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不登校ひきこもりだった私(3)一ヵ月しか持たなかった大学生活


不登校ひきこもりだった私003

 

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・・・からのつづき

 

林恭子 自宅から電車を4本も
 乗り継いでいかなくてはならない大学に
 入ってしまいました。
 
 当時はまだ心身の状態もすごく悪かったので、
 朝、それだけの電車を乗り継いで、
 大学という所へ行って
 授業を受けたり、
 同級生と交流をするということが
 できるような状態ではありませんでした。
 
 でも、
 
 大学へは行かないと、
 私の人生は終わってしまう
 
 と思っていましたから、
 なんとか一か月間は、もう必死で通っていました。
 
 でも、ゴールデンウィークに通えなくなってしまいました。
 
 「もう行けないな」
 
 と思いましたので、大学を中退しました。
 
 母からは、
 
 「学校に行かないのならば、働きなさい」
 
 と言われましたので、
 アルバイトを探しました。
 
 昼夜逆転してましたので、
 午後からの仕事を探すしかないな、と思って。
 
ぼそっと池井多 大学なんてバカバカしくて、
 「こんな所へ通ってられないよ」
 と思って辞めたわけではないのですね。
 
林恭子 ええ、私の場合は、
 「選択不登校」として大学を中退したわけではありません。
 
 むしろ、
 
 「いきなり落とし穴に落ちた
 
 みたいな感じでしたし、
 
 「あってはいけないことが、
 自分の身の上にふりかかってしまった
 
 という感じでしたね。
 
ぼそっと池井多 なるほど。
 
 「まさか、この自分が
 大学へ行けなくなるなんて
 
 という感じですかね。
 
 よくわかります…。
 
 そのころは、いわゆる「母親問題」は、
 まだ意識の表面には出ていなかったですか。
 
林恭子 まったく出ていなかったです。
 
 でも、母に対する違和感は、ありました。
 
 いわゆる「お母さん」というものへのイメージを、
 うちの母は持っていませんでしたから、
 その点、違和感を持つことはあったのです。
 
 うちの母は、
 よそのお母さんとはなんか違うな
 
 ということだけは、
 なんだか薄っすらと思ってはいましたが。
 
……。
……。
(詳しくは冒頭の映像をごらんください。)
 
 

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