相変わらず、自室から一歩も出ない日々が続いた。
家族、特に母親へのわだかまりが一向に晴れなかったからだ。

学校を辞め、家族をも拒む私は「どこにも所属していない」者なのだと気づいて怖ろしくなった。
なんのコミュニティにも属さないまま、この先も生きていける気がしなかった。
そもそも人間は群れで行動する生き物ではないか。
どの群れからも外れた私はもはや「人間」とは呼べないのではないか。

だって自分などいなくとも世界は変わらず回り続けている。
ならば自分はこの世に存在しなくてもいいのではないか……。
そうして自分自身とこの世界に深く絶望する日々が続いた。

「死ねたらいいのに」と思った。「死にたい」ではない。
「〜したい(want to)」というのはある種の願望である。
当時の私は、死ぬことを含めた一切の願望を持つことができなかった。
脳内にあるのは「〜ならいいのに(でもできない)」という、
最初から諦めを含んだ仮定法過去形(I wish I could〜)の文章だけだった。

 

「ニート」という言葉

ある日、なぜか部屋にあったテレビを何気なくつけた。
私が世間から乖離することを危惧した親が心配して置いたのだと思う。

2004年から2005年当時は、ちょうど「ニート」という言葉が世間を賑わせはじめていた。
NEETとはNot in Education, Employment or Trainingの略で、
教育も受けず働きもせず訓練も受けていない者のことを指す、とテレビは言っていた。

ああ、それ私じゃん、と思った。
そうか、どうやら私はいま世間から「ニート」と呼ばれているらしい。
そしてそう呼ぶテレビの声はやや迷惑そうに聞こえた。

そりゃそうだ。そんな若者が増えたら社会は困るに決まっている。
そんなことぐらい、私だってわかっている。

テレビから放たれる無言の重圧から逃れようと、せめて勉強だけでもやろうと試みた。
でもダメだった。
机に向かってペンを握るだけで涙が止まらないのだ。
教科書が視界に入るだけで気分が塞ぎ込むので、
押入れの奥深くにしまい込んで忘れようとしてはまた思い出し、を繰り返した。

Amazonだけが世界との繋がり

この頃になると自室にインターネット環境とパソコンを置けるようになっていた。
携帯電話は確か解約していたような気がする。
TwitterもYouTubeもNetflixもなかった頃のインターネット界で、
まだ本屋に毛が生えた程度だったAmazonで、本や漫画・映画のDVDなどを買うようになっていた。

当時の私はとにかくコンテンツに飢えていた。
昔の田舎のコンテンツ事情はひどいもので、
テレビがあっても映るのはNHK2つと日テレ系とフジテレビ系の地方局2つ、計4局だけである。
ケーブルテレビもなかった。
最寄りの本屋や図書館まで徒歩1時間かかる。
クレジットカードなんて持っていなかったけど、代引き手数料350円なんて安すぎるくらいだと思った。
月1万円のお小遣いのほとんどをAmazonで遣っていた。
(在学中は5,000円だったのに、様々な配慮でなぜか増額されたのだ)
人の気配を日々極端に怖れたけれど、Amazonの配送だけは唯一楽しみになっていた。

「ひきこもっていた時って何をしていたの?」と今でも時折聞かれるが、
その質問に答える内容は主にこの時期のことだ。
「部屋にこもって本や漫画を読んでいた」と言えば、
いわゆる世間的な「ひきこもり」のイメージとばっちり重なるし、
人にはっきりと説明できる、目的を持った「行為」を行えたのはこの時期だけだからだ。

しかしそこまで回復するには数年の歳月を要した。
そこに至るまでには、内的世界においても外的世界においても、
言語化の難しい様々な出来事が起こっている。
それを一言で説明するなんてとても不可能だ。
だから通常は適当に端折って、わかりやすい部分だけをわかりやすく説明するしかない。
世間一般に届いている「ひきこもり」の実態は、ほんの表層でしかないとつくづく実感する。

 

(つづく)

(著・ワケあり女子)