(文・湊 うさみん)
ニートは物欲のない修行僧のよう
漫画家でありタレントでもある「はらたいら」さんが「はたらいたら」に見えるのは、労働が絶対である今の世の中が悪いのです。
2018年11月27日に「仏教にヒントがあった」という記事がありました。それに追従して宗教のことを書きますと、宗教と労働をからめた場合、「働かないほうが正義」という価値観になる場合もあります。
仏教を修行する人においては、働こうとするとそこから欲や生きることへの執着が生まれてしまうケースがあります。つまり、身を清め、仏にたどりつくためには働いてはいけないのです。
托鉢というのをご存知でしょうか。新宿東口で時々見かけますが、お坊さんが茶碗みたいなもの持って立っています。
あれは「働きたくないからお金ちょーだい」という意味なのです。働いてしまうと様々な雑念が沸いてしまうから、乞食のような真似をして生活を成り立たせています。
そういう価値観なので「托鉢してる時間を使って働けばいいじゃん」というツッコミは野暮なのです。時給1000円で換算すると、たぶん働いたほうが儲かるでしょうしね。
私もそうなのですが、ニート生活を長くしていると物欲がなくなってきませんか。自由に使えるお金が少ないと、それに応じて欲も縮小するようで、物欲がどんどん少なくなっています。
ニートを長くしている人は修行僧としては一人前ということですね。
働かなくちゃいけないのはアダムとイブが悪い
また、キリスト教においては「労働は罰」とされています。アダムとイブが禁断の果実を食べたことによって、一生働いて生活を成り立たせなければいけない罰を神から与えられたそうです。
罰ですから当然苦痛です。キリスト教では労働とは苦役なのです。
仏教もキリスト教も労働に関しては否定的ですが、ご存知の通り、この世界は日本人のような無宗教よりも、何らかの宗教を信仰しているほうが多数派です。
多数派ということは普通ということです。つまり、日本的な価値観で見れば「働かざるもの食うべからず」になりますが、世界的な視点で見ると労働は
「しょうがなくするもの」とか「してはいけないもの」になったりします。
ちなみに、日本は無宗教であるという認識ですが、個人的にはお金をご神体としている宗教にはまっているように思えます。
お金で安心を得ようとして、お金によって悩みを解決する。また、お金が手元にないと不安で不安で仕方なくなる。とにかくお金、お金、お金です。
「お金なんてそんなにいらない」という清貧なスタンスだと、まるで人間じゃない何者かを見るような目で見られます。
世の中を便利にするためにお金を作り出したのに、心がお金によって支配されてしまっています。そして、お金を得る手段である労働にも支配されてしまい、「人生を犠牲にして働くべきだ」という価値観がまかり通っています。
なお、宗教について書きましたが、私は本を数冊読んだ程度なのでそこまで詳しくありませせん。一概に「仏教」「キリスト教」と言っても色んな宗派がありますしね。
ただ、「こういう価値観もあるんだよ」ということを「働かなくちゃいけない」というプレッシャーで苦しんでいる人に知ってもらいたいがためにこのような記事を書きました。
宗教にはまりたかった
日本ではなく、違う国に生まれていたなら「社会のクズ」扱いされないで済んだのになあ……とよく考えます。
あまりに生き苦しくて、過去に宗教や神にすがろうと思ったことがあるんです。宗教に身を委ねれば楽になれるんじゃないかと。楽にさえなれるのなら、評判の悪い怪しい新興宗教でもいいとすら思っていました。
でも、本を読んだりして調べていると、どの宗教もしっくりこなくてイマイチはまれませんでした。
神がいるからこんなひどい世の中なのか、それとも神がいないからこんな世の中なのか。どっちでしょうね。