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「(株)ウチらめっちゃ細かいんで」社員のひきこもり経験

(取材/編集 Toshi・石崎)

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前回 

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質問:改めまして、社員の皆様のひきこもり当事者歴をお伺いしたいと思います。

 

執行役員 最高執行責任者(COO)山瀬健治氏(以下山瀬):大学には現役で受かったのですが、ADHDの症状で、レポートが締め切りまでに出せないなど色々ありまして、大学を中退してしまったんです。

 

その後は、高校の頃からプログラムを独学でやっていて、多少はスキルがあったのでIT企業に入ったのですが、どこに行っても2年か3年ぐらいで、やはり納期の問題にあたり、適応障害になりました。対人関係では無いのですが、納期の見積もりが甘くて。

 

恐らく、脳のワーキングメモリーの少なさ(ADHDの特性。仕事などのための、短期の記憶領域が小さい)から来ると思うのですが、2、3年で退社しては、1、2年ひきこもる。

 

経済的な問題もあるし、また頑張ろうと働くけど、2、3年働いてはひきこもり、適応障害を起こして、ひきこもる事を繰り返していました。

 

実は、今でも体調が必ずしも良くなくて、フルでは仕事を入れていないんですね。そういった意味で、ひきこもりの期間は、断続的に10年は越えています。

 

ある日、急に通学できなくなる

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教育事業部リーダー 平野立樹氏(以下平野):私は中高一貫の進学校に、中学受験で進学しました。中学校は無事に卒業しましたが、高校1年の時に母を病気で亡くしました。それと合わせて進学校ですから、とくに高校に入ってくると、どうしても大学進学という空気が強かったです。

 

なおかつ、たまたま選抜クラスという、ある程度、学業成績で上位のクラスに入って、なまじトップ近くの成績を取っていたせいで、教師としては「東大に何人」が、保護者への凄いアピールになるから「平野、東大に行け!」というプレッシャーが強くて。

 

確かに、私の当時の志望校は東京大学ではあったんですけれども、それを、学校の宣伝のために強制されるのは非常にプレッシャーで。

 

母が亡くなって、父と私の二人暮らしだったのですが、当時は父とも仲が良くなかったので、学校に行けば東大進学の煽りが来て、家に帰ったら居心地が悪く、精神が休まる場所がなかったです。

 

それでも、何とか我慢していたつもりでしたが、高校二年生の文化祭が終わった翌日、普通通りに通学しようと思って電車に乗ったら、急に気持ち悪くなって電車を降りました。

 

その時は風邪だろうか?と思いましたが、いくら内科に行っても良くならないので、精神科の紹介をしていただき、これは風邪ではなく、精神的な症状によるものですと言われました。

 

それからは大学は別として、高校は卒業しようと思ったんですが、やはり進学校ですと、2年生までに、3年生の内容は大体、終えてしまって、3年生は大学受験対策になってしまう。

 

それは嫌だと言っても、出席しないと卒業要件は満たせない。じゃあ中退します、と。そして、すぐに大検(現在の高卒認定試験)を取りました。

 

長く断続的に続くひきこもり生活

しかし取ったは良いんですけれど、体調が十分ではない。専門学校だったら入試も無いし、大学に編入できる制度があるから、行けるかなと思いましたが、それも上手く行かなかった。専門学校に失敗した時は、これはもうダメだなと思って、ずっとひきこもっていて。

 

少し回復してから、とある通学制の大学のAO入試に受かったんですけれど、それもまだ、結果的には無理していたみたいで、1年うだうだして辞めました。

 

最後に通信制の大学ですね。「サイバー大学」という、直接ではないですがソフトバンクがやっている大学がありまして。そこですとレポートや小テストとかも、締め切りさえ守れば、真夜中の2時3時にやろうが、その時間に書いていようが、文句を言われずに単位を取れる。

 

これほどまで、自分の環境に合わせてくれる学校があって、それでも卒業が出来ないなら、もう完全に、人生ずっとひきこもろうと言うほどの気持ちだったのですが、そちらは上手く行って、4年であっさり、単位を落とすこと無く卒業できました。

 

しかし通信制大学は、社会人の方、専業主婦の方、リタイアした方が非常に多くて、その方々は卒業しても必ずしも就職する必要は無いんです。

 

ところが私は就職したかった。しかし昼夜逆転の生活リズムで雇ってくれる会社は、おそらく無いだろうと。求人票もダウンロードしたけれど、空でした。出来たばかりの大学だから不備もあったのだと思いますが「行き先、無いんだな」と。

 

で、またひきこもり始めて、その中で、ようやく、ひきこもり当事者向けの「居場所」を知りました。

 

10年だったら10年、ずっと出ていなかったわけでは無いのですが、行っては落ちて、行っては落ちてという感じで、断続的に10年ぐらいになっていると思います。

 

一通のメールで人生が変わった

そして、ひきこもりの「語る系」居場所の「ひきこもりフューチャーセッション庵」という、大きいイベントがありました。こちらでフロンティアリンク代表の佐藤と、初めてお目にかかりました。佐藤のいとこの方が、ひきこもりという事で、教育を通じて何かしたいというアプローチに凄く心を惹かれまして。

 

