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異言語の地、日本でひきこもり専門医に。イタリア人初の精神科医、パントー・フランチェスコさんインタビュー 第1回

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写真提供:フラン

インタビュー・構成 ぼそっと池井多

 

 

インタビューのためのはしがき

私は当初、このインタビューを

「日本で初めての外国人精神科医、誕生か?」

というタイトルで記事にしたかった。

ひきポスの編集会議に、昨年秋から顔を出すようになった筑波大学院生(取材時点)のイタリア人、フランさんが、日本で精神科医になることを目指している、と聞いたとき以来のことである。

医学のなかでも、精神科という領域は、内科・外科といった他の領域に比べ、言語に頼る比重がとりわけ大きい。精神科があつかう病気は、言葉のやりとりによって医師が診断しなければならない部分が大きいのである。

日本語のネイティブではない日本の精神科医は、彼が日本史上初になるのではないのか。

もちろん在日コリアンの方などで、日本で精神科医になっている人はたくさんいるだろうが、日本語を外国語として学び、精神科医になった人は、日本の歴史の中で過去にいないのではないか、と想像する。

日本人の精神科医で、外国人の患者を診ている精神科医は昔からいる。また、外国人の精神科医で、東京などの大都市で、日本で暮らす外国人向けの精神科クリニックを開業している医師もいる。

しかし、日本人の患者を相手にする日本の精神科医は、これまで全員が日本語を母語としていたはずである。

だが、アメリカ、フランス、ドイツなど、他の国からやって来た、日本語を母語としないで日本で日本人相手の精神科医となっている人が「これまで存在しない」という確証が取れなかったため、フランさんの希望にもとづいて、私としては少しばかり残念ではあるが、

「日本で初めてのイタリア人精神科医の誕生か?」

と、話題のスケールを小さくすることにした。

イタリア人で、過去にそういう人が歴史上存在しないことは、フランさん自身がイタリア大使館に問い合わせて確認したそうである。

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タオルミナ Photo by Pixabay

地中海の島、シチリアの文化風土

ぼそっと池井多 どのようにお呼びしたらいいですか。

フラン 本名はフランチェスコだけど、日本人にとっては長いし、個人的に合わないところもありまして、みんなにフランと呼ばれています。

ぼそっと池井多 なるほど。それじゃあ、フラン。ご出身はどちらですか。

フラン イタリアの南、シチリアのメッシーナという町の近くです。人口24万の、イタリア本島からの玄関口にあたる港町です。
近くにはサミットも開かれた有名な避暑地タオルミナがあります。

18歳まで、メッシーナとタオルミナに挟まれた海に面した人口3700人ほどの小さな村ニッツァ・ディ・シチーリア(Nizza di sicilia)に両親と姉といっしょに住んでいました。姉とは二卵性双生児です。

ぼそっと池井多 シチリアでの暮らしはどうでしたか。

フラン シチリアの文化風土は、私にはあまり合いませんでした。
自分のような人間は、北イタリアへ行った方が生きやすいと思ったので、ローマかミラノの大学へ行こうと思いました。
高校生のころには、もう医者になりたいと思っていました。医者の一族だったわけではありません。だから、周囲から
「医者になれ」
という圧力がかかったことはいっさいありませんでした。


シチリアのような田舎では、私の親の世代では、大学へ行くのはあまり一般的ではありませんでした。
母は、10人の兄弟姉妹の中で唯一1人だけ大学へ行った人で、生物学者になりました。父は、私が大学へ進む前に母と離婚していたので、あまりぼくの進路には関わっていません。

ぼそっと池井多 シチリアはカトリック色が深い地域ですよね。
「カトリックでは離婚は認められていない」
とよく聞きますが、お父さまとお母さまは問題なく離婚できたのですか。

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シチリアの教会内部 Photo by Pixabay

フラン いちおう形式的には、カトリックでは離婚が認められない
ということになっていて、離婚する人は世間から白い目で見られたりするけど、教会が論じている教義と、実際の人々の生活は、どんどん乖離してきています。
離婚をしても、若い人たちの間では差別されることは、もうほぼありません。

ぼそっと池井多 なるほど。それで、大学はどうされましたか。

フラン ローマにある私立と国立の二つの医科大学の入学試験にチャレンジしてみました。結局、国立と私立の二つ共に合格しました。
イタリアでは私立の大学の方が優秀です。なので、学費は高いですが、成績が優秀であれば返済を必要としない奨学金がもらえます。
その点を考慮して、バチカンにあるローマ教皇庁が運営しているカトリカ大学というところへ進み、その附属病院であるアゴスティノ・ゲメリ大学病院で医学全般を学びました。
その間、6年半ぐらいローマで独り暮らしをしていました。

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バチカン  Photo by Pixabay

ぼそっと池井多 シチリアは地中海に浮かぶ、太陽のふりそそぐ島ですね。シチリアを旅行した日本人は、よく
「あのような島で、家族の絆が強ければ、
これはもう、ひきこもりになる余地もない」
といった感想を持ち帰ったりします。


