ひきこもり当事者・喜久井(きくい)ヤシンさんによる小説「遊べなかった子」の連作を掲載します。12歳の少年みさきは、海の上をただよう〈舟の家〉に乗り、行く先々で奇妙な人々と出会います。さびしさやとまどいを経験していくなかで、少年はどこへたどりつくのか……?時にファンタジー、時に悪夢のような世界をお楽しみください。
文・絵 喜久井ヤシン 着色 PaintsChainer
開けられるドアのかなしさ
次にみさきがおり立ったのは、大きな島だった。けれどほとんど何もなくて、広い砂浜の果てに、ぼんやりとオアシスのような街のかたまりが見えている。浜辺には、何かからとり残されたみたいな巨大な門と、〈門番〉のおばさんが立っていた。
「ようこそ。サツヤの国の入口へ。歓迎するよ」
〈門番〉は、愛想良く話しかけてきた。
「こんにちは。サツヤの国、というのがあるんですか」
「そのとおり。門を通ってこの先にある国へ行けば、あなたの望むものが、どんなものでも手に入るよ」
〈門番〉の横には、二メートル以上ある鉄製の扉があった。扉にはホルンの部品みたいな、細く曲がりくねった装飾がいくつもついていて、ずらして動かせるようになっていた。門は浜辺にぽつりと建っているだけで、まわりには壁も段差もない。
「ふうん。ぼく、その国へ行ってみたいんですけど、横から通っていってはいけないの?」
「希望の国へ行くなら、必ずこの門を通らないといけない決まりなの。よそから来たからわからないのかもしれないけど、誰もが通っていくものだからね」
〈門番〉は当然のように言うので、みさきは仕方なく、力を入れて扉を開けようとした。けれど、押しても引いても動きそうにない。
「扉に細長い管がついているでしょう。これが知恵の輪のようなカギになっていて、ちょうどいい位置にすれば外れるようになっているから。がんばってね」
と〈門番〉は言う。
「これを全部合わせないといけないの?時間がかかりそうだなぁ」
扉には複雑な管がはりめぐっていたので、ひどく頭を使わねばならなかった。みさきは全体を見て、一つ一つの管をガチャガチャと動かしていく。〈門番〉の見ている横で、時間試行錯誤をくり返した。
管を右へ、上へ。左へ、下へ。ななめに力を入れて、次のは押しこんで。一つはずれたと思っても、別のところがひっかかって、扉はなかなか開かなかった。
「ゆっくりでも確実にやっていけば、扉は開くようになっているから。あなたより小さな子だって通っていった道だからね。私の予感では、あなたならやりとげられると思う」
〈門番〉は励ますようにして言う。それでもみさきは、扉の作りがよくわからず、だんだんと嫌になってきた。裏側にまわって、一度扉の全体を見てみようかと思ったけれど、〈門番〉に悪い気がして、ずっと正面からカギを動かしていた。時間をかけて、がちゃがちゃと巨大な知恵の輪をはずそうとしたけれど、やっぱり、扉は開かなかった。みさきは集中力がとぎれてくる。
「あのう、ぼく、一回離れたところから街を見てきてはダメですか。また戻ってきて、その時に扉を開けるというのでは、いけない?」
〈門番〉は顔をしかめて、はっきりと首をふった。
「何を言っているの。絶対にこの門を通ってしか近づけない決まりなんだから。あなたはちゃんとした通行者にならないといけない。それに、せっかく途中まで取り組んだでしょう?決めるのはあなただけど、今やめたらもったいよ」
みさきはやめるにやめられず、また細長い管を上に押し、斜めに押し、引いて、ずらして、今度は回して、ひっぱって……と、どうなっているのかわからない、扉のカギを動かしつづけた。いくらやっても組み合わせは理解できないままだったし、時間だけが過ぎていく。体も疲れてきて、みさきは街へ行こうとする思いもなくなっていた。
みさきと〈門番〉だけが立っている砂浜は、太陽が照らす桃色に薄く染まっていた。扉はあわい光を反射していたけれど、重たい質感はみさきをうんざりさせていた。みさきは〈門番〉の視線をあびながら、意味のない時間だけを重ねていた。
けれどふと、何の予兆もなく知恵の輪のカギがガチャリと音をたててはずれた。扉が開いたのだ。
「あっ」
「おめでとう!扉が開いた!やっぱり、あなたならできると思ってたよ。」
〈門番〉からも褒められて、みさきはほっとした。扉を引き、遠くにあるサツヤの国を見ようとした。けれど、そこにあったのは砂浜の景色ではない。高くそびえたつ第二の扉だった。扉は二重の造りになっていて、そこには第一の扉よりはるかに複雑そうな、細かい知恵の輪のカギがびっしりとついている。
「さぁ、次の挑戦だよ。がんばって。これを抜けたら、幸せの国にたどり着けるよ」
〈門番〉は応援していたけれど、みさきはもうあきらめていた。
「いえ、悪いんですけど、ぼく、もう帰ります」
みさきの言葉に、〈門番〉は強い口調で言った。
「何を言うの。見て。あなたの力で扉を一つ開けたの。これをどうして無駄にするの?」
逃げようとするみさきの腕を、〈門番〉はぐっとつかんだ。
「あなたはまだわからないかもしれないけど、この先で大切なものに出会えるの。ここであきらめたら後悔するよ」
こわい顔をする〈門番〉を、みさきは拒絶した。
「ぼく、できないんです、ごめんなさい!」
みさきは〈門番〉の腕をふりはらって、〈舟の家〉へと駆け戻った。
遠くにあるサツヤの国は、もやがかった空気のベールにりんかくをあわくさせていた。それが本当に現実にあるのか、うたがわしくなるような幻想の風景だった。さまよう旅人が砂漠のオアシスをかなたに見るように、たどり着くことのないまぼろしができあがっているのかもしれない。
――ぼくはあの国にたどり着いたって、居られる場所はたぶんなかっただろうな。
みさきは一人、〈門番〉から離れて思った。
〈舟の家〉から見える空と陸のあいだは、ゆるやかな光のなかでおぼろげに重なっている。ふり向けば〈門番〉の語る幸せの国も遠くに見えるはずだったけれど、みさきはふり向けなかった。みさきはまた、家が海の上を流れていくことに身をまかせた。
つづく
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