はじめに
なぜ電話などというものが発明されたのか。
メールが普及しているというのに、なぜ人類はまだ電話を根絶させないのか?
診断を受けたことはないが、私は「電話恐怖症」というべきものにかかっている。
自分から未知の相手に電話をかけようとするとき、私は心はおびえ、胸は激しく心拍を打つ。
今回は例として、「ひきこもりの状態から、アルバイトの面接の約束を取りつけた」ときの経験を取り上げる。私は自宅で一人、スマホを持ち、自ら通話ボタンを押さねばならなかった。
電話に対しては、あらんかぎりの精神力をもって挑まねばならない。以下に挙げるのは、実体験から生まれた、極めて個人的な対処法だ。
- はじめに
- ステップ1 三日前から通話内容を想定する
- ステップ2 ラフマニノフの「ピアノ協奏曲二番」をかける
- ステップ3 一度スーツを着て外出をする
- ステップ4 ストレッチと発声練習をする
- ステップ5 話しかける対象として人形を置く
- ステップ6 酒・タバコ・中島みゆきを用意する
- ステップ7 包丁を置く
- ステップ8 いったん別のところに電話をかける
- ステップ9 会話の7割までを想定しておく
- ステップ10 失敗を経験するつもりになること
- ステップ11 「電話をかける」と決めてから、5時間が過ぎてもあきらめない
- ステップ12 電話のことを忘れて外出する
- 最後に
ステップ1 三日前から通話内容を想定する
当然のことながら、思いたってすぐに電話をかけるなんて不可能だ。エベレストの登頂に備えがいるように、電話という異常事態にも備えがいる。
あらかじめ「三日後の午前十時に電話をする」と決め、通話内容もある程度想定しておく。それからの三日間は不眠と頻尿と心悸亢進(しんきこうしん)に耐えねばならないが、やむをえない。己に声があることを恨み、電話産業の歴史を呪いながら、通話決行の日を待つ。
ステップ2 ラフマニノフの「ピアノ協奏曲二番」をかける
時はあまりにも早く過ぎさる。
無情にも電話の日の朝はおとずれ、覚悟を決めねばならない。目覚まし時計の設定が八時であっても、私は不眠により早朝から目が覚めている。ひどい体調だが、待ったところで通話に適したコンディションの日などやってこない。
私は悲壮な思いでラフマニノフのピアノ協奏曲二番(第一楽章)をかけ、おびえる自己を奮い立たせる。心を高く上げ、勇気を持って困難に挑んでいくのだ。これから始まる一切に希望はないが、ラフマニノフの二番が物語るように、苦しみを乗り越えて栄光へ至れ。
ステップ3 一度スーツを着て外出をする
人との会話が少ない生活をしていながら、いきなり電話をかけるなんてできない。私は精神的に勢いをつけるために、一度スーツを着て外出をする。フォーマルな服装で外を歩き、自分が社会的な存在であることを思い出すためだ。外気にふれて町中を歩けば、人からの目線があって気分も変わる。
理想を言えば、このとき墓地を歩いておきたい。人間は誰しもがいつか死ぬ存在なのだ。電話という苦難も死ねばなくなる。墓地をながめながら、諸行無常の世にあって、私が電話をかける行為など無に等しいのだと思うように努める。
ステップ4 ストレッチと発声練習をする
歩きながら、なるべく手足の血行を良くしておく。恐怖と緊張で体がこわばり、のどもかたくなっているためだ。可能なら発声練習もしておきたい。深呼吸をし、肺に空気を入れて臓器を活発にしておく。
ステップ5 話しかける対象として人形を置く
帰宅後は机に向かい、電話を補助するための道具を用意する。
まずは人形だ。私は、通話中に目線のやり場がわからなくなるため、視線を向ける先として人形を置いておく。目がキョロキョロ動きすぎるときには、この人形を見ればいい。人形と話しているようなつもりで通話できるのが理想だが、かわいらしいぬいぐるみでは力不足になる。電話の相手は恐ろしい存在なので、ふさわしい物として小型の阿修羅(アシュラ)像を置く。
ステップ6 酒・タバコ・中島みゆきを用意する
私は普段酒もタバコもやらないが、これからひどいことが起こると分かっている場合には、現実逃避できる道具を事前に用意しておく。私はスマホの横に、金麦の350ml、安タバコのECHO、中島みゆきの『愛していると云ってくれ』(78年)を用意し、支度を整える。
この世の中は、電話のように辛く悲しいことばかりではない。酒に酔い、くつろぎながらタバコと音楽を味わうひとときだってある。これらはそのようななぐさめを忘れないためのアイテムだ。
ステップ7 包丁を置く
電話恐怖は身体性を失わせる。通話中は体の感覚がまるっきり狂ってしまい、軽量のはずのスマホを落としそうになる。
その対策として、私は包丁をテーブルに置き、尖った方を自分に向けて置く。体を傷つけるのではなく、近くに危険なものがあるというだけで、身体感覚を維持できるのではないかという期待だ。針や画鋲などでも同様の効果があるが、いずれにしても他人がいるところではオススメしない。
電話をかけるための必需品はこれで以上だ。
机上にある物は、酒、タバコ、中島みゆき、阿修羅像、包丁である。
ステップ8 いったん別のところに電話をかける
