ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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あれもつらい、これもつらい、全部つらい、全部全部つらい

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(文・秋久 いつか)

 

父はむかし、

「愚痴が背広を着て歩いているようだ」

と言われたらしい。

 

その父の名に恥じず、私も愚痴ばかり言っている。

体調の愚痴、昨日のできごとの愚痴、尽きることなく愚痴は湧いてくる。

 

しかし、私は決して愚痴を言うのが好きなわけじゃない。好きじゃないどころか、むしろ今すぐやめたい。喉元まで込み上げる愚痴を、グッとこらえて飲み込みたい。

でも、どうしても我慢ができない。

 

というか、正確にはこれでも『限界まで我慢している』のだ。

 

豆腐メンタル

 

私という人間は、本当に、自分でも悲しくなるほど傷つきやすい。何気ない日常の中でもボロボロに傷ついてしまう。

学生時代、バイトを始めて間もないとき、分からないことがあった。近くにいた先輩に聞くと、その人は丁寧に教えてくれた。でも最後にひとこと、

「これ、昨日も教えたよね?」

と言ったのだ。その一言で、バイトに行けなくなった。

 

加齢と共に少しずつマシになってきてはいるが、それでもふつうの人に比べたら、やはり今でも異常な弱さだと思う。

そして、そんな自分を誰よりも恥ずかしいと思っているのは私自身だ。だから必死で隠す。

 

「こんなことで傷ついていたら生きていけないよ」 

って、もう一人の私が言うから、歯を食いしばって平気な顔をする。

でも、平気な顔で生きようとしても、私を傷つける地雷はそこらじゅうに転がっている。

 

ぎゅうぎゅうの満員電車に乗ったり、初対面の人と話したり、ファミレスで私だけ料理が出てこなかったり、いつもは優しいあの人に注意されたり。ふつうの人からしたら、ストレスともよべないような些細なことだと思う。

 だけど私にとっては確かな『ストレス』であり、その膨大なストレスは、天高くつみ重なっていく。

 

一晩寝たらケロッと忘れちゃう、というような芸当ができる人もいるようだが、私はネチっこい性格なのでなかなか忘れられない。

 増え続けるストレス量に対して、その消化が全く追いつかないのだ。

 

そんな極限の状態で生きているものだから、やさしい友人に

「なんか大変そうだけど、大丈夫?話聞くよ?」

なんて言われると、もうだめである。

 

待ってましたとばかりに、お腹の底からそれは湧き上がってくる。

理性が必死にくい止めるけれど、結果はいつも同じ。

 最終的にはマーライオンのごとく、愚痴があふれだすのである。

 

どうなるんだろう私

 

やさしい友人は、そんな私に付き合ってくれる。

 

内心は、『またか・・』と思っていたとしても、ウンウンと頷きながら話を聞いてくれる。そして真剣な顔で、

「それは大変だったね」

などと言ってくれるのだ。控えめに言って神対応である。

 

そんな神対応をされると、ありがたい反面、今度は

『あぁ、また無駄な愚痴を言ってしまった』

という自己嫌悪がむくむくと湧いてきて、ものすごく落ち込んでしまう。

 

せめて、愚痴を言って『スッキリ爽快!』で終わらせればいいものを、聞いてくれた友人の努力すらも、私は無駄にしているのである。

 

きっと私は、愚痴という形でストレスを発散させているのだと思う。他にやり方がわからないのだ。

一人カラオケが良いと聞けば一人カラオケに行くし、朝の散歩が良いと聞けば朝の散歩をする(その後寝込んだ)。イライラには肉だと言われれば焼肉を食べ、癒しのダム特集という番組を観ればダムに行く。

色々と試しているのだが、あふれ出す愚痴を止める方法はいまだ見つからない。

 

「この前つらそうだったけど、あの件は大丈夫?」

「あれから体調はよくなった?」

そんな優しい言葉をかけてもらうたび、私は今までどれだけの愚痴をまき散らして生きてきたのだろうと、ただ呆然とするのである。

 

当たり前だが、愚痴を聞くのが好きな人は少ないと思うし、意図せず人を傷つける場合もある。それは分かっているのに・・

愚痴をやめたいと言いながらも、結局私は優しい友人達に甘えているのだろう。

 

この数々の愚行は、いつか自分に返ってくると思う。いやきっと返ってくる。

 ものすごく怖い・・・。

 

ものすごく怖いが、そうなった時にようやく、私は本気で愚痴からの卒業を試みるのかもしれない。