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ワケあり女子のワケのワケ③ 母のくれた毒リンゴ

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食卓とリンゴ。リンゴは毒入りでもあるが、遥か昔は智慧の実であり、万有引力の法則を導いた実でもある。この写真を撮ったスマホにもリンゴのロゴマークが。(撮影・ワケあり女子)

こんにちは、ワケあり女子です。近頃は食欲の暴走を止められません。
夕飯食べたはずなのになぜか夜中に無性に納豆ご飯が食べたくなります(そして食べます)。

玄米に変えたから大丈夫っしょと余裕ぶってたらいろんなお洋服がきつくなりました。ですよね。

厳しい現実からこれからも目を背けずに生きていきたいと思います。

それでは「ワケあり女子のワケのワケ」、今週もお楽しみくださいませ!

 

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思春期を迎えて

その鮮やかな血の色を見たとき、私は得体の知れない失望を覚えた。
自分が女である証拠をまざまざと見せつけられたからだ。

心のどこかで自分は女ではないんじゃないかと思っていた。
女の子とは話が合わないと感じることが多かったし、
考え方はむしろ男の子に近いような気がしていた。

でもその血を前に私は一切の言い訳を許されなかった。
少なくとも私の身体は紛れもなく女だ。母と同じ、女なのだ。
中学校入学を間近に控えた12歳の冬に、私は初潮を迎えた。

母には一切告げなかった。
小学校の保健体育で一通りレクチャーは受けていたし、
母の習性からナプキンの収納場所は難なく予測できたから特に困りはしなかった。

でもその減り具合やゴミ箱の様子からさすがに母も感づいたらしく、
「あんた、生理きたの?」とある日唐突に聞かれた。
なるべく平静を装って「うん、まあね」と私は答えた。

少しの間が空いて母は「ナプキンの場所わかった?」と言った。
彼女もまた平静を装っているように見えた。

 

父の愛情

中学生になり、私の身体はますます成長していく。
背は伸びて、脂肪がつきふっくらと丸みを帯びた。

いっぽう26歳で私を産んだ母は40歳になろうとしていた。
私の身体が女性へと美しく変貌を遂げてゆく時期と、
母の容貌が衰える時期は悲しいほどに一致していた。

それは特に明確な言葉として表れたわけではないけれど、
例えば一緒に洋服を買いに行った際に私を眺める母の視線とか、
ふと無防備な姿の私を目にした父の困ったように泳ぐ目線に少しずつ溶け出していた。
私はそれを見ないようにしていた。

ある日いつものように父と母が目の前で喧嘩を始めて、
暗い娘を気遣った父が私に「ごめんな」と言った。

その一言が母の炎に油を注いだ。
「娘にばっかりいい顔して!」と彼女は叫んだ。

(ああ、この人は、父の愛情を私と取り合っていたのだ-。)
ふとそう思い至ったのは、私が当時の母の年齢にだいぶ近づいてからだった。

 

「母と娘」

 「白雪姫」や「シンデレラ」など、美しい娘に嫉妬する母親の物語は多い。
グリム童話の初版では、白雪姫の母親は実母という設定である。
だが現代では多くの場合継母ということにされている。
実の母が娘を憎むなんて、大半の人には受け入れがたいのだろう。

しかし娘という存在は、母によって日々少しずつ確実に殺されてゆく。
私は毎日母によって毒リンゴを食べさせられていたのだ。

それは父という白馬の王子様に迎えに来てもらえなかった、母からの復讐だった。

 

私は母が嫌いです

のちにひきこもった私を見て母が唱えた言葉を私は忘れない。

「暗い」「気持ち悪い」「見てるこっちが気分が悪くなる」
「悲劇のヒロインにでもなったつもりか」

ヒロインになりたいのはあなたの方だろう、と言い返したい気持ちをぼんやりと抑えこみながら、
あれほど塞ぎ込んだ人間にこのような言葉をかける母親の神経を初めて疑った。
反抗期を迎え、自立心を獲得し始めていたことが不幸中の幸いだった。

目の前で誰かが落ち込んでいれば、たとえさほど親しくなくても、
少しくらい様子を気遣うのが人間というものじゃないのか。

この人は母親として、というより人として全く尊敬できない。
この人を嫌いになっておいてよかった、と思った。

しかしそれできれいさっぱり解決などするはずがなく、
この時の母の言葉はまるで呪文のように、
その後何年にもわたって私の人生をじわじわと締めつけてゆく。

  

(つづく)

(著・ワケあり女子)