「電話をかける」という非日常的な行為に慣れるため、一度用件とは関係ないところに電話をかける。117は時報、177は天気予報の自動音声が流れるので、そこが使える。もしも気軽に話せる相手がいればそこに電話するのが望ましいが、私には友人がいないのでそれもできない。自動音声を聞き、電話機と自分の耳が正常に機能することをたしかめておく。
ステップ9 会話の7割までを想定しておく
通話の直前には、予想される会話の内容の7割ほどを想定しておく。このとき、100%完璧にやろうとしてはならない。電話というものは、何か必ず自分にとって想定外かつ不都合なことが起こるものだ。そもそも番号がつながらない、相手が不在、電話をかけた先が倒産しているなど、予想を上回ることがいくらでも起こりうる。
会話を厳密に決めすぎないことで、想定外のことにも柔軟に対処しやすくなる。
ステップ10 失敗を経験するつもりになること
恐怖と緊張が生まれるのは、自分が上手くやれるという期待があるせいだ。はじめから失敗するつもりで電話をかけたなら、少しは緊張もほぐれる。
私はこれから電話をして、たどたどしく話し、言葉をとちり、日本語が通じず、要件を伝えそこね、相手の言ったことは聞き間違えるだろう。有能な社会人としてテキパキ話すことはできない。あきらめ、達観し、悟りをひらいてから電話するのだ。
ステップ11 「電話をかける」と決めてから、5時間が過ぎてもあきらめない
いよいよ通話決行の時間になり、手にはスマホが、目の前には阿修羅像がある。しかし電話というものは、すみやかにおこなえるほどたやすくない。体が硬直したまま数十分が過ぎ、すぐに数時間が過ぎていく。頭痛、腹痛、手足のしびれ、挙動不審が起こり、何度もトイレに行っては電話をあきらめかける。
「時間は待ってくれない」といわれるが、残念なことに電話機は待つ。人を待たせているわけではなく、5分後でも5時間後でも、電話機という物理的存在は目の前にあるのだ。
私は思う。明日に先延ばしはできないか。そもそも本当に電話をかけねばならないか?私は疑い、電話の必要性について考え、人類と文明との関係を憂い、この世の終焉について思いをめぐらせる。
時間は過ぎていくが、あきらめたところでまた同じ明日がやってきてしまう。電話という苦しみから逃れたところで、現実という苦しみがあるばかりなのだ。
私は心拍を落ちつけ、心身のタイミングを見計らい、番号を入力する。
そして、電話をかける。
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電話を終える。
電話中は必死なため、できることなどない。どうであるにせよ望ましくない結果だろう。仮にうまくいったとしても、私は疲れ果て、成功を味わえるだけの余裕はない。通話終了後は強い虚脱感に見舞われる。
私はすみやかに『愛していると云ってくれ』を再生し、収録曲の「世情」を聞き、酒を飲み、タバコを吸う。ネットでどうでもよいような動画を流し、今自分が体験した通話という悪夢を全力で忘れようとする。
もし余力があればだが、阿修羅像と包丁を戸棚にしまう。
ステップ12 電話のことを忘れて外出する
電話という心的外傷を経験したあとは、自分に対するケアが必要だ。
室内にいたままでは、ひどい気分のまま一日が過ぎていき、なおさらひどい気分になる。体を動かすのはおっくうだが、ここは無理をしてでも外出し、できるだけ気楽で現実逃避的なことをした方がいい。通話という悪夢があった日でも、その日のすべてを悪夢にするべきではない。
私がおこなった電話への対処法は、これで以上となる。
最後に
読んだ人の中には、不思議に思って聞く人がいるかもしれない。「電話をかけることは、これほどまでに大変なことなのか?」と。私は即答するが、これほどまでのことだ。電話をかけるということは、これほど対処せねば耐えられないことなのだ。
電話をしようとするときに、私がいるのは平凡な自室ではない。それは極寒の山稜であり、吹雪が吹き荒れる断崖絶壁だ。孤独な者が丸腰のままで挑めるような境地ではなく、一切の油断はできない。電話という困難な峰に対して、万全の備えと全力の心身をもって越えていかねばならないのだ。
そしてその先には——?電話をかけた、という事実があるだろう。他人から見れば日常であっても、それは自己における大いなる達成だ。電話をかけるということは、決してささいな行為ではない。私がいつの日かふたたび電話をかけるとき、この地上にはラフマニノフが鳴り響き、戸棚の一つからは阿修羅像が消えるであろう。
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執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の3年間は同世代との交流なく過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター 喜久井ヤシン (@ShinyaKikui) | Twitter
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