文・ぼそっと池井多
私はひきこもり当事者だが、ひきこもり親の会や家族会へ行くことが多い。私自身がひきこもりとしては、やや年齢が上だということもある。いわゆる「中高年のひきこもり」であり、「8050問題の50」当事者である。
すると、ひきこもりの親御さんとは、そんなに齢が離れていないことになる。「昭和脳」の私は、70代までならば、まだ同世代的な会話が楽しめる。
50代の親御さんとなると、これはもう、完全に同世代である。お話ししているうちに、
「もし、自分も子どもを持つ人生を選んでいたら、今頃この方のような悩んでいたかもしれない」
と思ったりする。
また、子どもが10代で不登校でひきこもっている、などという親御さんはたいてい40代であり、私からすると「若い人」である。
子どもの立場であるはずの私が、親の立場である人を、自分の子どものように感じるのである。
ひきこもりの父親だと見られて
ひきこもり親の会へ行くと、はじめ私は、まるで一人のひきこもりの父親のような顔をして客席に座っていることになる。
べつに「ひきこもりの父」になりすます意図はない。ふつうに座っていると、なにやらそう見えてしまうのである。
私は態度がふてぶてしいのか、なぜかひきこもり当事者と見られることが少ない。横に座っている、ひきこもりのお母さんと思しき人が、
「おたくのお子さん、おいくつなんですか。うちはもう30になるんですよ。なのに、もう、ぜんぜん出てこなくって…」
などと話し始める。
そこで私が、
「私の子どもですか。私は子どもおりませんが。ひきこもりなので」
などと正直に答えると、どういうわけかそのお母さんは狐につままれたようにキョトンとした顔になるのである。
親の会が一転して戦場に…
やがて講師の方への質疑応答の時間になると、ようやく私は会場を埋め尽くしている親御さんたち全員に向けて、
「自分はひきこもり当事者でありまして…」
とカミングアウトする機会を得る。
そして、ひきこもり当事者の立場から「専門家」を名乗る講師へ質問する。ここで「専門家」が、当事者のことをぜんぜん理解していないときは、私の質問は砲撃を兼ねることになる。
講師が私に反撃してくると思いきや、存外そうはならない。反撃してくるのは、「専門家」講師よりもむしろ、客席に座っている他の親御さんだったりするからである。
ときには、講師は壇上に立ち尽くしたまま、手をこまねいていて、客席のあちらとこちらで、ひきこもりの親とひきこもりの子どもの私が議論を激化させていくこともある。
こうなると、ひきこもり親の会の会場は、一転して戦場と化する。
ひきこもり当事者としての子どもの論理と、子どもをひきこもりから引っぱり出そうとする親の論理が、正面対決して火花を散らすのである。
ところが、これは冒頭に写真を掲げた武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いのように、互角の戦いとはならない。
なぜならば、しょせんそこはもともと親の会であるから、当事者である私は圧倒的に兵力が少なくアウェイなのである。
私は、サッカーのことはわからないが、ときどきテレビなどで観るサッカーの国際試合でいわれる「アウェイ」なんぞは、まだしも可愛い方だと思う。なぜならば、あれは、左右を見れば、自分の味方がチームとしているのだから。
ところが、ひきこもり当事者が単身、ひきこもり親の会へ斬りこんでいったとなると、いざ斬り合いが始まったときには、アウェイもアウェイ、ファーラェイの四面楚歌なのである。
お互い言いたいことを言い尽くす快感
キッタハッタで戦って、ときにはボロボロになって帰ってくる。ところが、それがけっこう快感だったりする。道場破りに行って、大暴れして帰ってきたような後味なのである。
ところが、こうして事後の快感を味わっているのは、どうやら私の側だけではないことがわかってきた。親御さんの側も、なにやらスッとするらしいのである。
親御さんは、日頃ひきこもり当事者の子どもと、心ゆくまで言葉をぶつけあうことがない。そんなことをしたら、家庭が戦場になってしまうからである。
私が若い頃に、
「24時間戦えますか」
などという、おぞましい軍歌のような栄養ドリンクの宣伝があったが、家庭が戦場となると、まさに24時間戦わなくてはならない。
