(文・選 喜久井ヤシン)
「仕事 名言」などで検索すると、“働くことが人生を高める”みたいな、偉そうな言葉が多くで出てくる。けれど歴史的にみても、労働はけっこう罵倒されてきた。「働いたら負けかなと思ってる」みたいなニートの迷言のことではない。働かないことを本気で考え、人に勧め、時に本当に働かなかった先人たちがいる。今回はそんな、脱労働志向の言葉を集めてみた。
労働誉められすぎ問題
歴史的に、よく人は働けと言われてきた。
01 働かざる者食うべからず
(パウロス)
02 怠け者の手は悪魔の遊び場である
(キリスト教の説教)
03 働け、もっと働け、あくまで働け。労働が自由を生む。
(ナチスの強制収容所に掲げられていた標語)
以下の血迷った言葉は戦中のものだけれど、今の日本でも通用してしまうだろう。
04 日本人はみんな働け
(上野摠一「み国のために働く小産業戦士の道しるべ」)
行き過ぎれば、労働者は人間的でなくなる。
05 羊が1匹、羊が2匹、正社員が一人、契約社員が1匹。
(雑誌「週刊ファミ通」読者投稿)
06 「食うために、働いたのに、今じゃ、働くためにみんな飯を食う」(田口ランディ「根をもつこと翼をもつこと」)
07 私の場合、一日八時間が買い取られている。
(スタッズ・ターケル「仕事!」)
労働罵倒発言集
「働かざる者食うべからず」という言い回しは、聖書のパウロスの言葉に由来にしている。奴隷制度のもと、労働が卑しめられていた古代ギリシャ・ローマ時代に発せられていた。けれど現代では,元来の意味から離れて使われている。労働を賛美する声はいきすぎており、それを批判する人々もいる。
08 資本主義文明が支配する国々の労働者階級はいまや一種奇妙な狂気にとりつかれている。その狂気のもたらす個人的、社会的悲惨が、ここ二世紀来、あわれな人間を苦しめつづけてきた。その狂気とは、労働への愛情、すなわち各人およびその子孫の活力を枯渇に追い込む労働にたいする命からがらの情熱である。
(ラファルグ「怠ける権利」)
09 労働の賛美は、近代に於ける最も悪しき趣味の一つである。
(萩原朔太郎「孤独者の手記」)
労働賛美はおかしい。というか、労働そのものがおかしい。
10 育ちのよい礼儀作法に長期間親しんできた繊細な感受性をもつ人間の場合、肉体労働は恥辱だという感覚があまりにも強すぎて、危機的な局面で自己保存の本能を拒絶してしまうほどである。したがって、たとえばわれわれは、礼節を守ろうとするあまり、自分の手で自分の口に食物を運ぶよりも餓死することを選んだ、あるポリネシアの主張の話を耳にすることになる。
(S・ヴェブレン 「有閑階級の理論」)
11 どのパパラギ《白人・文明人》も職業というのを持っている。職業というのが何か、説明するのはむずかしい。喜び勇んでしなくちゃならないが、たいていちっともやりたくない何か、それが職業というもののようである。
(E・ショイルマン「パパラギ」)
「パパラギ」は、原始的な生活を営んでいた南海の国の酋長が、西洋文明の滑稽さを揶揄(やゆ)するかたちで作られた一冊。毎日やりたくないことをする文明人の姿は、原始的な生活者にとっては理解できない。
そして、一部の文明人にも理解できない。
12 労働している限りは、生きていることはなんの価値もない
(ブルトン「ナジャ」)
13 「俺たちが一生懸命働いたり、色んなことで時間をつぶしたりするのは、生きるってことが——中身の濃い純粋な生き方をするってことが——耐えがたいほど苦しいからだと思うんだ。働いたりするのは、人生を水で薄めて生きやすくする方便みたいなもんだ」(オールディス「華麗優美な船」)
14 金というものが地上の諸悪の根源であり、金のある人間は決して天国へは行けないと、われわれが真正直に信じていることを考えてみれば、人間が金をとるために地道に働くということはたしかに驚くべきことだ。ああ!われわれ人間は、いかに嬉々として地獄ゆきを志願するものなのだろう!
(メルヴィル「白鯨」)
15 現代に対する生きた批判は、ただゴロゴロして寝てゐるより外に仕方がない
(ドストエフスキー(?))
