(文 喜久井ヤシン)
私は一時期映画を観まくっていた。
一日のほとんどの時間、体がぐったりとして動けなかったので、目をあけているだけでいい映画鑑賞が最良の時間つぶしだった。レンタルショップで10枚いっぺんに借り、それを数日で観終わっては、またすぐに借りに行くのが唯一の外出、という生活をしていた。
誰とも話さずに年間数百本のペースで観ていた中から、今回は「ひきこもり」目線でオススメ映画を選んでみようと思う。私の好みはかたよっているし、重いものばかりだけれど、暗い作品を探している人には参考になるかもしれない。
4部門に分け、3作品ずつピックアップ。計12作品を紹介している。
Ⅰ「ひきこもり」的映画部門
Ⅱ 極上の絶望映画部門
Ⅲ 剥き出しのドキュメンタリー映画部門
Ⅳ 空前絶後の鬱映画部門
ネタバレなしでの紹介。読み飛ばしつつ適当にご覧ください。
Ⅰ「ひきこもり」的映画部門
エンタメやサスペンスも、「ひきこもり」の視点を通して観るとまた違った味わいが生まれてくる。「ひきこもり」目線で選ぶ3本。
Ⅰ‐1 彼とわたしの漂流日記
イ・ヘジュン監督『彼とわたしの漂流日記』2009年 韓国
あらすじ
世の中に絶望した男(チョン・ジェヨン)は川に飛び込んで自殺をはかるが、漂着したのは都会の川のど真ん中にある「無人島」だった。帰還をあきらめた男はオフィスビルを眺めつつ、原人風の「漂流生活」に突入する。そんな男を、望遠カメラを使っていた「ひきこもり」生活中の女性(チョン・リョウォン)が偶然発見する。家族も含めてあらゆる人を避けて生きていた女性だったが、男の観察記録をつけているうちに、新たな心境が芽生えてくる。
「ひきこもり」ポイント
ファンタジックなラブコメディといえる作品だけれど、韓国の「ひきこもり」女性が登場している。それも3年間も誰とも顔を合わせず、母親からの呼びかけにもメールで返事をするだけというガチの「ひきこもり」像だ。母親が登場するのは数十秒のシーンだけだけれど、あきらかに問題を助長させていそうな過干渉ぶりが印象的だった。
「漂流」男は、長く「ひきこもり」女性を知らないままで過ごしていく。結果として女性の生活に影響を与えていくが、「ひきこもり」を解決しようとするような、善意のまったく入っていないところが良い。
ユニークな設定がアクロバットな展開をしていく脚本が傑作。
Ⅰ-2 海の上のピアニスト
ジュゼッペ・トルナトーレ監督『海の上のピアニスト』 1998年 イタリア
あらすじ
海をただよう赤ん坊が船乗りに拾われ、赤ん坊は船から一度も降りることなく成長していく。やがて船の専属のピアニストとなった男(ティム・ロス)は、船の上だけで人々と出会い、船の上だけで世界のことを知っていく。ある時乗船した世界的なピアノ奏者から、どちらの腕前が優れているかを競う勝負を申し込まれるが――。
「ひきこもり」ポイント
ピアニストが陸地に降りようとする場面があるが、「外」の世界に恐怖を感じ、また自分の船の中へと戻っていく。
原作戯曲に象徴的なセリフがある。
『道ひとつとったって、何百万もある。きみたち陸の人間は、どうやって正しい道を見分けられるんだい〔中略〕恐ろしいと思ったことはないのか、きみたちは?そのことを、その果てしのなさを思うだけで、自分がバラバラになっていくという不安に駆られたことはないのかい?』(草皆伸子訳)
超絶技巧のピアニストの音色には、「外」の世界をおそれる繊細な鼓動が混ざっている。
監督は『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)で知られるイタリアの名匠。エンニオ・モリコーネによる音楽にのせて、幻想的なストーリーが奏でられる。
Ⅰ‐3 127時間
ダニー・ボイル監督『127時間』2010年 アメリカ・イギリス
あらすじ
ユタ州にある広大な荒野でアウトドアを楽しむアーロン(ジェームズ・フランコ)だったが、事故によって岩盤の隙間に落下してしまう。落石に腕をはさまれて身動きがとれなくなり、水や食料もわずかしかない。助けを求めて叫び声をあげるが、そこは誰も近づくことのない渓谷で、アーロンを救出する人は現れない。
「ひきこもり」ポイント
あらすじとタイトルで結末が読めるけれど、印象的なのは、最大の問題が解決したあとにも苦難が待ち受けている点。劇的な解決があるのではなく、苦しみを乗り越えてもすぐには終わらないところに、現実の(それこそ閉塞感ある「ひきこもり」の)苦難の道のりと重なって見えるものがある。
