インタビュー・文・写真 ぼそっと池井多
・・・第2回からのつづき
集中治療室の医療費
ぼそっと池井多 自殺未遂をして担ぎ込まれた病院から、やがて退院するときがやってきたわけですね。
タイキ 自殺未遂をして担ぎ込まれた病院の集中治療室には15日間も入っていたらしいです。退院するときに、その医療費として、150万円というものすごい金額の請求書がつきつけられました。
ぼそっと池井多 へえ。そんなにかかるんだ。私はそういう経験ないからわからないけど。保険は効かないの。
タイキ 自殺未遂する前はひきこもっていて、仕事ができなくて、社会保険料が払えない状態がつづいていたんです。だから、保険外です。
また自殺に失敗してICUに入院することになるなんて、まったくぼくは、蘇生したと同時に150万円という借金を背負うことになったんです。
ぼそっと池井多 その借金は、どうしたのですか。
タイキ とりあえずは、あれは短期の社会保険なのかな、よくわかんないけど、それを活用して月5000円とか3000円とかといったペースで
病院に払っていきました。10年後の今でも、まだ全額は払えてません。いまだにチマチマ払ってます。
ぼそっと池井多 医療費の問題を抜かしたら、その病院にはコンスタントに通い続けたのですか。
タイキ いいえ。父方の叔母さんが、ぼくの病状を聞くために、ぼくといっしょに心療内科の診察室に入ることになりました。
ところが、叔母さんはぼくの主治医の先生と大喧嘩をしたために出入り禁止になってしまったのです。
ぼくの治療をひっかきまわした叔母さんは、ぼくの心のケアをすることもなく、ぼくは屋根に登らされてハシゴを外されたかたちになりました。
だから、ぼくはもうその心療内科へ行くのが嫌になってしまって、薬ものまず、ただ友人に助けてもらいながら、自力でうつ病を治す戦いが始まったのです。
まずはお金の話を切り出す「心のケア」
タイキ 去年(2018年)の6月に、ある人から浴びせられた何気ない一言で、ぼくはまたガチなひきこもりになりました。
もう完全なひきこもり。一歩も部屋から出られない。それでしかたなく同じ病院の心療内科へ行きました。
ぼそっと池井多 田舎は医療機関が少ないから、多少いやな思い出があっても、同じ病院へ行かなくてはならないですよね。それで、どうしたんですか。
タイキ 心療内科の先生が、大声で
「きみは、以前の医療費をまだ払いきってないようだけど、
いったいどうなっているんだ」
と怒鳴ったんです。
その時ぼくはうつで弱っていて、その先生に心のケアをしてもらいたくて病院に行ったのに、いきなり大きな声でお金を話をされたので、
よけいにショックを受けて、さらに弱りました。
ぼそっと池井多 へえ。私も精神科医にはさんざんひどい目にあっていますが、その先生もまた、いったい何を考えてるんでしょうね。
タイキ やっぱり患者の心のケアよりも、病院の資金のケアなんじゃないですかね。
ぼそっと池井多 まあ、精神医療においては、患者が治療を施しとしてではなく、治療者と対等な立場で医療の消費者として受ける自覚を持つために、お金を支払うという行為が重要である場合もあるんですが、それでも、なんか釈然としない事件ですな。それでどうしたんですか。
タイキ それでぼくはひきこもりが悪化しました。ガチでひきこもっているうちに、今度は足に何かの菌が入ってしまって、1か月後には外科手術が必要になったんです。
そこで、同じ総合病院に入院することになりました。そしたら、またぼくの医療費の問題で病院中が大騒ぎになりました。
たぶんぼくのカルテに、
「医療費を払いきっていない患者」
と書かれていたのでしょうね。
手術の前日に看護師さんがぼくのベッドへやってきて、
「あんた、お金も払えないのに、よく入院できるね」
って、言うんですよ。
ぼそっと池井多 へえ。あんまり看護師らしからぬ言葉ですね。
タイキ その時はもうちゃんと社会保険料を払っていたから、手術を受けたお金は払えるだけど、その病院には以前の自殺未遂したときの借金が残っているもんだから、ようするにブラックリストに載せられていたんでしょうね。
「この患者、手術したら医療費が回収できないんじゃないか」
と病院側が二の足を踏んだんだと思います。
ぼそっと池井多 それでどうしました。
タイキ それで、信用できる女性の看護師さんに
「こんなことがあったんですよ」
とお話ししました。
そうしたら、数時間後にそこの看護師長がぼくのベッドに謝りに来ました。
「ごめんなさい、うちのスタッフがそんなことをあなたに言ったなんて」
って。
それでいちおう収まったんですけど、ぼくが医療費を払えないといけないということで、病院側はぼくに生活保護を受けさせようとして、
