著 ゆりな
私が自らの生きづらさに向き合い始めた時期は、 ひきポスと出会った頃と重なる。
これまでたくさんの場で、様々な立場の方に出会ってきた。
一人一人抱える背景は異なり、価値観も皆それぞれだった。
そんな中でも私は、当事者として
「ひきこもる」という行為に至ったのが同じなら、 何か通じる部分はあるのではないか
そう思い、 場に集った方々のお話を自分の元に手繰り寄せるように聞いた
運営を担う方々からかけられる言葉で、温かい気持ちにもなり、
前に進んでいるはずなのに、気持ちは後退りを始め、
「自分は何も変われてない」
そんな恐怖と不安が目の前を鮮烈に横切ったこともある
しかし、そんな感情の繰り返しは、
私の中に、人と関わり、生きる上での心の余裕を生んだ
1年前の自分は、
ひきこもっていた過去の経験は同じでも
現在の彼らの物の捉え方、生き方は
今の私と違う
それに気づいた途端、再び心を閉ざし、落胆していた。
しかし
ひきこもっていた頃に比べ、社会や他者、 自分を俯瞰できる力を養えた今、
やり方は違えど、 彼らは各々の方法で、それぞれ生きやすくなる道を模索している。
だから私も、私なりのやり方で生きやすくなっていこう。
そう思える。
それはきっと
私と他者、そして、 自身の内面においても、社会的な面と私的な面を分けて、
ある人は
私の思いを真剣に聞いてくれ、
私の中の強ばった考え方を優しくほどいてくれた
ある人は
人と人を繋げ、空気に流動性を与えて、
ある人は
自らのもつステータスをもって誇らしげに振る舞うことなく、
ある人は
これまでの私の生き方を肯定してくれ、 生きやすくなる方へと導いてくれた
そして私の仕事への向き合い方に、新しい考え方を根付かせてくれた 人。
私は彼らに会うたび、
「私はちゃんと彼らと同じように少しずつ回復し、
生きやすくなるヒントを持っている彼らに、 会いに行きたいなと思う
彼らが生きていることを、自らの目に写し、
「 この世に自分も生きている」ことを実感しに、 私は彼らのいるところへ体を向ける
彼らと関わったその経験が、今の私の中に溶け込んでいる
そして今、私は
「私を生きる」途上で生きている
ひきポスに捧ぐ