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ワケあり女子のワケのワケ⑧ その暗い部屋のなかで〜「不登校」から「ひきこもり」へ

 

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(自室から見える風景。見たくもない風景。撮影・ワケあり女子)

こんにちは!ワケあり女子です。

梅雨が明けたらしいですね。ですよね。暑っついですもんね。
洗濯物が一瞬で乾く以外に全く夏の恩恵を受けられていない残念女子です。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。聞くだけ野暮なんでしょうか。

そろそろ写真のストックが尽きかけていて焦ってます。
写真のためだけに早めの帰省もありえるなと思う今日この頃。
自撮りとか怖くてできないのでどうにか地元写真で逃げ切りたい・・・
すいません、完全にこちらの事情でした。

あ、来週は連載お休みです。

というわけで「ワケあり女子のワケのワケ」、今週は2週分お楽しみください!

 

www.hikipos.info

(これから記述するひきこもり期、おもに15歳から18歳頃までの出来事については、
 本人の記憶が曖昧なため、時系列など一部正確でない可能性があります。)

学校に行けない

「学校に行けない」。

それだけでこれほど多くの苦しみが生まれるとは想像もしていなかった。
ほんの小さなつまずきが芋づる式に連鎖して様々な事象を引き起こす。
それは自分にはどうしようもない負のスパイラルで、
私は事態を飲み込めないままただのたうち回った。

幼い頃から学校教育に疑問を感じていた私は、
高校生活の負荷の高さと人間関係のストレスから体調を崩して不登校になった。
家庭不和がピークに達したこともストレスの一因だった(連載第6回、第7回参照)。

家から出られない

学校に行けなくなると、まず周囲の目が気になって家の外に出られなくなる。
都会と違い隣近所の顔が知れている田舎では、
学校に通っているはずの時間帯に、若者が学校以外の場所にいる姿を目撃されるのは、
すなわち村中に恰好のゴシップを提供することを意味するからだ。

(あら。◯◯さんちの◯◯ちゃん、学校も行かんとこんな時間に何してるんやろ…?)

ウワサがウワサを呼び、事実はあっという間に広まり、
好奇と疑念、哀れみと優越感の入り混じった視線が大量に飛んでくるに違いないと思った。
恐ろしかった。
私の場合は、両親が私のことを何かにつけて自慢していたので、
今頃みんなに「ざまあみろ」と思われているんじゃないかという恐怖もあった。

「勉強ができる子」「名門高校に通っている子」として周囲に認知され、
またそれを自分のアイデンティティの拠り所にもしてしまっていた私は、
学校に通えなくなった瞬間に自分が無価値になって、
「世間」から認められなくなるんじゃないかと怯えた。

しばらく休んで当初のきっかけの体調不良そのものは回復基調にあったが、
この頃には精神がダメージを受けていてとても登校できる状態ではなかった。

部屋から出たくない

そんな私を両親は強引に学校に行かせようとした。
朝になると父親がいきなり部屋に入ってきて、布団を引きはがし起床と通学を迫る。
無理やり車に乗せられたこともあった。怖かった。
私が落ち込み苦しむ姿を見て母親が
「気持ち悪いからやめろ」と言い放ったのもこの頃だ(連載第3回参照)。
母が家を出たこともあり、家庭の空気は荒みきっていた。
飼っていた犬まで毛並みが乱れ、目から次第に生気が失せていった。

とにかく両親に会いたくなかった。
これ以上彼らの娘でいたくなかった。彼らの生きがいでいたくなかった。
彼らと距離を置く時間が絶対に必要だった。
こうやって私を外に連れ出そうとするのも、
「藤島高校に通う自慢の娘」の親でいつづけたいからではないかと思った。

私は自室にこもるようになった。この部屋から一歩も外に出たくない。
彼らが寝静まった頃に食事と入浴をこっそり済ませ、彼らが起きだす頃に逃げるように眠る。
必然的に昼夜は逆転し、生活は不規則になった。
こうなると高校生活のリズムと合わないので、ますます登校から遠ざかることになる。

登校の強要

不登校が長期化すると高校側も対策に乗り出してくる。
両親が学校側とどのような話をしていたか知らないが、
家には高校の担任が時折訪れるようになった。

学校に行けないことで自分の存在を脅かされ苦しんでいた私にとって、
家に教師が来るということは文字通り死ぬほどの恐怖だった。

部屋のドアを重いもので塞ぎ、布団をかぶって身を縮めて震えながら、
声が漏れないように布団を口に押しつけて泣いた。
泣きながらひたすら教師が帰るのを祈った。
部屋のドアをノックなどされようものなら、
心臓を握りつぶされるような恐怖でパニックを起こしそうになった。

教師がいくら家庭訪問をしても不登校は解決しない。
むしろ子どもの心にかえって大きな傷を残して事態をより悪化させる。
あれだけは本当にやめてほしかった。

事実この時の恐怖体験は今でも癒えないほど深い。
何年も経ってから別の恐怖体験によって強烈なフラッシュバックを起こし、
より鮮明な記憶となって蘇ることになったほどだ。
この話もいずれ連載で詳細を語りたいと思う。

アトピー、暴食、抜毛症

こうした過度の恐怖とストレスは次第に様々な身体症状となって私を襲った。
まず幼少期から持っていたごく軽度のアトピー性皮膚炎が、この時期に急速に悪化した。
全身を常にかゆみが走った。
特に腕から肘にかけては、皮膚を搔き壊しすぎて表面はただれ、
常に液体でぐずぐずになり、長袖が着られないほどだった。
時には血がにじんだ。かゆみを通り越して痛かった。
それでも掻くのをやめられなかった。

思えばあれは自傷行為の入り口だったかもしれない。
病院にもギリギリまで行こうとしなかった。
最終的に薬を塗っておさまったような気もするが、
どのようにして病院に行ったのか、あるいは行かなかったのか、どうやっても思い出せない。

食生活も乱れに乱れた。
もともとスナック菓子やレトルト食品をよく買う家で、
子どもの頃から家にあるそれらをよく食べていたが、
この時期は私への配慮からか(?)部屋の前にそうした食品が大量に置かれるようになった。
私はそれを食べ続けた。
吐いて戻したりはしなかったので摂食障害の自認はなかったが、食べ方はおそらく異常だった。
幼い頃から健全な食卓を囲んだ経験が乏しく、
食事を苦痛に感じていた反動が一気に訪れたのだと思う。

そして食べながらひたすら自分の髪の毛を抜いた。
大量に抜いた毛を眺めてはまた抜いた。

食べるか、抜くか、掻くか、泣くか。1日の行動はそのどれか、あるいは全部だった。
部屋の隅で埃をかぶった教科書を見ては泣き、
変わり果てた自分の容貌を鏡で見てはまた泣いた。

ある日それら菓子袋に紛れてサプリメントが入れられているのを見つけた。
どうしようもなく涙がこぼれた。
どうしてこんな風にしか表現してくれないんだろう。
どこまでも歪んだ家族だった。

もう自分には普通の暮らしなんて永遠に戻ってこない。
一生この部屋の中で苦しみ続けるしかないのだ。

絶望の日々の始まりだった。

 

(つづく)
(著・ワケあり女子)
(※次回の掲載予定日は7/19です)