しかし、私の「シチリアの娘」(*1)は、シチリアの中のひきこもりのティーンエイジャーと接触しています。シチリアにもひきこもりはいる。
フランさんは、シチリア人として、シチリアの風土とひきこもりとの関係性をどのように思われますか。

  • *1.同じくシチリアから私と記事を共同執筆しているマリアテレサを指す。以下の記事を参照のこと。

    www.hikipos.info

フラン たしかに太陽の光がふりそそぐシチリアのイメージからすると、あまりひきこもりと関係なさそうだけど、SNSがコミュニケーションの主なツールになったことで、人々のコミュニケーションの形態が昔とはちがってきました。
最近ではシチリアでさえ若者は孤立しがちです。北イタリアよりは、少しマシかもしれないけど。
シチリアにひきこもりがいると聞いても、まったく驚きではありません。

ぼそっと池井多 フランさんもシチリアに里帰りしたときに、シチリアのひきこもりの調査とか手がけたことはありますか。

フラン それはまだないんですが、ぼく自身がシチリアに住んでいたころ、ひきこもりがちな生活をしていたんです。

ぼそっと池井多 へえ、そうだったのですか!
どういう状態だったのか、詳しく教えていただけませんか。

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写真提供・フラン

シチリアでひきこもりぎみに

フラン シチリアには大都会がなくて、みんなが同じ考え方で生きていますから、彼らと同じような生活の仕方をしないと、たちまち孤立してしまうのです。同調圧力が高いのですね。
シチリアでは生き方の多様性が公に認められていません。

家族の中では父親の権力が強く、男性はこうあるべき、女性はこうあるべき、という社会的規定が強いです。

イタリアでは南へ行くほどそういう傾向がありますが、何といってもシチリアはいちばん南ですからね。

ぼそっと池井多 ひと世代も前になりますが、「ゴッドファーザー」という映画がありました。日本では、こないだの正月にも地上波で再放送されました。あれがよくシチリアの気風を描いていると言われましたが。

フラン そうですね。今は少し文化的背景が変わりつつありますが、確かに以前はああいうふうに性差別が強く、家父長的なところがありました。

シチリアがそういう土地柄であるものだから、高校生までの私はあまり幸せではなかったのです。
たとえば、私はイタリア人だけど、サッカーには全く興味がありません。そんなことも、私に孤立感を与えていました。

私は、子どものころから女性的なものに憧れてきました。他の男の子たちが外でサッカーをして遊んでいるときも、私だけは他の女性の同級生と一緒にセーラームーンごっこしたり、テレビで「セーラームーン」に釘付けになったりました。


このことは、後年に私が、
「自分には日本という生活環境が合うのではないか」
と考えるようになったことに関係しています。

子どもの私は、ものすごく
「セーラームーンごっこがしたい」
と思ったけど、
シチリアの風土のなかでは、そういう者はまわりからとても変な目で見られたり、からかわれたりするんです。そして、
「どうしてそんなものに興味があるんだ」
「どうしてサッカーをしないんだ」
と訊かれました。


今は、どこでもジェンダーに対する意識が高くなりつつであり、ジェンダー表現の多様性、豊かさを認める時代になってきていますね。
当時は特に南イタリアであったからこそ、そういうスティグマがけっこう強かったのです。
こういう環境で、私は完全なひきこもりまでは行かなかったけれど、
ひきこもりぎみにならざるを得ませんでした。


いま自分の独自性に対しては、むしろ誇りを持って、ジェンダーのユニークなところでポジティブなロールモデルとして他の人を激励したいと思っています。
こういったところにも、日本のアニメーションがジェンダー表現の多様性を示して、時代から見ると先駆的なことが多かったため、私の精神的な成熟に関わりがあった気がします。

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母とヴェネツィアで。Photo by Fran

双子の姉とは対称的に

ぼそっと池井多 先ほど二卵性双生児だとおっしゃいましたが、お姉さんもひきこもりぎみでしたか。

フラン いいえ、姉は私とはまったく違って、周囲への適応にまったく問題を持っていません。今もメッシーナに住んでいます。
周りの人は、私はいつも悲しげな顔をして、姉はいつも陽気だ、と言っていたものでした。
今は大好きな日本に住んで、私もより自分らしくなったので、いまの自分は、お姉さんのように陽気であるかもしれない(笑)

ぼそっと池井多 お姉さんがいつも「陽気」というのは、平均的な日本人が思い描くイタリア人、シチリア人の「陽気」ってことですか。

フラン そうです。おいしいものを食べて、人生の小さなことでも楽しんでいるタイプ。(笑)

ぼそっと池井多 すると、お姉さんは彼女の女性性も抵抗なく受け容れている?

フラン そうですね。

ぼそっと池井多 ローマの大学へ進学したのには、シチリアから出たかった意味もありますか。

フラン そうです。大都会ローマに住んで、自分が自分でいられる生活環境を少しでも獲得したかったからでもあります。
ローマでは、だいぶ生きやすくなりました。

 

・・・「第2回」へつづく

 

・・・この記事の英語版

・・・この記事のイタリア語版