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「人生で」成功するのではなく、「人生を」成功させるためのヒント 〈シューレ大学〉と私

30代以上のひきこもり経験者でも、気軽に学び合える場があるのをご存じだろうか。今回は、東京〈シューレ大学〉について、卒業生の喜久井(きくい)ヤシンさんが語ります。シューレ大学の独特な試みは、新しいあり方のヒントとるかもしれません。

 

 

はじめに

 私には、いわゆる「不登校」・「ひきこもり」の経験がある。私は18歳を過ぎても、一般的な大学や会社に行くことはできなかった。しかし偶然シューレ大学を知り、20代のほとんどの期間を、そこに在籍して過ごした。

 シューレ大学がどのようなところなのか、簡単に伝えることは難しい。

 まず、名前に「大学」とついているけれど、一般的な大学とは異なっている。NPO(特定非営利活動法人)なので、卒業しても正式な学歴は得られない。「オルタナティブ・エデュケーション(もう一つの教育)」という言葉はあるが、ピンとくる人は少ないだろう。

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シューレ大学を一言で説明するとしたら?

 おおまかなニュアンスを伝えるために、無理やり短くいうとしたら、以下のようになるのではないかと思う。

 

その18歳以上向けのフリースクール」

 シューレ大学は、「東京シューレ」というフリースクールから生まれた。私はフリースクールというと、「子どものための、学校以外の居場所」というイメージがある。それに対し、シューレ大学の入学対象者は18歳以上で、学生には30代以上の人も多い。不登校やひきこもりの経験者も珍しくないので、「大人のためのフリースクール」といったむきはあるように思う。

 

その 「一般の大学と、カルチャーセンターとのあいだのようなところ」

 シューレ大学は、基本的に平日は毎日やっており、朝から夕方まで、いくつもの講座を開いている。そのため一度入学すれば、どの講座にも自由に参加でき、自分の好きなことを学べる。その点では、カルチャーセンターや塾のような要素がある。

 上限年齢ないので、生涯学習(リカレント教育)にも使えるところだ。大卒の学歴にはならなくても、特定の講座で資格の取得を目指すこともでき、勉強の場として活用できる。

 また反対に、勉強しない過ごし方も許されている。ソファでゴロゴロしていても注意されず、食卓があるのでご飯だけを食べに来てもいい。自分の経験をふり返ってみると、講座で学んだこと以上に、何もしないでいい時間過ごせたことが大きかった。

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普段はどのように過ごしていたか

 建物は東京都新宿区にあり、都営大江戸線の若松河田駅と、東京メトロ東西線の早稲田駅が最寄り駅となっている。「新宿にある」というと大都市みたいだ、のんびりした住宅街にある。近所の戸山公園には、「山手線内で一番高い山」という箱根山(標高44.6メートル)もあるくらいだ。

 時期によって在籍人数は変わる、学生数は3040人ほどで、毎日来る人もいれば、一時期の私のようにめったに現れない人もいる。中には、遠方に住んでいるため「スカイプ」のテレビ電話で講座に参加していた人もいる。

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 私がよく参加していた講座は、文学、文化史、世界史、基礎英語などだった。多くは毎週、決まった曜日と時間におこなわれる。現在はなくなってしまった、当時は家族論という講座があり、講師として評論家の芹沢俊介さんが来られていた。太宰治などの文学作品を読みながら、近現代の「家族」の遍歴についてディスカッションをおこな、大きな刺激を受けた。

 他には、美術や音楽といった、自己表現に関する講座がいくつもある。学生たちによる発表会も開かれており、その点では、小さな美大といった雰囲気があるかもしれない。私は、創作講座で詩や小説を発表したこともある

 ただし、シューレ大学では「何をするか」よりも「何をしないか」が特別だった。体調がすぐれないことを理由に講座に参加しなくとも、単位の制度がないため、欠席自体が痛手になることはない。ラウンジ(といわれる家庭的な空間)があり、一日中ソファで寝ていてもかまわない。私は、実家にいるのが辛い時に、用事もなくシューレ大学へ行っていたことがよくある。くつろげるほどではなかったけれど、当時の自分に逃げ場があったことは、大きな救いになっていた。

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が楽になったポイント

 私が経験してきたシューレ大学の特徴を、キャッチフレーズ的にいくつか挙げる。言葉に矛盾や違和感を感じるかもしれないが、この語りづらさも含めて受け取ってほしい。

 

ポイント1 勉強しなくてもいい学びの場

 学生によっては、毎日いくつもの講座に出て、高い意識を持って多くの活動をしている人もいる。けれど「ひきこもり」経験のある私には、普段ゴロゴロして過ごし、気まぐれに人と会えるという場所であったことが、最も重要な効用だったように思う。

 

ポイント2 「居ないこと」ができる居場所

 たんに「居る」だけならば、イベント事や商業施設がある。しかしそれらは「参加者が居ていい」・「お金が居ていい」のであって、「自分が居ていい」とは感じられない。シューレ大学では、ひきこもって姿を見せなくとも問題視されない。その上で、いつ行ってもかまわず、数か月ぶりに他の学生とあっても特別視されない。それは何かをせねばならない条件付きの「自分」ではなく、ただたんに「自分」が居ていい経験だった。

