ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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短編小説「偉大だった国」遊べなかった子 #22

ひきこもり当事者・喜久井ヤシンさんによる小説「遊べなかった子」の連作を掲載します。12歳の少年みさきは、海の上をただよう〈舟の家〉に乗り、行く先々で奇妙な人々と出会います。さびしさやとまどいを経験していくなかで、少年はどこへたどりつくのか……?時にファンタジー、時に悪夢のような世界をお楽しみください。


文・絵 喜久井ヤシン 着色 PaintsChainer

 

   偉大だった国

 

 みさきがたどりついたのは、人の見あたらない遺跡だった。昔は王さまが住む宮殿だったのかもしれない。石を積み上げてできた、巨大な建造物だ。崩れかけた門扉を過ぎると、両側に獣の顔をした神さまの銅像が並んでいた。その銅像もボロボロで、枯れかけのいばらが茂っている。みさきには、もう何十年、もしかしたら何百年も、人足の途絶えた土地なのだろうと思われた。
 けれど、どうやら住人が残っていたらしい。
 「どこの国の人かね?」
 「わっ!」
 突然人に話しかけられて、みさきは驚いた。ふり向くと、しわだらけの顔をした老人がすぐそばに立っている。
 「ここはトルアの国のユバル法廷である。部外者が立ち入ってよいところではない」
 「ごめんなさい。誰もいなかったし、ボロボロの建物だったから。いけないなんて知らなかったんです」
 老人は、みさきの答えを失礼に感じたらしい。
 「何を言うか。修復工事が遅れているだけで、まだ使われている。1000年以上の歴史を持つ、偉大な法廷である。80年ほど前のエポス裁判を知っているだろう?あの判決が下された場所ではないか」
 みさきには、何の裁判のことかわからなかった。あらためてあいさつをすると、老人はこの国の王の側近だという。歴史あるトルアの国の、由緒正しい家系の人間とのことだった。
 「この法廷は、堕獅子(だしし)戦争で破壊されたままになっている。あの憎きカリグラ国の兵士どものせいだ」
 「このあたりは、戦争で壊されたんですね」
 「それすらも知らないのか?わずか2年前、理郷歴4988年に終結したあの戦争だよ。わがトルア国とカリグラ国との、実に長きにわたる戦いだった」
 「その戦争は……えっと、負けてしまったの?」
 「まさか!我がトルア国の勝利だったとも。兵士たちは勇敢に散ってった。爆弾を抱えた兵士たちは、カリグラ国の本土に乗りこみ、徹底的に敵兵たちをつぶしていったのだ」
 老人は、みさきがものを知らなすぎることに怒りを感じたようだった。
 「こっちへ来なさい。子供でも誰でも知っている、有名な彫像がある」

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 老人は、みさきを石段の上へと案内した。小高い丘のようになっているところからは、トルア国の景色が見渡せた。巨大な城壁や神殿のようなものがいくつも見え、文明が栄えていたことがわかる。けれどどの建造物も崩れ落ちたところがあり、乾いた雑草とともに横たわっていた。
 「あれを見ろ」
 老人が見下ろし指差したのは、甲冑を身につけ、剣をふりあげる兵士の銅像だった。
 「理郷歴3930年、我が国の英雄ラモンと、その敵ドリアスとの決戦の地が、あのユドゥス城塞前だったのだ。世界に名をとどろかせた伝説の戦が、あの場所であったのだ」
 どうやら老人は、みさきがわくわくしながら話を聞くことを期待していたらしい。けれどみさきには初めて聞く名前ばかりで、面白がることができなかった。
 「それに、2600年代のヌミディアの隠れ里の逸話は知っているだろう?歌や小説にもなっている、ナリア女王の物語だよ。近代の研究では、西北のバシーヌ地方であったとと考えられていたが、実際はこの南西地域にあることがわかった。有名な考古学者の、オシアン氏の発掘調査によるものだ。その現場も、このすぐ先にある。見に行ってみるといい」
 老人はそう言うけれど、みさきに見に行く気は起らない。
 「ええと……。この国で、王様が住んでいるのはどこなんですか。お城があるなら、遺跡よりもそこに行ってみたいんですけど」
 みさきは、荒れ果てた場所よりも、まず人のいるところに行った方がいいように思われた。
 「ふむ、それもいいだろう。私も城へ戻るところだ。そこまで案内しよう」
 老人はついてくるように言い、みさきは従った。

