こんにちは!ワケあり女子です。
先週もいきなり休載してすみません泣。急な引っ越しで心身ともにバテておりました・・・
って、ワケあり女子ならぬ言いワケ女子になりそうです汗。残暑やら雷やらまだまだ試練が続きますが、
みなさまどうか無事にこの夏を乗り切ってくださいね。それでは「ワケあり女子のワケのワケ」、今週もよろしくお願いします!
(これから記述するひきこもり期、おもに15歳から18歳頃までの出来事については、
本人の記憶が曖昧なため、時系列など一部正確でない可能性があります。)
新鮮な世界
一人暮らしを始め、親から離れる技術を一つずつ身につけていきながら、
私はそれまであまり深く付き合わなかったタイプの友人と関わるようになった。
今まで通りの友人関係を維持することに大きな苦痛を感じたし、
彼ら・彼女たちのいる夜の闇の世界に居場所があるかもしれないと感じたからだ。
そうした友人たちのうち1人は中学の同級生だった。
私が勉強を教えてあげた、小学校の算数でつまずいていた、あの子である。
彼女は地元の農業高校に進学していた。
中学の時に一度その高校へ体験学習に行ったことがある。
鶏小屋や豚小屋、牛小屋の手入れで私はヘトヘトだったけれど、
在校生の金髪のお兄さんが「豚はかわいいよ」といって楽しそうに世話をしていたことを覚えている。
けれど普通科高校と違って学力の比重が高くない農業高校は必然的に偏差値が低めになり、
いわゆる「底辺高校」とか「ヤンキー高校」といった見られ方をしていた。
ずっと進学校にいた私には、彼女たちの世界がとても新鮮だった。
夜中に家を抜け出して、男友達の運転する車に乗って、深夜のカラオケで遊んだり、
真っ暗な海や山に行ったり、夜道を飛ばして走ったりした。楽しかった。
そこでは「学校へ行っていないこと」は特別視されなかったし、
むしろ「学校なんてクソだよね」という話で盛り上がれたりした。
高校格差
けれどある日、私は彼女たちと自分の間にある決定的な差を感じた。
何気ない会話の中で彼女が、高校で資格試験の勉強をさせられて大変だと言う。
なんの資格かと尋ねたら、「危険物取扱者」だというのだ。私は衝撃を受けた。
こちらは高校1年生の頃から大学受験を意識させられ、
優雅に(?)百人一首を覚えさせられたりなどしているのに、
同じ頃に彼女たちはいわゆる「3K」のうちの一つ、
「危険」物を取り扱う仕事に就くための準備をさせられているのだ、と思った。
危険物取扱者がどのような資格で、どのような職種につくのかあまり想像がつかなかったけれど、
進学校にいたら決して聞かなかっただろうその言葉の響きは私を揺さぶるのに充分だった。
ひょっとしてこれまでの私は大きな過ちを犯していたのかもしれない-。
信念が揺らぐ
それまで私は、努力して自分の能力を伸ばすことがひいては社会のためになると信じて疑わなかった。
さまざまな能力を獲得して、いずれその能力を社会に還元することを目指していた。
しかし私が今まで行ってきたのは、しょせん学歴社会の中での優劣を競う努力でしかなかったのだ。
そしてその努力は、無意識のうちに誰かを蹴落としてきたかもしれない。
私はいったい今までに何人蹴落としてきたんだろう?
後悔とも罪悪感とも形容しがたい思いで胸が詰まりそうになった。
「社会のため」という耳触りのいい言葉で自分をごまかしてきたけれど、
実は自分が壁の向こうの安全地帯に逃げ込むための口実だったんじゃないのか?
目の前の友人との間に壁を感じてしまった自分が、ひどく狡猾で汚らしい人間に思えた。
そして、少なくともこの学歴社会の中で、
「自分のため=自分の能力を伸ばすため」の努力はもう嫌だ、二度としたくないと思うようになった。
学校の役割って?
そうした自分への失望と同時に、思い出したのはやはり学校のことだった。
彼女はおそらくかなり早い段階で、学習の成果を上げることを学校から放棄されていた。
つまりずっと学習につまずいたまま、誰にも助けてもらえていなかった。
彼女はその後妊娠・出産により高校を中退し、
不安定な職を転々としながら結婚・出産・離婚を繰り返し、精神も落ち込み気味で、
友人たちともほとんど会えなくなってしまった。
彼女の人生をどうこう言う資格は私には決してないけれど、それでも、
彼女が自分の欲しい未来の選択肢を拡げるチャンスがあったとすれば、
それはやはり学校だったのではないかと思うのだ。
彼女自身もやはり不安定な生育環境に育っていた。
貧困の連鎖を止められるのは教育しかない。
けれど学校は彼女を放置した。
学校の役割って、何なんだろう。今でもよく考える。
彼女が笑うために、私はいったい、どうすればよかったんだろう。
(著・ワケあり女子)