「それはしんどい」という無意識の計算が働き、親御さんとしては、家庭のなかで開戦の火ぶたを切ることはない。そのため膠着状態の冷戦がつづいている。
子どもは口を聞いてくれない。親の側も口を聞かない。
お互い、ふと立てた小さな生活音などでビクビクとお互いの肚(はら)の内をさぐりあいながら、じめじめと行き詰った生活を送っている。
戦端が開かれないから、親も子どもに対して、言いたいことが言えない。聞きたいことも聞けない。それで、いろいろな思いが心の中に溜まってメタンガスを発生させている。このメタンガスが、さらに思考を停滞させ、脳の老化を促進しているのである。
ところが、親の会に出てきたところ、なにやら訳の分からないぼそっと池井多という中高年のひきこもり当事者がやってきて、うちの子が言いそうな、ひきこもりの論理をひとくさりもふたくさりも偉そうに述べ始めたとなれば、これはもう我慢できなくなって、親の側の憤懣をぶつけてみた。
すると、子の側の憤懣が投げ返されてきた。
だから、こっちもムキになって、ひごろ子どもに言えないことを爆発させ、口から火を噴いた。思わず脳が活性化した……。
と、親御さんはそんな時間が過ごせたわけである。
火を噴いてみると、「自分はそんなことを考えていたんだ」とわかった、とおっしゃった方もいた。
会が終わって、私が失礼して帰るころには、さっきまで私と大激論を交わしていた親御さんがちょっと照れくさそうに、満面の笑顔で、
「うちの会にも、またどうぞ来てください」
などと言ってくれたりする。
あながち、社交辞令でもなさそうだ。そのまま、私の手を取ってくれたりするのは、
「ほんとうですよ」
という意味のダメ押しではないのか。
これには私も、なにやら日本酒のぬる燗でも飲んだかのように、ぽっと顔を赤らめ、
「ええ、ええ。ぜひまた」
なんぞと申し上げ、上機嫌で帰ってくるのである。
ここで一つの提案を…
こういう体験を何度かするうちに、最近、私はあちこちの親の会で、一つの企画を提案するようになってきた。
早い話が、
「私と喧嘩しませんか」
という企画である。
「私が行く前に、そちらさまの親の会で、代表選手として前に出る親御さんを決めておいていただけませんか。その場になると、なかなか決まらないだろうから。
そして私が行ったら、その代表選手の方は壇上で私と『親の論理』『子の論理』をぶつけあい、対話をしていただくのです。
対話といっても、おだやかなものに留まらず、激論になるかもしれない。でも、それでいいじゃありませんか。ぶつかってみましょう」
などと持ちかけている。
いまだに一回も実現には至っていないが、
「けっこう良い企画かも」
という反応を示してくださっている親の会が、二、三ある。
ひきこもり親の会は、どこも手詰まり状態のところが多い。
ただ集まって、なにか名の通った専門家を招いて、かしこまって話を聞いて、二度とは読み返さないメモを取って、ちょっとした茶話会を開いて、それで何か自分の家のひきこもり問題を解決に向かわせている気分になって、家に帰ってくる。
しかし、醒めた目で家の中を見回してみれば、子どもも変わっていないし、自分も変わっていない。その繰り返し。
もちろん、そういうことをやっているうちに、じんわりとやってくる変化もあるだろうが、たまには趣向を変えて、私のようなひきこもり当事者を招いて真正面から親の論理をぶつけてみるのも良いかもしれませんよ。
ふと風穴が開き、思わぬ発見があるかもしれない。…お互いに。
そういう提案を、あちこちの親の会でさせていただいている、という次第である。
もし、地方のひきこもり親の会などで、私の企画にご興味のある方などいらっしゃれば、ぜひ下記のメールアドレス宛にご連絡をいただけますでしょうか。
vosot_just@yahoo.co.jp
(↑これはアットマーク「@」を全角にしてあるので、半角「@」に打ち直してください。見た目はあまり変わりませんが。)
ただし、交通費や宿泊費などは申し受けます。お待ちしております。
(了)
<筆者プロフィール>
ぼそっと池井多 :まだ「ひきこもり」という語が社会に存在しなかった1980年代からひきこもり始め、以後ひきこもりの形態を変えながら断続的に30余年ひきこもっている。当事者の生の声を当事者たちの手で社会へ発信する「VOSOT(ぼそっとプロジェクト)」主宰。三十年余りのひきこもり人生をふりかえる「ひきこもり放浪記」連載中。