身動きの取れない極限状態で、一部グロテスクな表現があるため観ているのがきつい場面もある。けれど『トレインスポッティング』(1996)や『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)の監督だけあって、スタイリッシュなセンスで映像化されている。
Ⅱ 極上の絶望映画部門
気楽な喜劇よりも、心痛む悲劇が人の心には残りやすい。国際映画祭で最高賞を受賞した作品などから、〈絶望〉を感じる3作品を精選。
Ⅱ‐1 ダンサー・イン・ザ・ダーク
ラース・フォン・トリアー監督 2000年 デンマーク
カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作
あらすじ
息子と二人で暮らしている女性セルマ(ビョーク)は、徐々に視力がなくなっていく病気にかかっていた。息子にも病気が遺伝したことから、手術代を稼ぐために日々働いているが、見通しは立たない。そんな中、ある出来事をきっかけにセルマは事件を起こしてしまう。
絶望ポイント
奇才監督と奇才音楽家が化学反応を起こし、ドキュメンタリー調ミュージカルという類例のない作例を成功させた。愛や希望が世界を救うのではなく、愛と希望があるからこそむしろ痛々しい。
監督のラース・フォン・トリアーは、『奇跡の海』や『アンチクライスト』などでも、人への愛情で変質していく心理を描いている。人の暗部を生みだすのが、憎悪ではなく愛情であるところに、この監督の異質な才能があるように思う。
Ⅱ‐2 桜桃の味
アッバス・キアロスタミ監督『桜桃の味』1997年 イラン
カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作 ※DVD化されています。
あらすじ
中年男性のバディは、表情の消えた顔で荒地の広がるテヘラン郊外を回り、目を止めた人々に奇妙な依頼をする。しかし人々はその依頼を断り、バディを遠ざける。バディはまた荒れた土地をさまよい、見つけた人に依頼事を話すが、また断られる。
やがてその依頼の話は、バディが穴の中で自殺したあとで、その穴に土をかけて埋めてくれという、死に関したことだとわかる――。
絶望ポイント
約1時間半のほぼ全編にわたって、男が死に場所を求めてさまよいつづけるという沈鬱な作品。救いのなさを表すような荒野の景色や、テヘランで出会う人々の表情など見所はある。しかしこの作品がパルムドールを得たのは、映画史上に残る奇跡の数十秒を含むためだ。映像表現が成しとげたありえないほどの大技に、私は初見の際に唖然となった。暗闇が深いのは、どんなかすかな光をも見逃さないためだという。この映画は、死を思索する長い暗闇の果てに、いきなり太陽を見せつけてくる。
評論家の淀川長治氏も絶賛した名作。
Ⅱ‐3 機械じかけのピアノのための未完成の戯曲
ニキータ・ミハルコフ監督『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』1980年 ロシア
あらすじ
19世紀末のロシアを舞台に、平和な風景の中で過ごす貴族たちの閑暇が描かれる。自動演奏のピアノの音色を楽しむなど、牧歌的な日々を過ごしていたが、予期せぬ波乱から、人間関係にひびが入っていく。
アントン・チェーホフの複数の戯曲・小説を原作とした作品。
「ひきこもり」ポイント
貴族たちはおおらかに過ごしているが、実際には先行きの見えない、ゆっくりと衰退していくほかない静かな絶望を生きている。平和的な光景があっても、ただ年老いて死んでいくだけ、という諦観が含まれている。チェーホフの原作のように、見かけの平穏さと内面の悲壮感にはギャップがあり、「ひきこもり」と共通する心理があるように思われる。
無名だけれど、私にとっては味わいの深い、忘れえぬ一作になっている。
Ⅲ 剥き出しのドキュメンタリー映画部門
フィクションに比べると影の薄いドキュメンタリー映画だけれど、そこにしかない世界が見える。国内のドキュメンタリーから3作品を紹介する。
Ⅲ‐1 home
小林貴裕監督『home』2002年 日本
作品
7年間家の中にひきこもっている兄に、日本映画学校に所属する弟はカメラを向ける。強迫観念にかられる兄の姿や、自身も病気をかかえる母親の姿など、「ひきこもり」のいる家庭の内部が赤裸々に描かれる。
剥き出しポイント
本作はDVD販売されておらず、「ひきこもり」に関するイベントなどで上映をくり返してきた。乱雑な部屋の様子や突然の失踪など、枠に収まらないドキュメンタリーならではのリアルさがある。