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 老人とみさきは崩落した遺跡の隙間をねって、いくつもの銅像や、黄色い花が揺れるアカシアの木を通りすぎた。歩いていくと、やがて平たい石の壁が高くそびえる建物があった。
 「絵画などで見たことがあるだろう、ここがあのウーグレ城である。この城壁は、栄華を極めたユマニ王朝時代から残るものだ。カリグラ国との戦争にあっても、この城は落とされなかった。中を見ていくのなら、図書室を案内しよう。偉大な歴史が記録されている」
 老人がすたすたと歩きだしたので、みさきは断る間もなくついていくしかなかった。老人は、歩きながらトルア国の細かな歴史を話したけれど、聞いたことのない人名や地名ばかりが出てきて、みさきには理解できなかった。長く栄えた文明があるようだけれど、この国に入って見たものは、人のいない壊れた街並みや、砂とほこりにまみれたお城でしかなかった。みさきは、図書室に行ったところで、古ぼけた本棚が並んでいるだけのことだろうと思った。けれど10メートルはある高い天井に、青銅で飾られた銅像たちが通路を進み、さらに重そうな木製の扉を開くと、豪華な博物館のような空間が広がっていた。
 「わあ……すごいな」
 天井までとどく本棚には、古今東西の書物がびっしりと並び、通路にはところせましと陳列棚が配置され、中には歴史的な武具や、鉱物、古文書、美術品、宝石、織物などが飾られていた。螺旋階段や奥へと続く廊下もある。みさきはこの国について初めて、わくわくする気持ちを思い出した。
 老人は言う。
 「ここにはトルア国の偉大な歴史がつまっている。ネロ王の時代から、あらゆる知見、あらゆる文献、あらゆる遺産が集められてきたのだ。ユトレ隊がによる画期的な発見も、先々代の王が残した「昼の書」もある。地下の保存室には、理郷歴1207年、カリオスの戦いで使われたミュロンの弓も所蔵している。それは見せるわけにはいかないがね」
 みさきが陳列棚のあいだを通っていくと、場違いな玩具も飾られていた。滑稽な仮面やボードゲームの盤面、ぬいぐるみのようなものまである。
 「おもいちゃもあるんだ。古すぎて、さわったら壊れてしまいそうだけど」
 「それはミサキという少年王のものだった。もはや触れる者もいない。そんなものよりも、この書棚を見るがいい。どれほどの価値があることか。ここだけではなく、地下と二階にも広大な貴重書室がある。もはや私でも読むことができない、古語の文献だ。数年前に最後の学者がいなくなり、残されたのは読めない文字の研究書ばかりだ。なんと惜しいことか……」
 と、老人は嘆いた。
 「読めない?あなたでも読めないんですか。研究する人がいなくなったっていうなら、これだけの本があっても、誰もわかる人がいないってこと?」
 記憶できる人がいないなら、遺跡も本も何の意味があるだろう。みさきはまだ、トルア国で目の前の老人としか出会っていない。この老人が間違えていたら、みさきに話された歴史も意味がないだろう。

