・・・「ひきこもり名人となった私(5)」からのつづき
ぼそっと池井多 ひきこもり名人が和歌山の山奥に
自分の住む小屋を建てた、
と聞いて、私がはじめ勝手な想像をしたのはね、
こういうことでした。
お母さまが要介護5になって、
お父さまはまだ健康的に動き回れる状態である、とすると、
家庭内三国志のなかで、お父さまと名人の対立が
よけい顕在化してしまうというようなことが起こってしまった。
それで名人が、
「これはちょっと家を出て、和歌山の山奥にでも引っこもうか」
と考えたのではないか、
などということを想像したのです。
しかし、そういうことではなかったのですね。
ひきこもり名人 ぜんぜんそういうことではありませんね。
いま父が79、そして母が73だけど今言ったように要介護5
という状態だから、
「そろそろ両親が亡くなる」
というのは極めて現実的な話であって、
すると、両親はいなくなるけれども、
ぼくが住んでいる団地は残るわけですよね。
でも、ぼくの経済力(障害年金)ではそこは維持できない。
だから、団地は売って処分して、と考える。
ぼくも一人っ子じゃなくて妹がいるから、
団地を売ったぶんを分け与えると、
もう、いくらにもならないだろう、と。
もうぼくが40年くらい住んでいる団地ですから、
資産価値はもういくらもないであろう、と。
「親が死んだらどうしよう」
なんて言って、みんなで喧々諤々(けんけんがくがく)やっているうちは、まだ幸せなんですよ。
あんなものは、
みんなで酒を飲みながら妄想を語っているだけですから。
ぼくの家は、もう親が死にかけているわけですから。
「親亡き後」というのが、ひじょうに現実化してきたときに、
どう考えるか。
……。
……。
(詳しくは映像をごらんください。)
・・・「ひきこもり名人となった私(7)」へつづく