個人的に印象深かった場面に、母親が「ひきこもり」の兄に向かって謝罪をした時の言動がある。「ごめんね」の言葉が何も解決せず、むしろ関係性を問題にさせる根っこでさえあるような、多くを考えさせるシーンだった。
Ⅲ‐2 精神
想田和弘監督『精神』 2008年 日本
釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞受賞作
作品
政治を喜劇的に切りとった『選挙』、劇作家の平田オリザに迫った『演劇』がある、想田監督による「観察映画」の一つ。外来の精神科診療所「こらーる岡山」に集う患者たちの様子を、カメラは説明を加えることなく淡々と映し出す。
剥き出しポイント
語りだす人々は、はじめどのような人かわからない。ある女性は、子どもについてとつとつと語り、聴き手はなかなか話の全体像をつかむことができない。やがてその人は、赤ん坊が泣き止まないことに混乱し、口をふさいで息の根をとめてしまった母親であることがわかる。
図式的な解釈を拒む、生身の顔と声とが映されている。
Ⅲ‐3 新しい神様
土屋豊監督『新しい神様』 1999年 日本
作品
生きづらさやプレカリアート問題への発言で知られる、雨宮処凛が主役のドキュメンタリー。右翼パンクバンドのライブや、北朝鮮でのよど号グループとの飲み会など、作家になる以前の過激な活動が記録されている。
剥き出しポイント
極右から極左へのふり幅が大きい、雨宮処凛の生命力がぶっ飛んでいる。のちの著書のタイトル『生きさせろ!』のように、ブレーキをもたずに社会の中へと突っ込んでいく姿に衝撃を受ける。100分ほどの上映時間があっという間に過ぎていった、エネルギッシュな一本。
Ⅳ 空前絶後の鬱映画部門
もはや「暗い」とか「重い」とかいうレベルではなく、人間とは何かを苦悩した極限の作品がある。世紀の〈絶望映画〉3選。
Ⅳ‐1 ジョニーは戦場へ行った
ダルトン・トランボ監督『ジョニーは戦場へ行った』 1971年 アメリカ
作品
戦争によって、両手、両足、視力、聴力、嗅覚を失い、たった一言の声を発することもできなくなった兵士が描かれる。「生きた肉塊」となった兵士は頭部を動かすことしかできず、意識があることすら身近な人に伝えることができない。
『ローマの休日』(1953)や『スパルタカス』(1960)などで知られる脚本家ダルトン・トランボが、原作・脚本・監督を務めた究極の反戦映画。
鬱ポイント
映画でケガや障碍が出てくることは珍しくないけれど、本作は意思疎通すらできない、絶対的に希望のない境地が描かれる。人間的な活動の一切が不可能になっても、なおも思考と欲求が続き、死ぬこともできない。人間とは何か。戦争とは何か。その根源を突きつけられる。
Ⅳ‐2 裸の島
新藤兼人監督『裸の島』1960年 日本
モスクワ国際映画祭グランプリ
作品
夫婦(乙羽信子・殿山泰司)は瀬戸内海に浮かぶ小島で作物を育てて暮らしていたが、島には水道もなく、雨が降ることもない。夫婦は隣の島まで小船で水を汲みに行き、急斜面を登って農作物にわずかな水を撒く。来る日も来る日もわずかな水のために行き来する、過酷な生活をつづけていた。夫婦にとって子供ができたことは喜びだったが、その子供にも不幸がおこり――。
鬱ポイント
人間がいかに苦しもうとも、海はあり、島はある。極貧の暮らしに無情な参事がふりかかろうとも、モノクロ映像による自然の風景の中で、時に人間は小さな影でしかない。辛く地道な暮らしがひしひしと描かれるが、それが救いにつづいているわけでもない。
本作のラストシーンで、母親はあまりの惨状に泣き崩れるが、その次に見せた動作に私は震撼した。人とはこのようなものだ、という人生に対する宣誓(せんせい)をした一場面だった。
Ⅳ‐3 ブルー
デレク・ジャーマン監督『ブルー』 1993年 イギリス
作品
『セバスチャン』(1975)や『カラヴァッジオ』(1986)などで知られる、イギリスの異才デレク・ジャーマン監督の遺作。エイズによってほぼ盲目の状態で制作されており、人や物が映るような映像はなく、全編にわたり青一色のみが映し出される。朗読や音楽によって成り立つ作品。
鬱ポイント
色以外に映されるものがないという、「映画」表現の極地になっている。けれど私的にして詩的な語りによって、ブルー一色のはずの画面がめくるめく彩色を帯びて見えてくるのが不思議だ。芸術と愛――性愛を強く含んだ――を生きた一人の人間が聴衆に遺した、これは夢幻の走馬燈なのかもしれない。
ご覧いただきありがとうございました。
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