あと、たまたま中高一貫の私立に通っていた時、趣味のレベルですが、コンピュータ部でプログラミングをやっていて、父親もITの仕事をやっていましたので、非常に興味を持ち「何かお手伝いできることは無いですか?」とメールをしました。

 

そこで「めちゃコマ」の教育事業の前身となる「プログラマスター・ひきこもりサポート特別コースを、今年の7月30日に始めるので、ちょっとモニターとか講師をやってみませんか?」とお話をいただきまして、そこで講師となり、現在に至ります。

 

長くなってしまいましたが、これが私のひきこもり歴になります。結論としては、ずっとひきこもっているわけでは無いのですが、焦っては出て、その焦りから体調を崩して、ヤバいなと思って出て、また焦って体調を崩して、断続的に10年程度とお考えいただければと思います。

 

6年間のひきこもり

制作事業部リーダー 岡田マサト氏(以下岡田):就職活動をきっかけにひきこもって、その後は3ヶ月に1度ぐらい外出する程度で、誰とも会話しないのが6年間ぐらいです。インターネットで友人が出来まして、それをきっかけに、ひきこもり当事者の居場所に行けるようになり、「ひきこもりフューチャーセッション庵」で、代表の佐藤と出会い、今ここに繋がっているという形です。

 

広報マーケティング担当・三池氏(以下三池):私のひきこもり歴は、年数でいうと20代前半に、大体1年半ぐらいひきこもっていました。

 

きっかけとして、1番の原因は就職活動でつまずいた事で、自分でも何をすれば良いか、明確な夢が見つからなかった迷いもありました。就職活動をしている中で、その会社ごとの色々な社長さんや、会社の環境、一緒に働くスタッフの方との折り合いについて悩みました。

 

アルバイトをしていた高校時代から、私が一番大事にしていたのは、そこの会社をどういう方が、どういう思いでやっているかを、すごく見ていたんですね。自分が何をやるかよりも、社長さんの理念や思いが、自分と重なるのかがすごく重要でした。そこで自分とマッチングする方に、なかなか出会えず、社会との関係を閉ざすことになりまして、21〜22歳の後半まで、家にひきこもる状態になりました。

 

経験者による、それぞれのひきこもりの定義

質問:ひきこもりの定義は、厚労省でも内閣府でも分かれていると思いますので、その定義をどのようにお考えか、お一人ごとにお願いいたします。

 

山瀬:ひきこもりの定義については、実は私は、6ヶ月とかの数字どうこうでは無く、自分をひきこもりだと思っているかどうか、それが定義。

 

ある程度まで社会参加していても、疎外感を感じていて「ひきこもっているなあ、自分は一人だなあ」と思っていれば、そういう人は、実はひきこもりで、自分自身の定義によるんじゃないかなと思うんです。

 

もちろん行政は支援のために、客観的な定義になると思いますが、あくまで当事者本人として聞かれれば、疎外感を感じて、長くひきこもっているなと感じるなら、それはひきこもりだと思います。

 

平野:どうしても行政は支援対象を定めるために「何歳から何歳まで」「半年間、社会活動が無い」という定義がありますが、私からすれば、こうした定義はナンセンスだと思います。

 

一つは、年齢で区切るのはまったく根拠がない。例えば39歳までひきこもりで、40歳の誕生日になったら、その場でひきこもりじゃ無くなるのは、ありえない話です。これほどバカげた話は無く、定義の中で、一番当てにならない所です。

 

それから精神疾患は除外するという点。確かにここは難しい話ではあるんですけれども、人がひきこもりになる理由は、非常にいろいろ重なっています。

 

例えば学校に行けなくなったから、それと合わせて精神疾患を発症してしまう事もあります。また、いじめを受けて不登校になって、そこからたまたま家庭内で不和があって、自分で抱え込んでしまって精神疾患を発症して、結果としてひきこもり状態に至ることもあり、そこに至るプロセスは、非常に多種多様です。

 

そこに精神疾患があるかどうかは、あくまで一つの物の見方で、私も色々な当事者の方を見てきていますが、そういう人たち全員に、この定義を当てはめて「それに該当するからひきこもりである/無い」と言うのは、非常に乱暴な議論だと思います。

 

では、どのような定義だったらよろしいのかですが、やはり本人が、ある意味で健康的な生活を送っているか。これは肉体的な健康だけでなく、精神的な部分ですね。

 

いくら肉体的にたまたま健康でいたとしても、自宅から職場の往復だけで、それ以外の社会生活がなく、疎外感や孤独感を感じているのであれば、少なくとも、行政が言っている「ひきこもり親和群」に該当すると思います。

 

ちょっと言葉は難しいですが、日常生活の満足度というか充実感が低い状態であれば、ひきこもりに近いか、あるいは実質ひきこもり。そういう定義が、私としては一番なじむのではないかと考えています。

 

岡田:ひきこもりの定義については、平野が言った不満はあるのですが、「準ひきこもり群」という、ある種、ゆとりある枠組みを持っている点は良いと思っています。

 

三池:私のひきこもりの定義ですが、これという決まりは無いと思いますが、自分が外に出て、何かに関わろうと思った瞬間や、人と何かをやろうと行動に移した所が、ひきこもりを少し脱するきっかけだったと思います。それは人それぞれにあると思うのですが、人とつながろうと思った時が、脱するタイミングじゃないかなと思います。

 


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