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【ひきこもりと地方】福井のひきこもり支援者 西見幸雄さんインタビュー後篇「福井のひきこもりの多さは人口比全国トップだと思う」

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前篇からのつづき・・・

 

福井という地方性とひきこもり

ぼそっと池井多 東京など都会のひきこもりと、地方のひきこもりの違いといったことを知りたいのですが、西見さんからごらんになって、福井のひきこもりの暮らし方は、たとえば東京や神奈川と比べてどうですか。たとえば福井には居場所が少ないとか、居場所までたどりつくのに時間がかかるとか。

西見 逆にぼくは、東京周辺のひきこもりの生活を知らないので、なんとも言えません。福井の状態を「こんなもんかな」と思って過ごしていますので。逆に東京の方のことを知りたいです。

ぼそっと池井多 なるほど、それもそうですね。たとえば福井では、居場所はありますか。

西見 あります。私の友達が、仕事を持ちながら、わざわざ家賃を払って、物件を借りて、ひきこもりたちがいつ来てもよいような居場所にしています。二十代から四十代のひきこもり当事者たちが集まってきているようです。

ぼそっと池井多 家賃を払っている方は、純然たるボランティアとしてやっていらっしゃるのですか。

西見 その方は、そのことに生きがいを感じていらっしゃるんですよ。

ぼそっと池井多 なるほど。西見さんは、福井県の中のどのへんにお住まいでしたっけ。

西見 私は福井市内です。

ぼそっと池井多 民間人がお金を出さなくても、たとえば市や町が公民館の一部を使わせるとか、そういうお話は出てきませんか。

西見 どうでしょうね。何か朗読会とか企画を出せば、その時は市の施設を貸してくれるかもしれませんが。いま福井市は赤字なので、どんどん公共施設はなくなってきているのです。学校でも、経費不足から学校のプールを使わなくなっている所があります。

ぼそっと池井多 ひきこもりの当事者会はあるわけですよね。

 

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西見 はい。

先ほど言った「やよい会」の中に「18歳以上の会」というのがあって、ひきこもり当事者たちが集まってきています。私も予定が重ならないときは、顔を出すようにしています。しかし、そこはやはり当事者というより親ですね。当事者本人は基本的に、そういうところへは来ないので。たまに親に連れられて、当事者が来ることもあるけど。

ぼそっと池井多 「やよい会」というのは、KHJの福井支部というわけではないんですね。

西見 いいえ。KHJ福井支部もあるにはあったんですけど、最近はちょっと休止状態みたいです。

 

近所に住むひきこもりとつながるには

ぼそっと池井多 たとえば今日は、神奈川のフリフリフェスタというひきこもり系イベントがあって、いまインタビューをしている私たちの横ではひきこもり当事者・経験者の方たちがお疲れ会をやっているわけですが、地方でもこういうふうに、ひきこもりが集まるイベントというのはよくありますか。

西見 あんまりないですね。

ぼそっと池井多 福井県内のひきこもりが、同じ福井県内に住む他のひきこもりとつながりたいと思ったら、どういう手段があるんでしょうか。

西見 親の会の関係でつながってもらうとか、……ですかね。

ぼそっと池井多 やはり親の会を経由しないと、ひきこもり同士はつながれないのでしょうか。

西見 まあ、親の会にもいろいろあって、どっちかっていうと、学校寄りの親の会が多いんですよ。大学とか、教育機関が主導している親の会が多くて、そういうところは、建前上は子どものこと考えているように言ってますけど、じっさいは子どもの視点に立って考えてないですね。最終的には教育機関の論理が通っていきます。

ぼそっと池井多 ようするに、学校の下部組織みたいになっている親の会ということですかね。地方のひきこもりは、当事者独自のネットワークもなければ、当事者ミーティングもなくて、情報も親の会に依存しているというわけですね。

西見 そうです。ぼくが深く関わっている地元の50代のひきこもり当事者の方も、インターネットがないんですよ。連絡も、メールではなくて、携帯に電話するしかない。

ぼそっと池井多 東京と福井で、ひきこもり支援者・関係者の、ひきこもりに対する考え方の違いのようなものはお感じになりますか。

西見 東京のひきこもり関係者の皆さんの考え方というのを、私が上京した折にいろいろ聞いて、それを福井にフィードバックしている状態ですね。

ぼそっと池井多 「福井は、人口比率でいうと、ひきこもりの多さは全国トップである」

というようなことを、以前フェイスブックで書いておられましたね。

西見 統計を取ったわけではないけど、観ていると、そう思いますよ。だいたい人口の1割はなんらかの意味でひきこもり。400人の町だったら、1割の40人はひきこもりです。

地方は、仕事がない。仕事がないから収入がない。仕事がないからやることがない。だから、家でひきこもりになるのです。地方は、働いている人は少ないと思います。

ぼそっと池井多 「統計がない」というのが、いつもひきこもり関連の問題を語る時のネックになるわけですが、私は西見さん以外にも、福井の方から同じような話をうかがうのですよ。福井はひきこもり率が多い、と。だから、これはかなり確かなことなのでしょう。でも、これはいったいなぜなんだろう。全国の中で福井だけが過疎で悩む地方というわけではないでしょうに。福井という地方には、いったい他にどういう特色があるのでしょうか。