哲学者の野村隈畔(わいはん)によると、上の言葉はドストエフスキーが言ったとしている。出典は不明。野村自身が本気で働きたくなかった人の一人であり、実家の農業をサボタージュしていたという強者(つわもの)だ。
16 私はいつも自分の家のサボターヂをやつてゐた。私のサボターヂは賃銀が尠(すく)ないとか、労働時間が長いとかいふ為めでなく、労働することそれ自身が厭やであつたからである。〔中略〕自分の体質が農業に堪へ得るほど健康でなかつたので、労働するのが厭やであつた。又労働のための労働をやつて何等人生の意義をも考へてゐないやうな労働には迚(とて)も私の本性そのものが堪へ切れなかつた
(野村隈畔「自由を求めて」)
いつの時代にも働きたくない人がいる。当然現代にも。
17 わたしはただ純粋にはたらかないで生きていきたいとおもっている。
(栗原康「はたらかないで、たらふく食べたい」)
労働を人生にしないあり方
いったい働くって何か。サービス残業とか過労死とか、本来ありえないことではないのだろうか。
バートランド・ラッセルは、日に4時間の労働とすることが現実的に可能だと語り、約80年も前に社会の変革を訴えていた。
18 私が本当に腹からいいたいことは、仕事そのものは立派なものだという信念が、多くの害悪をこの世にもたらしているということと、幸福と繁栄に到る道は、組織的に仕事を減らしていくにあるということである。
(バートランド・ラッセル「怠惰への賛歌」)
社会学者の立岩真也は、障碍者運動をふまえたうえでベーシックインカムを推奨している。以下は子ども向けに書かれた本からのものだけれど、労働の真実をシンプルに語っているように思う。
19 ものはある。仕事をしない人がいる。そしてそれはよくないことだろうか。全員が生きるために、全員より少ない人が働くだけですむ。これはよいことに決まっている。まず、このことをわかっておこう。そしてこれだけの意味でだったら、だいたいはものが足りている社会に失業者がいるということもよいことだということになる。
もちろん、困るのは、仕事をしないと稼げないことである。だから、稼げない人にとっては、失業があるのはよいことだなどというのはとんでもない。けれども、そのことはわかった上でも、みなが暮らすためには全員が全力でがんばらなくてもだいじょうぶだということがよいことであることは、やはり言える。今よりもがんばらないといけないみたいなことが言われて、言われるとそうなのかと思ってしまったりするのだが、すこしでも落ち着いて考えてみると、そんなことではない。
(立岩真也「人間の条件」)
これからの時代、高齢化で働かない人の割合も増え、労働を肩代わりするAIも出てくる。そんな時代に、まだ労働が人生の目的として最重要のままなのだろうか。
ブロガーとして知られるpha(ファ)の言葉もある。
20 みんな生まれてきたときはニートだった
(pha「ニートの歩き方」)
働かなくても、もうちょっと何とかなるんじゃないだろうか。「ワーク・ライフ・バランスの充実」がいわれているけれど、私はただ単に「ライフの充実」がいい。脱労働の社会への慧眼は、すでにひらかれている。労働を人生にしない生き方を考え始めることは、きっと可能だ。
引用文献
01 慣用句 ※『新約聖書 共同訳』では「働きたくないものは、食べてはならない」と記載されている。
02 トム・ルッツ 『働かない 「怠けもの」と呼ばれた人たち』 小澤英実他訳 青土社 2006年
03 出典 パオロ・マッツァリーノ 『反社会学講座』 筑摩書房 2007年
04 早川タダノリ 『「日本スゴイ」のディストピア』 青弓社 2016年
05 雑誌『週刊ファミ通』(エンターブレイン) 読者投稿欄「ファミ通町内会」PN電気バチ
06 田口ランディ 『根をもつこと翼をもつこと』 晶文社 2001年
07 スタッズ・ターケル 『仕事!』 中山容訳 晶文社 1983年
08 ラファルグ 『怠ける権利』 田淵晉也訳 平凡社 2008年
09 出典 パオロ・マッツァリーノ 『反社会学講座』 筑摩書房 2007年
10 ソースティン・ヴェブレン 『有閑階級の理論 増補改訂版』 高哲男訳 講談社 2015年
11 エーリッヒ・ショイルマン 『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』 岡崎照男訳 立風書房 1982年
12 出典 ラファルグ『怠ける権利』 田淵晉也訳 平凡社 2008年
13 マイケル リチャードソン編 『ダブル/ダブル』 柴田元幸訳 白水社 1994
14 ハーマン・メルヴィル 『白鯨 (上)』 田中西二郎訳 新潮社 1952年
15 出典 荒木優太 『これからのエリック・ホッファーのために 在野研究者の生と心得』 東京書籍 2016年
16 同上 ※()内は筆者による。
17 栗原康『はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言』タバブックス 2015年
18 バートランド・ラッセル 『怠惰への賛歌』 堀秀彦・柿村峻訳 平凡社 2009年
19 立岩真也 『人間の条件 そんなものない』 理論社 2010年
20 pha 『ニートの歩き方 お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』 技術評論社 2012
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