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南米アルゼンチンのひきこもり マルコ・アントニオとの対話 第3回「行政の支援に期待することは」

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写真:パラナ市庁

 

文・ぼそっと池井多マルコ・アントニオ・クリヴィオ・ベニテス

 

 

・・・「第2回」からのつづき 

行政からの支援

ぼそっと池井多  さっき、きみはこんなことを言っていたね。「ほとんどの国の政府は、自分の国のひきこもりのことなんて、どうでもいいんだ」と。

そうだね。アルゼンチンの政府は、おそらく自分たちの国にひきこもりがいるということすら知らないだろう。もし、アルゼンチン政府がひきこもり対策に乗り出すとしたら、きみは行政からどんな支援を期待するかい。

マルコ・アントニオ  わからないね。

はたして行政がひきこもりの持つ問題を解決するのを手伝えるものなのだろうか。政府は、ひきこもりが外へ行くのを助けることはできないし、他の人に話しかけるのをサポートすることもできないだろう。

政府は、仕事ができないひきこもりにお金を与える福祉事業を創設することはできるかもしれないけど、でも、もし政府が何の見返りもなくお金を配り始めたら、政府はただお金を無駄にするだけだろう。

政府は、ひきこもりが仕事や収入を持てて、税金を払い、この社会の一員となれるように、何かをするべきではあるけれど、政府に何かができるものなのか、ぼくは定かではない。

福祉制度からただでお金をもらうとなると、ぼくは他の人が稼いだお金で暮らす、この社会の寄生虫ということになるだろう。それは聞こえが悪い。

一方では、政府がぼくを外出させ、仕事をあてがい、他人に話しかけるようにできるとは思わない。

日本の政府は、その方策を探り当てているのか? 

もし、ぼくたちひきこもりが自分たちで何とかするようにしないと、政府もぼくらを助けようがないんじゃないかと思う。

ぼそっと池井多 日本では、その問題については大きな議論がある。ひきこもり支援は、いくつかの自治体や事業体で行われていて、主に相談事業と就労支援をやっている。しかし、それらは現在のところ、私たちひきこもり当事者からすると、必ずしも良く機能しているとは言いがたいんだ。行政の側でも意識の高い人たちは、より良いひきこもり支援を考えてはくれているようなのだけど。

きみは、

「政府は、ひきこもりが仕事や収入を持てて、税金を払い、この社会の一員となれるように、何かをするべきではあるけれど、政府に何かができるものなのか、ぼくは定かではない。」

という。

なるほど、と思った。ひきこもりの状態は人によって違うから、もしアルゼンチン政府にすべてのひきこもりに共通する支援を求めても、その内容は決めにくいだろう。では今、それを個別に絞ってみよう。

たとえばアルゼンチン政府の代表者がきみを訪問して、

「マルコ・アントニオ・クリヴィオ・ベニテスさん。私たちはあなたがひきこもりを脱するためには何でもします。私たちに何をしてほしいですか」

とじきじきに尋ねてきたら、きみは何と応えるだろうか。

どんな非現実的な答えでもいい。

想像力を豊かにしようじゃないか。

マルコ・アントニオ  ぼくの最大の問題は、外へ出かけられない、人々と話ができない、ということなんだ。

もし政府がぼくを助けてくれるといっても、ぼくには何をしてほしいという答えがないね。ぼくの問題は、政治や法律や数字で解決できるものではないんだ。行政はぼくに何もできることはない。

だから、ぼくは、ひきこもりたちは問題は自分たちで解決しなければならない、と言っているんだ。ひきこもりたち自身が解決できなければ、何も変わらないだろう。ひきこもりはずっとひきこもりのままだろう。

まあ、ぼくの場合でいえば、ぼくはひきこもりを脱するだろうとは思っていない。ぼくがひきこもりを脱するために、何か誰かできることがあるとも思わない。

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ロザリー大聖堂ドーム  写真:パラナ市庁

将来への不安は

ぼそっと池井多  きみの言っていることはよくわかる。多くのひきこもりは、おそらくぼんやりときみのように考えているのだろう。しかし、ふつうはそういう思考を言葉にすることができないものだ。でも、きみはできる。そこは、私はきみをほめたたえたいね。

経済的には、今は両親に頼っているんだろう。将来に関して、経済的な不安はないか。たとえば、社会保障や福祉制度からお金が得られそうだとか、何か将来に向けて希望や計画はあるの。

マルコ・アントニオ  ぼくは社会福祉からお金をもらおうとは思っていない。今アルゼンチンには何百万人もの人が福祉制度をささえるために税金を払っているんだ。ぼくは彼らに、ぼくのためにお金を無駄にしてほしいとは思わない。

最悪のシナリオでいくと、ぼくはフリーのゲーム制作者になるだろう。

ぼくはすでにコンピュータ・プログラミングのスキルは持っている。そして、いくつも手がけたプロジェクトがある。あるものは10%ぐらい、またあるものは30%ぐらいまで出来ている。問題は、プログラミン作業はおそろしく退屈で、すぐに飽きちゃうということだ。

もしぼくがお金を必要とするなら、途中でほうりだされているプログラムを完成させ、また新しいものを手がければよいわけだけど、退屈な作業だから、今すぐに始めなければならないとは思わない。

ぼそっと池井多  そういうスキルは、どこで勉強するの。

マルコ・アントニオ いまや何でもインターネットでただで学べる時代さ。プログラミング、3Dモデリング、アニメーションなどなど、ネットで学べないものがなくなった。5年、10年前に比べると、その点かくだんに便利さ。情報はたくさんあるし、ゲームを作るのに必要なソフトも無料で入手できる。だから、ゲームを作るのにお金は要らないし、外へ出かける必要もない。ただ、インターネットにつながっているパソコンがありさえすればいいんだ。

ぼそっと池井多 それはいいね。きみの場合、やるべきこととやらないことが、はっきりと見えているように聞こえる。そんなふうだと、将来のひきこもり生活に対して、なんにも恐れることはないんじゃないか。

マルコ・アントニオ  なんにも恐れることはないね。ぼくはこれからも自分の部屋にひきこもりつづけ、何でもやりたいことをやる。人生の終わりまでひきこもり続けるだろうと思う。未来を恐れていては、何も変わらないよ。

 

 
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