ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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フィリピンのひきこもり当事者CJとの対話 第2回「ひきこもりは経済発展の産物か」

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フィリピンの貧困地区

ぼそっと池井多CJ
写真・Pixabay

 

 

 

 ・・・「第1回」からの続き

 

変遷してきた「専門家」たちの仮説

ぼそっと池井多 わずか数年前は、ひきこもりは、日本だけに起こる、
ユニークな文化現象のように考えられていたよね。

しかし、そのうちに、
イタリアとフランスでひきこもりが多いことがわかってきた。
その時点で専門家たちは、
「ひきこもりとは、資本が蓄積した高度産業社会に見られる現象である」
と言い換え始めた。

その後、GHOを作ってから、
私は、発展途上国といわれる国々のひきこもりから、
多くのコンタクトをもらっている。

すなわちそれは、
それまで専門家と呼ばれる人々が唱えていた説がまちがっていた、
ということでもあるんだ。

すると専門家たちは、
新しい事実を包含するために、たくみに説を変えていった。


「それは不思議ではない。
貧しい国でさえ、
その国の資本を牛耳るような一握りの富裕層はいるものだ。
そして、そういう富裕層は、
けっこう世界中どこでも同じような生活をしている。
彼らの暮らしぶりは、
高度産業社会における生活と同じようなものだ。
だから、そういう家族でひきこもりが出るのは当然である」

とね。


しかし、きみの話を聞いていると、
そんな説もまた、まちがっているとわかる。
きみは今、彼らの説を吹き飛ばすような
貴重な証言をしてくれた、というわけだ。

きみは富裕層ではない、という。
発展途上国の、しかも都市部ではなく、
半分田舎にある小さな家に家族で住んでいる。

だが、きみはひきこもりだ。

それは、ひきこもりというものが、
これまで考えられていた社会的階層や国々よりも、
もっともっと広い範囲に存在する、
という事実を示しているのさ。


CJ  フィリピンでは、ひきこもりの割合は少ないだろう。
そして、ひきこもりのほとんどは富裕層の子どもだと思う。
でも、ぼくみたいなひきこもりもいるんだ。

ぼくはまだ、ぼくと似たようなケース、
……貧困層で、ぼくみたいに狭い家に住んでいる
という、ひきこもりを他に見たことがない。

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発展途上国の貧しいひきこもり

ぼそっと池井多 きみのようなひきこもりのケースは、
この先きっと他の国で見つかる日がくると思う。

CJ  たぶんね。
そして、アジアだけでなく、他の大陸でも、
もっともっとひきこもりは見つかるようになるだろう。

ぼそっと池井多 そうだね。

CJ  発展途上国にだってひきこもりはいるんだ。
でも、そういうひきこもりはメディアに自分の存在を訴えない。
だから、そんなものはいない、ということになってる。

現代の人々っていうのは、
金持ちだろうと貧乏人だろうと、
家族やその他いろいろなことが引き金となって、
社会からくるプレッシャーによって
ひきこもりになりやすいだろうと思う。

ぼそっと池井多 きみは、これからもひきこもりとして生きていくのか。


CJ  今でもぼくはいちおう、
ひきこもりから脱しようとはしてるんだよ。

「なんでぼくはこんな生き方してるんだろう」
と自分を責め続けているのは、
もしかしたらぼくだけかもしれない。


ぼくがひきこもりになったことに関して、
両親とか、近所の人たちとか、
学校でぼくをいじめた奴らとか、
もっと他の人を罵ってもいいはずなのに、
ぼくはいちばん自分を罵っている。


だけど、こういう風にひきこもりになったのは、
ぼくの選択でもあるわけだ。
ぼくは子どものころからとてもシャイで、
感情的になりやすく、
何事につけ過敏だった。
そうなるように育ってきたんだと思う。


でも、もうすぐひきこもりを脱出して、
人生の他の可能性を模索できるようになれるといいな、
と思ってる。

 

・・・この記事の英語版

編集後記

文・ぼそっと池井多

 

 

GHO(世界ひきこもり機構)を通じて、私がCJを知ったのは2018年5月のことであった。

その後、本記事の第1回にも言及されているように、7月は強大な台風が次々とフィリピンや日本を襲い、両国に甚大な被害をもたらした。そのような中で、CJとの音信はたびたび途絶えた。

彼が住むフィリピンの「半分田舎の町」は、町ごと停電するのは日常茶飯事であり、そこへ台風による洪水被害が追い打ちをかけていたようである。

ぱったりとインターネット上に姿を現さなくなったCJの生存を心配したことも、一度や二度ではない。

彼の安全が確認された7月のある日、話がはずんで、一気にこのインタビューが行われた。しかし、それがそのまますぐ発表されなかったのには理由がある。

私は、この「世界のひきこもり」シリーズのインタビュー記事を、できるだけインタビュイーにも主体的に関わってもらい、共同作業にしたいと考えている。インタビュイーが希望する場合は、インタビュイー自身に自分のひきこもり生活に関する写真を撮影してもらい、送ってもらうことにしている。

CJも、写真は彼自身が写すことを希望した。大歓迎である。私は、どのような南国の写真が送られてくるか、楽しみにして待っていた。

ところが、いっこうに送られてこない。そのうちCJは、カメラの類いを持っていない、ということがわかった。

先進国に住む私たちは、スマホなり、デジカメなりといった撮影機器を、当たり前のように持っている。彼にはそれがないらしいのである。インターネットにつないでいるのも、詳しくは語ってくれないが、どうやら自分の機器からではないらしい。

とりあえず、私が主宰するVOSOTで一部のインタビューを小出しに出しつつ、本誌「ひきポス」での本公開のために、CJのカメラ購入を待った。

……5ヵ月近く待ってみたが、どうやら購入のメドは立たないとわかった。

そこで、インタビュイーであるCJが自分で写真を撮って記事に掲載したいと思ってくれた気持ちはたいへん貴重であるが、今回は残念ながらその企画は見送ることにし、とりあえずこのような形で発表することになった。

このような些細なエピソードからも、発展途上国の貧困層に近いひきこもりの生活の困難が、読者である皆さまに伝わっていけばよいと願っている。

もし、このCJのインタビューに続篇を出すならば、そのときはぜひ彼の手で写した亜熱帯の光を、記事中に掲載したいものである。