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不登校ひきこもりだった私(4)「おふくろ」がいない


不登校ひきこもりだった私004

 

不登校ひきこもりだった私(3)」からのつづき・・・

 

ぼそっと池井多 一般にいわれる「母さん」のイメージと
 自分の母親はなんかちがうな、という林恭子さんの言葉は、
 私はすごくシンクロしているんです。
 
 よく、いろいろな方に申し上げるのですが、
 私の日本語の辞書には二つの語彙がない。
 
 おふくろふるさとがないのです。
 
 私にとって「ふるさと」がないのは、
 転勤族の子どもとして、
 どこの土地にも根づく時間がなかったから。
 
 もう一方の「おふくろ」っていう言葉、
 これが私にはわからないんですね。
 
 もちろん、
 「『おふくろ』の定義を書け」
 といわれたら、
 「母親を親しんで言う時の語」
 などと頭でわかっている「おふくろ」の定義を
 言えるかもしれませんが、
 そういうものではないと思います。
 
 みなさん、よく「おふくろの味」とかいうじゃないですか。
 あれが、わからないのです。
 
 よくアメリカのギャング映画とか観てますとね、
 ギャング同士が残忍な殺し合いをやっていて、
 一方のギャングが頭に拳銃を突きつけられて、
 
 「どこだっ! 金の在り処を言え!」
 
 とか脅されているときに、
 
 「おれは知らない。
 それは、天国にいるおふくろに誓っても、
 本当のことなんだ!」
 
 なんて、強面(こわもて)のギャングが言うんですよ。
 
 すると、それが通ってしまう。
 
 私はこれを聞いて、愕然としましてね。
 
 もし私だったら、
 自分の母親に誓うというか引っかけるとなったら、
 どんな嘘だってペラペラと言ってしまうと思います。
 
 なぜ、世の中の人は
 「おふくろ」という存在にそんな絶対的な価値を置くのか
 さっぱりわからないんです。
 
 基本的に世界の成り立ちが、
 他の方々と私との間では、
 そこから違っているような気がしましてね。
 
 ところが、そんな私が
 林恭子さんがお母さまについて話されているのを聞いて、
 
 「いや、そうでしょう、そうでしょう」
 
 と、ほんとうに共鳴いたしまして。
 
林恭子 そうですか。
 
ぼそっと池井多 もちろん体験の微細なディテールはちがいますけど、
  でも、構造的に私の場合とまったく同じことを語っていらっしゃる、
  と思いました。
 
 ところが、あのとき同席しておられた
 ある著名な精神科医の方が、
 
 「こういう母親問題、毒母問題は、
 男性には起こらない」
 
 と断言してしまっておられたのですね。
 
 「これは女性特有の問題で、
 男性、息子には起こらない」
 
 と。
 
 私は、
 
 「冗談じゃないよ。
 なんと集めている症例が少ないことか。
 ここにいますよ!」
 
と観客席から手を挙げたくなりました。
 
林恭子 そうですか。
 
うちは、夫がそうですよ。
夫の場合は、母親と父親、両方(が毒)ですけどね。
 
ぼそっと池井多 おお、そうですか。
 
おそらく日本全国くまなく見ていくと、
男性で、いわゆる当事者性を持つ人で、
「毒母問題」に苦しんでいる方、
「母親問題」がふっきれなくて抜けきれない方、
もっとたくさん居るんじゃないかと思うんですよ。
 
林さんは、そういう毒母問題を
過去のこととはいえ生々しく、強く言葉にしてくださるので、
男性の私にとってもすごくありがたいと申しますか、
自分の母親問題を考えるときに、
すごくヒントになるのです。
 
 
 

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