「不登校ひきこもりだった私(4)」からのつづき・・・
今回の映像インタビューを製作するに際して、林恭子さんには、大学を中退して必死の思いで塾のアルバイトへ通っていた23歳のころの貴重な写真をご提供いただきました。
映像を再生するとご覧いただけます。
ぼそっと池井多 20歳で大学を中退するまでは
「母親問題」ということは、
ぜんぜん意識の表面には出てきていなかった、
ということですけれども、
アルバイトとかをするようになって、
20代という時代を送られたわけですか。
林恭子 そうですね。
通信制の高校は4年制でしたので、
大学へ入学して中退したのが、20歳のときでした。
それで、塾でバイトを始めるのですけれども、
とにかく日々、生きるだけでしんどいという状態で…。
なんとかアルバイトには行ってましたけれども、
数日アルバイトに行っては
具合が悪くなって病院に駆けこむみたいな
生活をしていました。
そのなかで、私は
不登校を含めて、自分にいったい何が起きたのか
まだわかっていなかったので、
いろんな人の話を聞きにいったりとか、
本もずいぶんと読みました。
自分なりに、自分に起こったことを
なんとかつかもうとするなかで、
「母との関係」
というものに、だんだん気づいていったのです。
当時、林恭子さんが影響を受けた詩人の一人に茨木のり子(1926-2006)がいる。どのような詩を書いていた人か、彼女の代表的な作品の一節を抜き出してみよう。
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子『自分の感受性くらい』(1977年)
ぼそっと池井多 いわゆる「母親問題」は、ごく初期はどういう感じで気づかれましたか。
林恭子 とにかく、自分の状態をわかってもらえないわけですよね。
でも、それは、私自身も自分の状態をわからなかったし、わかる人が周囲に誰もいなかったので、仕方がないだろうとは思ってはいたんですけれども…。
私は昼夜逆転をしているので、お昼過ぎに起きるわけですけど、母はぜったいそれを許せないわけですよね。
いくら「起こさないでくれ。どうしても起きられないから」と言っておいても、母は朝、私の部屋に入ってきてバッとカーテンを開けるとか、掃除しようと部屋に入ってきて寝ている私の頭の上を掃除機かけはじめるとか、そういうことをするわけです。
「やめてくれ」と言っているのに、やめない母とのバトル。
言っても言ってもわからない。
ときどき
「私は、母とは別々の土俵で相撲を取っているみたいだ」
と思いました。
お互い相撲を取って戦っているつもりなんだけど、別の土俵で取っているから、まったく噛み合わない。言葉が通じていない。
母とは「日本語が通じない」と思っていました。
そういう日々が延々と繰り返されていました。
私も具合が悪いですし、夜中も起きてますし、朝起きないというだけで母には気に入らないわけですし。そういう日常の細かいぶつかり合いから、どんどん私は過去のことを思い出していくようになりました。
不思議と思い出すものなんですね。
「子どものころ、どうして私、あんなことを言ったんだろう」とか
「なんであのとき、ああいうふうにされたんだろう」とか
子どもであった、その時はそんなに思わなかったはずなのに。
でもやっぱり憶えていたんでしょうね。
「理不尽だ」とか「許せない」という思いが子どもなりにあって、やはりちゃんと記憶の底には残っていたのでしょう。
それが噴き上げてくるようになりました。
ぼそっと池井多 ああ、私もそうでしたね。
私の場合、母が枕元まで掃除機をかけてきたときに、母が足で寝ている私の頭を蹴るんですよ。
林恭子 すごいですね。
ぼそっと池井多 こちらは寝起きで頭の中がボンヤリしているから、何も抵抗できない。
もっとも私は最後まで親に手を挙げることはできなかったんだけど、べつにそういう実力行使でなくても、
「何をするんだ、ひとの頭を!」
とか言葉で返すとか、いくらでもすべきことはあったんだけど、
頭の中がもうろうとしているからそれも言えない。
「頭を蹴られた」という、自分の人間性をふみにじられたような不快感をかみしめて、いつもそういう朝は起きていました。学校へ行っても、一日じゅうそのことで怒っているんですね。友達に当たってしまったりして。それでは、よい人間関係に恵まれるはずもありません。
だから、朝っていうのは、いまだに私にとっては、さまざまな怒りを思い起こす、いやな時間なんですね。
……林さんはさきほど、
「二十歳ぐらいは母親問題は意識にのぼっていなかった」
とおっしゃったけど、それは
「二十歳のころは母親問題がなかった」
ということでは全然なくて……
林恭子 全然ないですね。
ぼそっと池井多 ……母親との日常的なバトルを、ただ繰り返していた、ということですね。
林恭子 そうだと思います。
・・・「不登校ひきこもりだった私(6)」へつづく