ポイント3 弱さを得られるところ

 「自立とは、たくさんの依存先を見つけること」、という言葉がある。私は20歳前後の頃、誰にも弱みを見せずに生きていこうとしていた。しかし実際はボロボロの精神状態で、傷つきながら生きていた。どうやら自分の弱さを受け入れ、人に助けを求めた方が、よほど生きやすくなるものだったらしい。
 シューレ大学では、「人がこわい」とか「働けない」といった、「弱さ」にあたるものがディスカッションのテーマになる。「強くなれ」というメッセージではなく、「弱くあってもいい」という価値観が受け入れられる場だったことは、私の生きづらさをやわらげたように思う

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シューレ大学への批判

 とはいえ、シューレ大学のすべてが良かったとは言わない。あくまで私個人の意見だけれど、問題点もあった。

 

デメリット1 学費がかかる

 一番実際的な問題お金だった。ざっくりと言えば、年間で50万円以上の学費がかかる。私は長い期間自分で働くことができなかったので、全額が親の出費になっていた。親は、私がシューレ大学で学んでほしいというよりは、「ひきこもっているよりはマシ」という判断から出資していた。しかし何年も在籍しているうちに、私は短時間の労働ができるようになった。そうなると、親は学費の支払いをしぶり、金銭的ないさかいが起きた。その際は、シューレ大学のスタッフをまじえて三者で話し合い、お互いが納得できるまで話し合った。シューレ大学は「生き方を創る場」でもあるので、このような活用の仕方もできる。この時の話し合いは、親と向き合うきっかけになったもので、私の20代で最大の勇気を要する時間だった。

 学費に関してつけ加えると、巷の英会話教室や専門的な習い事では、一回数千円の費用がかかることも珍しくない。いくつもの講座に参加できることを考えれば、シューレ大学の学費の設定が高いとは言えないだろう。

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デメリット2 一般的な意味での学歴にならない

 私は自分が無職あることに、世間的なプレッシャーを感じてきたそれはシューレ大学の「学生」の肩書があっ消えなかった。公的な学歴が得られる場だったなら、自分に状態に肯定的でいられただろう。

 シューレ大学の特色は、資格にならない学びにある。その代表的なものが「自分研究」で、その名の通り、自分自身のことをテーマにし、ディスカッションなどによって考えを深めていく研究だ。べてるの家などで行われている、「当事者研究」に通じるものがある。

 そこでは極めて個人的な内容になるため、世間的には「甘え」や「自己責任」などとして、切り捨てられかねないものを含んでいる。私自身は、自分研究のための講座にほとんど参加していなかった。当時の私は、学問的な研鑽というよりも、自助グループ的な慰め合いのようなものを感じ、自分の関心と合っていなかったためだ。シューレ大学に興味を持つ人にとっても、この場所になじめるかどうかが分かれるところだろう。

 私にとってのシューレ大学は、目的のはっきりした実学の場ではなかった。たとえるなら温泉の効能のように、ゆっくり染みわたるようにして、少しだけ楽になっている(ような気がする)という、長期的な変化を受ける場だった。

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デメリット3 学生数が少なく、ものたりないこともある

 よく言えば「少人数制」だけれど、単純に講座参加者が少ない場合もある。講師と学生のマンツーマンということもありえ、ディスカッションをしようとしても、考えが深められないことはあった。

 ただし、シューレ大学には多岐にわたるつながりがある。アドバイザーとして各分野の著名な方がいる。学生たちによる映画祭では、映画監督の原一男さん、演劇上演の際には、劇団山の手事情社の方など、多くのゲストが来られてきた。
 また、国際的なオルタナティブ教育のイベントで、世界フリースクール大会というものがある。2018年度のインド大会では、多数の学生がインドへ渡り、世界各地のオルタナティブ教育に関わる人たちと交流した。韓国やロシアのフリースクールの学生たちが、東京のシューレ大学を訪れることもあり、小さな場所からの、ワールドワイドなつながりがある。

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「人生で」成功するのではなく、「人生を」成功させる

 受け売りの言葉だが、『人生で成功するのではなく、人生を成功させると言った人がいる。

 私は小学校から通学せず、正社員として働いたこともない。現在でも生活が苦しく、能力や収入について考えると、「人生で」成功することに希望が見出せない。それでも、関心や表現を押し殺さずに、自分をないがしろにしなくてもよいということを、シューレ大学で涵養(かんよう)された。そこで出会った人たちとの縁は、この『ひきポス』で書くことにもつながっている。「人生で」成功することは難しい。だが「人生を」成功させることに関しては、まだ希望が残されているのではないか。シューレ大学で過ごした私は、そのように思っている。

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シューレ大学 ホームページ http://shureuniv.org/

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  喜久井ヤシン(きくい やしん)

1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の3年間は同世代との交流なく過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター https://twitter.com/ShinyaKikui

 

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