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「仕方ないから生きる」の前向きさ

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(文・湊 うさみん)

(注)この記事は自殺についての記述があります。

 

 

 

自殺未遂をした。

 

就職活動に90社落ちて、自分には才能があると信じてずっと書き続けてきた小説もまったく評価されなくて、精神的におかしくなってしまった。

 

「これでダメならもう諦めよう」と思って投稿した小説は一次選考止まり。才能のある人は初投稿で受賞できるのに、尋常じゃないほどの才能のなさだ。

 

落選を知った日はずっと泣いてて、どれだけ涙を流しても涙は枯れないんだと不思議になるくらいだった。その次の日、ほんの少しだけ冷静さを取り戻した私は、手のひらに乗りきらないくらいの大量の錠剤を用意した。

 

でも、バカだった。用意したのは二百錠程度。雨宮処凛さんの「自殺のコスト」によると一万錠は飲まないと死ねないような、安全性が高すぎる薬だった。

 

それを吐き気と戦いながら無理やり胃の中に水で流し込んだ。死ねなかった。もっとちゃんと調べてから自殺すればよかったのに。首を吊れるようないい場所が部屋になかったことも運が悪かった。

 

バカだから生き残ったのだ。もうちょっとお利口だったから、こうしてひきポス用の原稿を書くこともなかっただろう。

 

その後、知ったことがある。日本財団の調査によると、一年間に自殺未遂をした人は53万人とのことだ。一年の自殺者はご存知の通り、三万人程度。

 

愕然とした。

 

自殺を成功させられるのは18人に1人程度。東大であれば志願者の3~4人に1人が合格している。司法試験なら4人に1人。つまり、自殺というのはとんでもなく難易度の高い行為だ。

 

私には思い切りもないし憶病だし、しかも落ちこぼれだ。「心を病んだ人のエリート」のみが成功させられる自殺を、私が達成できるわけがない。実際、あとちょっとのところで死ねたというわけではなく、昏倒したレベルなので障害も残っていない。

 

いざとなったら死んでしまえばいいと思っていた。けれど、自殺という切り札は、成功率5~6%程度しかない。

 

自殺というのは、ごく一部の優秀な人だけのみに許されたやり方であり、一般人以下の私には到底できやしない。

 

今現在もなお底辺で這いつくばっているけれど、もう自殺をしようという気はない。やっても成功させるのは不可能だろうということが体験を通じてわかったからだ。

 

緊急搬送されて障害が残るレベルにまでいっていたなら、もう一回チャレンジしてみればワンチャンスあるかもしれないけれど、私のように思い切りのない人間には無理だ。

 

自殺できるとしたら、安楽死を認めている国へ行ってマーシトロン(自殺ほう助装置)を使うくらいだろうか。しかし、いきなり行って「殺してください」と言ったところで自殺させてくれるとは思えない。

 

そのことを自覚すると「仕方ないから生きようか……」と後ろ向きながら考えることができた。あると思っていたはずの自殺という逃げ道はないも同然だから、生きる以外にないからだ。

 

それに、自殺未遂をしたことで溜まっていた自殺欲みたいなものを放出させて多少スッキリしたというのもある。

 

そもそも、今が人生の底辺に位置しているのだから、これ以上落ちるための穴がないとも言える。私の人生はこれ以上は悪くはならないという安心感みたいなものがあるとほんの少し……ホントに少しだけど前向きになれるのだ。

 

しかし、多少精神がまともになったとはいえ、状況は変わっていない。十年以上書いていた小説も、「どうせ自分の小説はつまらないんだろう」と完全に自信喪失してしまい、書けなくなってしまった。

 

90社落ちたときよりも年齢は増えているのだから、普通に就職もできるとは思えない。そもそも私が人事担当だったとしたら、私なんて絶対に採用しない。面接で人の目を見られない奴はダメだ。

 

それでも、生きていれば道が開ける可能性はないわけじゃない。1パーセントもないんだろうけど、完全にゼロではない。そのことに望みを託して生きていくしかない。

 

ただ、最近は「自殺がダメなら体に悪いことばかりをやって病死するのはどうだろう?」と考えてたりもしている、けど、自殺という選択肢が除外されたせいか昔と比べて多少は前向きになっている。

 

「仕方ないから」と「死ねないから」といった理由で生きるのは前向きなのかはわからないけれど、死ぬという選択をするよりかはマシなのだ、きっと。

 

もう少しだけ、頑張って生きてみよう。