 

キッチリしていて息苦しい土地柄

西見 そうですね。学校に入って分かったんですけど、福井は土地柄として、何でもかんでも非常にキッチリしている。学校の先生たちも、みんなキッチリしているんです。だから、秩序正しく物事が進んで、その点では良いんだけれども、ものすごく息苦しく感じられることがあります。

ぼそっと池井多 たとえば福島県会津地方には、いまだに会津藩の気風が残っているように、その福井の「キッチリしている」というのは、越前福井藩の気風だったんでしょうかね。

西見 昔は昔で、福井は良いところだったと思いますよ。明治以降の福井というのは、また別なんじゃないですかね。

今の福井では、学校では体罰がまだ残っています。罰で校庭を3周走らせる、なんてことは平気でやっていますよ。ほんとに素晴らしい先生という人もいるにはいるんだけど、学校がキッチリしているものだから、生徒は息苦しくてしょうがない。学校が楽しくてしょうがない、なんていう生徒は、私は見たことがない。

ぼそっと池井多 西見さんのような方が学校の相談室に入って、学校の先生方に助言して、そういう学校の側面がじょじょに変わってきている、といったことはありますか。

西見 それはないでしょうね。個人的につきあいのある先生では、たしょうの変化はあったかもしれませんが、学校というシステムでは、それはないというか。

先生は先生で、人間関係グシャグシャな人も多いし。

いじめっていうのも、現場に入ってわかったんですが、先生から生徒へのいじめっていうのもあるんですよ。もしかしたら、先生は生徒をいじめている意識はまったくないのかもしれませんけど、傍から見たら、「あんなの、いじめでしょう」というものがあります。

ぼくが6年前に学校の教育現場に入ったときには、てっきりヤクザが学校に来たのかと思ったら、その人も先生だったんですね。あとからわかってきたんだけど、先生方の間でそういう役割分担もあるみたいです。強面の係の先生、みたいな。

そういう先生におどされて、そのまま不登校、ひきこもりになっていく生徒というのも、いると思うんです。

福井は見栄っ張りなところもあるので、自分の子どもがひきこもりになっても、ぜったい隣近所には言わない。だから、隣近所の人も、ひきこもりの存在にぜんぜん気がついていない。

家族会を立ち上げてみたら、たまたますぐ近くの家の親御さん同士がばったりそこで会ったりする。

「え、あの家の息子さんがひきこもりになっていたなんて、初めて知った。同じ町内なのに、ぜんぜん知らなかった」

などということが、家族会経由ではじめてわかったりするのです。

ひきこもりの子がいることを何年もお互い隠しながら、近くに住んでいたわけです。

東京など都会のほうが、そのへんはカラッとしている感じがします。

 

地方のひきこもりにこそ「ひきポス」を

ぼそっと池井多 私は、地方で孤立しているひきこもりたちに、どうやって「ひきポス」という当事者メディアの存在を知っていただけるか、しきりに考えているのです。それぞれ孤立しているひきこもりたちに、どのようにしたら「自分一人じゃない」と知っていただけるか、と。

それには、まず私が、地方のひきこもりの方々の現状を知らなすぎる。私自身、東京でひきこもっているから、地方のひきこもりの方々と、……とくにインターネットのない当事者の方々と、接触するのがむずかしい。だから、そういう意味でも、今後とも西見さんにはいろいろ教えていただきたいと思っております。よろしくお願いいたします。

西見 こちらこそよろしくです。

ぼそっと池井多 ひきこもりは、ひきこもりとして生きていけばよくて、そのために、ひきこもりがひきこもりのまま、孤立もしないで生きていける社会的素地を整える必要がある、と私は思います。それをどうしたらいいか、ということですね。

西見 そうですね。ぼくもずっとそう思ってました。ひきこもりを無理やり働かせるのではなく。

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ホルンはひきこもり

ぼそっと池井多 いつだかフェイスブックに、西見さんが、

「マーラーはホルンが大活躍なんです」

と書かれていたことがあって、私はピンと来ました。まさにそうですよね。

マーラーは、角笛とか、子どものころに聞いた音楽の原点みたいなものが後年のオーケストレーションにすごく役立っている感じがするんですが、そういう彼にとって、まさにホルンは格好の楽器だったのでしょう。西見さんはいつからホルンを始められたのですか。

西見 中学、高校、大学とホルンをやって、社会人になってオーケストラをやって、プロのアンサンブルなどのオーディションも受けました。プロのホルン奏者になろうとしていたわけではありませんが、それくらいホルンを演奏するのは私にとっては歓びだったわけです。しかしその後、会社での無理がたたって、やめることになりました。20年ほどやめていたところ、中学の時のOBバンドができるという話が来て、また再開したのです。

私に言わせると、ひきこもりはホルンなんです。音が、トランペットのように開放系ではなく、内にこもることによって倍音が出る。エネルギーがこもっていくことによって本領が発揮される。これはひきこもりです。

ぼそっと池井多 なるほど、それは至言ですね。

 

 (了)