(文・Longrow)
(写真・写真AC)
NHK NEWS WEBさんのweb記事「それでも、誰かと…」
が公開されました。
このweb記事中に私が登場して、ネットによって人とつながった感覚を得たという話が載っています。
これは
ひきポス第2号「こうして人とつながった」に掲載された
「動画配信サイトでつながる」
という記事に書かれているエピソードを通して、思考と言葉を紡いだ結果自然と出てきたものです。
興味をお持ちになった方、ぜひひきポス第2号をwebショップでご購入ください。
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よろしくお願いいたします。
最初に
常々思っていることがあります。
ひきこもりは「ひきこもりである以前にまず1人の人間」であり、「人間である以前にひきこもり」なのではない。
マウンティングという言葉が生き残る社会
世の中のあちこちには、もう嫌になるほど勝ち負けが溢れています。
例えば去年あたりから「マウンティング」という言葉が広く使われ始めました。
言葉というものは、流行語大賞とやらを見れば分かるように、生まれても簡単に消えていくもの。
なのに、「マウンティング」は消えるどころか立派に市民権を得ている。
今日もこの言葉が世の中のあちこちで聞こえるように感じるのは、決して気のせいではないと思います。
それに加えて、以前流行った”#MeToo”じゃないけれど、みんな「私もマウンティングにはうんざりしている、疲れる」と言いたくて仕方がないのでは?
世の中には「勝ちたがり」があまりに多いから。
敗北に耐えられなくても、人生は続く
でも、勝った負けたの世界から簡単に降りられますか。
私はまだまだその境地に達していません。勝ちたいです。
お金とか、社会的地位とか、家庭とか、欲しくありませんか。
そして、どうしても他人と比べてしまいませんか。
私はそこで敗北感と後悔と自責の念を味わっていました。毎日。
将来に希望を持てるならそんな負の感情にも耐えられるでしょう。
しかし希望を持てないなら。
希望なき敗北なんて絶望そのものに違いないです。
私も、将来の希望はなかった、負け続けていた。
だから負けに耐えるというのは辛く困難なことでした。
でも負け続けていても、人生は続いてしまうのです。
それはもう、しょうがない。
だからその中でもせめて「ラクになる道」を探そうと、他人から見れば空しい頑張りを続けました。
人間として扱われたい
その空しい頑張りの中で行きついた先の1つが、動画配信サイトだったわけです。
私は「格闘ゲーム」が好きだったので、”3rd”という格闘ゲームの大会が開かれるときには、大体そのリアルタイム動画配信を観ていました。
さて、その動画配信を観ている人々は基本的に互いのことを知りません。
ネット上の匿名の関係ですから当然です。
その人の背景など全く知らない。
でもその配信で流れている”3rd”が好きだという背景は共通。
それだけは誰もが等しく持っていて、それが最も重要な世界。
ひきこもりかどうかは関係ない。
だから、彼らはまず第一に「同じ”3rd”を好きな仲間」として扱ってくれる。
同じ人間として扱ってくれる。
…そんな勝ち負けとは違う価値観で動いている場所についてのエピソードと、そこでの私の心の動きを、冒頭で紹介したひきポス第2号「動画配信サイトでつながる」記事に書いたのです。
偏見は要らない、だけど「〇〇な目」も要らない、望むのは…
冒頭で、ひきこもりは「まず第一に人間」である、そう書きました。
これはつまり、
「ひきこもりかどうかで『まず』判断するのでなく、『まず』『ただの』人間として見てみないか」
ということでもあるのです。
私たちが人を見るとき、
「偏見」って必要でしょうか。
「温かな目」って必要でしょうか。
私はただ「フラットな目」が好きです。