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 しばらくすると、図書室の二階から物音がした。どうやら、老人以外にも本当に人がいるらしい。老人は一人で階段を上がっていった。すると、
 「おお、ユピ王様、ここにおられましたか!」という。老人は小走りになって、二階の広間へと進み、姿が見えなくなった。みさきも老人を追いかけて階段を上がると、まず見えたのは、赤色がかるくもり空だった。このお城は壊れていないと思われたけれど、実際には、入口の裏側にあたる部分に、大きな穴があいていた。壁が崩壊し、二階の部屋は雨風に野ざらしになっていて、貴重書のはずの本も床に散らばっていた。空を背景に立っていたのは、一人の少年だ。
 「頭を下げよ。ユピ王様であるぞ」
 みさきは老人に言われ、たどたどしくおじぎをした。
 そこにいた王は、細い手足をもつ10歳くらいの少年だった。ブロンズの宝飾品を体中に身につけ、気難しそうな顔をしている。
 「かまわない。楽にするといい」
 みさきよりも小さいけれど、話しぶりは王様らしく上品で、そして偉そうだった。
 「理郷歴4988年、大戦後に即位なされた、トルア国の若き王です。その名はすでに、世界中にとどろいておられる」
 老人はそう言うけれど、記憶をたどってみても、みさきには思い出せるものがなかった。王の足元を、王の背丈と変わらないほどの大きな図面が、何枚も置かれていた。みさきに向かって、王が話しかける。
 「私は今、この国の未来図を描いていたのだ。ここからはちょうどウーグレの城下町が見渡せる。未来を思い描くにはもってこいの部屋だ。ここから眺めてみるといい。私に近づくことを許そう」
 みさきは図面を踏まないようにして、ユピ王のそばに近寄った。穴の開いた石壁の先には、かつて都市だったものが見える。大勢の人が行き来したであろう広場は、砂まみれの無人の荒地。レンガでできた丈夫な建物は、砕け散った廃墟。彫刻家の残した神さまの像は、生え伸びた雑草まみれ。
 ユピ王は荒れ果てた都市のあちこちを指差しながら、みさきに建設計画を話した。
 「あの広場にある台座には、ウビナ神の像を据え置く。この街の中心となる場所である。そこに続く大通りには、石畳を敷きつめる。行商人たちも歩きやすいだろう。通りの右側にあるリキュナ神殿を修復し、元あったものよりもさらに豪華な造りとしよう。左にはやはり、栄えに栄えたマッコンレの宿屋だ。異国の地よりの旅人が、ふたたびこの都にやってくるだろう」
 ユピ王は、自分が願うことならば、すべてが思いどおりになると確信しているようだった。
 「でもそれって、すごく時間がかかるんでしょう。大人になるよりも、もっと長い時間が」
 みさきは、もとに戻るなんて不可能だ、という思いを隠して言った。
 「たいした長さではない。ちょうど理郷歴5000年の節目がやってくるではないか。それに合わせて、この都市もこの国も、かつて以上の発展した姿を見せられたら良い」
 トルア国を見渡しても人はおらず、残された廃墟も黄色い砂がおおい隠していきそうだった。城の下の方には、落下した石の壁とともに、誰も読める人のいない本が無数に散らばっていた。

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 ユピ王がみさきに話しかける。
 「お前は根無し草の旅人なのだろう。この国に住んでもかまわないぞ。偉大なトルア国の住人になれるなら、旅する理由などなくなるだろう」
 ユピ王は、みさきを許してやるとでもいうように、尊大な話し方だった。みさきは仕方なく答える。
 「悪いけどぼくは、この国にいられるとは思えないよ。すごい歴史があったとか、これからすごくなるって言われても、信じられない。さっきから細かく説明されているけど、ぼくはどの名前も聞いたことがないし、本当は、何もわからないんだよ」
 「王に失礼ではないか!」
 老人が叫んだ。
 「ふんっ、無知な奴め」
 と、ユピ王はみさきをあざけった。
 「ごめんなさい。ぼくはもう行きます」
 床に散らばった図面と本をよけて、みさきは階段下へと向かった。老人はにらみ顔でみさきを追い立て、ユピ王はふたたび城下を見つめていた。階段を下りていくみさきの背後では、トルア国の未来に向けて、新たな計画を話すユピ王と老人がいる。老人は過去だけがあり、少年王には未来だけがあるようだった。無関係な現在の廃墟の中で、華々しい過去と未来が語られていた。
 一人歩くみさきは、ふと考えこんだ。あの召使いの老人が亡くなったら、少年王はどうするつもりだろう。少年のことを王様と言っているのも、あの老人しかいない。もしくは反対に、少年王が亡くなってしまったら、あの老人は?
 みさきは巨大な遺物をよけて歩いていく。トルア国の空は夕暮れの明かりに燃えていた。地平線にわずかに見える空の底だけが、刃のように白く光っていた。

 

 


  次回 

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 執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の三年間は同世代との交流をせずに過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター 喜久井ヤシン (@ShinyaKikui) | Twitter