ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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ワケあり女子のワケのワケ⑦ アイデンティティ・クライシス〜自己と世界の崩壊

 

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高校前のバス停。何年経ってもこの景色を見るのは辛い(撮影・ワケあり女子)

こんにちは!ワケあり女子です。いやあ、暑いですねえ。
日焼けをどうしても避けたくて帽子とサングラスをしていたら、
とても怪しい見た目であることに気づいてしまいました。

しかし私はひきこもりで育てたこの白肌を意地でも守り抜きたいのです。
成長期に3年間日光に当たらなかった効果は良くも悪くも絶大?です。

ひきこもりは失うものが多いわりにメリットは美白ぐらいしかないです。
その美白さえ失ったら、なんというか、悲しすぎるじゃないですか…!

そんなわけで今日も私は帽子とサングラスで不審者を装います。

「ワケあり女子のワケのワケ」、今週もよろしゅうお付き合いくださいませ。 

 

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(これから記述するひきこもり期、おもに15歳から18歳頃までの出来事については、
 本人の記憶が曖昧なため、時系列など一部正確でない可能性があります。)
 

ひきこもりに陥る理由は一つのケース内でも多岐にわたる。
様々な要素が複雑に絡み合った結果ひきこもらざるを得なかったというのが個人的な実感であるし、
現在進行形でことが進んでいる間は自分に何が起きているか自分でもわからない。
10年以上にわたる忘却と反芻と解釈の末、ようやく徐々に言語化できるようになった。

前回記事で取り上げたのはおもに学校と家庭の抑圧からの「逃避行動」としての側面だった。
だが私のひきこもりにはもう一つ重要な意味がある。
「アイデンティティ・クライシス(自己同一性の喪失)」である。
それは思春期の若者が必ず通る道であり、
崩れゆく「国家」に対峙する個人の孤独な戦いでもあった。

2つの「わたし」

その高校には私の町だけでなく、福井市内からも生徒が通っていた。
転校前に私が通っていた小学校も学区内に含まれていた。

ひょっとして転校前の友人たちと再会してしまうのではないか-。
入学前からそのことが気がかりで仕方なかった。
転校する前と後で私は見た目も性格も別人のように変化している。
2つの世界が交わるなんて想像もしていなかった。
転校前の私しか知らない人と、転校後の私しか知らない人が混在する世界で、
私は一体どう振る舞えばいいのだろう。

入学式では一人一人名前が呼ばれた。
懐かしい名前がたくさん聞こえた。
私の名前は目立つから、彼らも私を認識しただろうと思った。
けれど大好きな友人たちに再会できる喜びよりも、
今の自分を知られたくないという不安と恐怖が勝った。

クラス分けでは当時の同級生2人と同じクラスになったけれど、
私はついに最後まで彼らに話しかけることができなかった。
彼らもなぜか私に話しかけてこなかった。

再会

それから7-8年経った頃、実名SNSの普及のおかげで当時の同級生の一人と東京で再会したことがある。
連載第1話で「クラスの男子の半分は私のことが好きだった」と教えてくれた彼である。
実は彼も小学生の頃から私に想いを寄せていて、同じ高校に入学したことが嬉しくて、
別のクラスからわざわざ私のクラスへ会いに行ったけれど私がいなくて諦めた、と告白してくれた。
いなかったんじゃなくて、あまりにも雰囲気が違いすぎていて彼は私に気づかなかったんじゃないかな、と思った。

もしもそのとき彼が私を見つけていたらどうなっていただろう。
苦しみと絶望にまみれた3年間じゃなくて、
恋愛をして、彼氏もできて、普通に高校生活を楽しむ私を想像した。
自分を受け入れてくれる人がたった一人いるだけで世界はこうも違っていたかもしれない。
そしてそういう暮らしを送れなかった自分の辛い高校時代が嘔吐のように何度も蘇る。
涙が出そうだった。

街で高校生を見かけると今でも時々苦しくなる。

国民国家と教育

幼い頃から抱き続けていた教育への疑問がピークに達したのもこの頃である。
中学の理科の授業で、いわゆる「右ねじの法則」で電流と磁場の関係を学んだとき、
ヒップホッパーのように右手の親指を突き立てたり下げたりすることに飽きた私は、
電流と磁場の向きはもう覚えたので、
なぜこのような現象が起こるのか教えてくださいと教師に質問をした。
電流が流れると磁場が発生する理由が知りたかったし、
向きが必ず一定であることにも強い興味を覚えたのだ。
しかし教師は困った顔をして「それは高校で習ってください」としか言わなかった。
それならばと期待して入った高校では受験勉強ばかりやらされる。
学校というのはどうやら知的好奇心や真理を探究する場ではないのかもしれない、
とようやくわかりかけてきた頃だった。

そんなある日、歴史を学んでいてあることに気がついた。
世界の列強が各地に植民地をつくる際、現地民向けに必ず学校をつくるのだ。
列強にとってそれはもちろん住民たちの幸福や権利の保証が目的ではあり得ず、
ある程度教育された民の方が統治しやすいからに他ならなかった。
納税させるには税金の仕組みや意義を理解させねばならないし、
何より政府の伝達事項を理解するために「国語」の習得が必須だ。
自国民に対してもその理屈は変わらないだろうと思った。
つまり「国民国家」の維持・形成装置として教育は機能し、
そして現代になってもその旧い仕組みがそのまま生き続けているのだ。

愕然とした。目の前が真っ暗になった。
私はなんて愚かだったんだろう。
国家から提供された「国民」意識形成が目的の教育プログラムを
さも自らの真理の探究行動のように錯覚し、
しかもそれを自らの誇りにさえしていたのだ。
私は意志と能力を持つ一つの「個人」などではなく、
「国民国家」という巨大な装置の一部に過ぎなかったのだ。

目の前で大きな壁がガラガラと音を立てて崩れてゆくのが見えた。
過去の自分の拠り所が地震のように根こそぎ揺らいだ。
それは底が抜けるような恐怖だった。
存在を脅かされる恐怖だった。

「私」とはいったい何だろう。
なぜここにいるんだろう。
この世とはいったい何なんだろう。
昨日まで見えていた世界と同じものは何ひとつ残っていない。

私にとって世界中のあらゆる事が同一性を失ったとき、
今まで当たり前に行っていた全てのことがぱったりとできなくなった。
食べることも、寝ることも、勉強をすることも、笑うことも、歩くことも、
起き上がることさえできなかった。

誰かにこのことを話しても理解してもらえる気がしなかった。
この恐ろしい絶望感に、16歳の私はたった一人で向き合わなければならなかった。

 

(つづく)

(著・ワケあり女子)