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ひきこもり名人となった私(8)支援がお互いの不幸になるとき


 

 

 ・・・「ひきこもり名人となった私(7)」からのつづき

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ひきこもり名人 「ぼくは、これをやってほしい」
 「ここを助けてほしい」
 と言えるのが、
 謙虚なひきこもりの姿だな、
 ってぼくは思うのですね。
 
ぼそっと池井多 それは、すごく重要なことを
 おっしゃっているな、と思うんです。
 
 「これがほしい」
 って、乞食の側が言うべきだ、という論理は、
 裏返せば支援論なんですよね。
 
ひきこもり名人 うん、うん。
 
ぼそっと池井多 いま盛んにひきこもり界隈で
 「あるべきひきこもり支援」
 だとか、そういうことが議論されています。
 
 ひきこもりだけでなく、
 もっと枠を広げて「被災地支援」だとか
 「途上国支援」だとか、
 いろいろな場であるべき支援というのは議論されます。
 
 おっしゃる論理をあてはめるならば、 
 支援される側が、
 「これがほしい」
 と言っていないものを
 支援する側が差し出すべきではないし、
 「これがほしい」
 と言うことは支援される側のマナーだ、
 っていう話になるわけですね。
 
ひきこもり名人 でも、そこで、ぼくは、
 支援される側が「これがほしい」という要求を
 言っていないと思うんですよ。
 
 それをいうと、
 「ずうずうしい」
 「あつかましい」
 「もらう側が何を言ってるんだ。これよこせ、あれよこせ、なんて言って」
 ということになりますから、
 支援される側は今はそれを言っていない。
 
 言っていないから、
 必要としていないものを必要としていないときに
 支援と称して押しつけられるのです。
 
 こうして支援はお互いの不幸になるわけですね。
 
 与える側は
「これが必要だろう」
と思うわけなんだけど、
そういう認識は単なる間違いですよね。
 
そうではなくて、
必要なものを、必要な時に、必要なだけ
届けるのが真の支援であるならば、
まずは支援を受ける側が、
何が欲しいかをはっきり言うことだと思います。
 
支援する側は、
その要求をぜんぶ叶えることはできないだろうから、
自分ができることだけやればいい。
自分が与えられるものだけ与えればいい。
 
「これは、こちらに余ってる」
「これは、こちらに要らない」
と思うものだけを、支援される側に渡せばいい。
 
もし「支援」ということがあるのならば、
これくらいじゃないかな、
とぼくは思います。
 
ぼそっと池井多 なるほど。
ある意味、いまのクラウドファンディングなんかに近いですかね。
 
ひきこもり名人  たしかに近いけど、
クラウドファンディングは生臭いですね。
 
ぼそっと池井多 「生臭い」というのは、もっと詳しくいうと?
 
ひきこもり名人  「やらずぼったくり」だと思います。
クラウドファンディングというのは「ヤルヤル詐欺」。
 
あと、クラウドファンディングは、
もともとそんなにお金に困っていない人が募っている
としか思えないケースが多い。
 
ぼそっと池井多 それは、そのとおりですね。
 
 
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