担当ケースワーカーを連れてきました。
精神科の主治医は、他の患者がおおぜい聞いている大部屋で、大きな声で、
「生活保護は受けるんですか、受けないんですか」
とぼくに訊くんですよ。ひどいでしょ。
ぼそっと池井多 神経のことを専門にしているお医者さんにしたら、無神経ですね。それでどうなりました。
タイキ いちおう生活保護を受けるということで、いったん話が進んだんだけど、ぼくとしては
「生活保護を受けなくてもなんとかやっていける」
と判断して、申請を取り下げる書面を書くことにしたんです。
ところが、やっぱり病院側が、確実に治療費を回収したいものだから、
「取り下げないで、そのまま生活保護を受けなさい」
と、おおぜいの前で圧力をかけるんです。ぼくがかたくなに拒否してんのに。結局、明日手術だっていうときに、なにやら書類を持ってきて、
「ここにサインしてください」
という手続きを迫るんですよ。
ぼくは、ほんと、くやしかった。だから、サインしないで、ふてくされて、20分もうつむいて、ウンともスンとも言わないで黙っていました。だけど、
「もう、受けるよね」
と念を押されて、結局ぼくは根負けしてしまって、無言でうなずいてしまったんです。
担当のケースワーカーと、病院の事務員と、お母さんの前で、言葉は発さないんだけど、コクっとうなずいた。
それがぼくの生活保護受給の始まりでした。
生活保護から抜けられない
タイキ そうやって入院中に生活保護を受けることになって、やがて退院して、役所に行ったら、こんどは、
「もう、できるだけ働いてください。A型支援でもB型支援でもいいから」
と言われました。
「でも、自分はうつが苦しくて、なかなか働けません。発達障害もあるから、へたに働くと職場に迷惑とかかけちゃうし」
といったところ、
「じゃあ、精神科の担当の先生に意見を聞いてください」
と言われました。
精神科の先生に意見を聞きにいったところ、
「あなたは働くことには困難があります。
無理して働かなくてもいいですよ」
と言われました。
でも、ぼくは自分の力でメシが喰いたいから、何か自分の得意そうなことでメシの種にしようと、ガラス彫刻の勉強を始めたんです。
生活保護を脱して、ガラス彫刻の仕事でメシが喰えるようになるために、営業へ行ったり材料を買いに行ったりするために、どうしてもクルマだけは必要だ、ということになりました。
ぼそっと池井多 なるほど。東京とちがって、沖縄の田舎はクルマがないと、どこにも行けませんからね。
タイキ そうなんです。でも、そうしたら
「生活保護だからクルマは持っちゃダメ」
と役所にいわれました。
クルマを持たなければ、いつまで経っても仕事は始められず、生活保護を脱することはできません。
ぼそっと池井多 そのように役所に言ってみたらどうですか。
タイキ 言ってみました。そうしたら、
「それじゃ、審議にかけます」
と。それで審議にかけて、案の定
「やっぱりダメです」
と言われました。
「あなたは、こないだ精神科の先生から『仕事はできない』といわれたばかりでしょう。仕事ができなかったらクルマを持つ必要ないでしょう」
って言うんです。
ぼそっと池井多 沖縄にかぎらず辺鄙な地方の場合、クルマがないと、よけいひきこもらざるをえないということもありますよね。
タイキ それでぼくがそれ以上の不満をいうのに、役所へ行って言うとなると、きっと喧嘩になるし、発達障害のぼくは、きっと言ってはいけない言葉まで言ってしまうだろうから、電話でその不満をこういうふうに言ったんですよ。
「おかしいんじゃないですか。自立するにはクルマが必要なんです。
本気で生活保護を脱出したい人間に対して『クルマは持ってはダメです』というのは、生活保護を脱出するな、といっているのと同じではないですか」
と。そうしたら担当ケースワーカーは逆切れして、
「それじゃあ、いますぐ生活保護を打ち切ってもいいですよ」
というんですよ。
「そもそも受給開始のときに、あなたは本当は生活保護を受けたくなかったんですよね。だったら、今からでも遅くない。生活保護を受けない、という選択があります」
と。
でも、その時点ですぐ生活保護を切られたら、ぼくにはお金がないのです。だから、ぼくは
「あなたは他人(ひと)に強制的に甘い蜜を吸わせておきながら、今になってとつぜん打ち切るんですか。それはひどいんじゃないですか。こんな醜い喧嘩になるんだったら、なんで初めの時にぼくの生活保護申請には、不受理という判断をそちらで下してくれなかったんですか」
といって、電話を切ってやりました。
もう、くやしくて、くやしくて。
・・・「第4回」へつづく
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