ひきこもり当事者・喜久井ヤシンさんによる小説「遊べなかった子」の連作を掲載します。12歳の少年みさきは、海の上をただよう〈舟の家〉に乗り、行く先々で奇妙な人々と出会います。さびしさやとまどいを経験していくなかで、少年はどこへたどりつくのか……?時にファンタジー、時に悪夢のような世界をお楽しみください。
文・絵 喜久井ヤシン 着色 PaintsChainer
王子!
みさきには、わけがわからなかった。
偶然たどりついた森の中の休憩所で、いきなり「王子さま」として扱われたのだ。
そこは深緑色のテントが三つあり、十人ほどの大人たちが安らっていた。遠くに炭鉱のような工場が見えたので、おそらくそこで働いている人たちだろう。作業服の労働者たちはみさきの姿を見るなり、
「これはこれは、こんなところにようこそおいでくださいました!」
「王子さまが来られるなんて、知っていたらもっときれいにしましたのに!」
と騒ぎだした。みさきは平凡なかっこうで、全然特別なことはなかったというのに。
「あの、さ」と、みさきはちゃんと誤解をとこうとした。
「言いづらいんだけど、間違ってるよ。ぼくは王子なんかじゃない。いろんな土地を、迷いながらウロウロしてきただけなんだ。この広場に人がいることも知らなかったし、この先の工場みたいなところで、何をやっているかもわからないんだ」
けれどそこの大人たちはおかまいなしに、みさきを王子として扱い、テントのあいだにあったござに座らせて歓待した。
「ささ、長旅でお疲れでしょう!汚いところですけど、こちらへどうぞ!」
というその場所は本当に汚い。
「工場視察のご公務で立ち寄られたのですか?王子さまが休憩所にまで足を運んでくださるとは、なんとありがたいことか!わたくしこの町の町長をしているドウバといいます!以後お見知りおきを!」
と、ドウバはつばを飛ばしながら話す。みさきを「王子」というのも変だったし、小さなテントの集まりを「町」というのも変だった。
「食べ物をお持ちして!お飲み物は何がよろしいでしょう?お茶?ジュース?それとも葡萄酒を?いや、それは王子さまには早いですか!ハッハッハッハ!」といって、ドウバは豪快に笑った。
作業服の大人たちは、小さなお祭りでもやってきたみたいにして、みさきを歓迎するために走りまわった。すす汚れたお皿に固いお菓子を盛り、みさきの周りをボロ布で飾りつけした。
「王子って、なんの王子のことなの?ぼくは何もできないよ。お金もないし、みんなの名前だって知らない」
みさきが立ち上がって帰ろうとしても、「町」の人たちは強引に引きとめた。
「そのお姿、そのしゃべり声、そのお顔!あなたさまはまぎれもなく我々の王子ですよ!」
「我々の気持ちがおさまりません!どうかもう少しだけいてください!」
みさきはうろたえたが、悪さをされているわけではないので、無理やり逃げる気にもならない。
「わたくしは王子さまの下僕でございます!なんなりとお申し付けください!」と、ドウバは嬉々としていうのだった。
それからみさきは、しばらくのあいだ「町」で過ごした。しょっちゅう称賛の言葉を投げかけられたし、ゴロゴロして過ごしていると、「お休みになられる姿もご立派ですねえ!」と、よくわからない誉め方もされた。食べ物も飲み物も勝手に運んできてくれるし、役に立たない「貢ぎ物」もたくさん差しだされる。そのうちの一つは手作りの王冠だった。
「みさき王子さま!どうぞこちらをおめしください!」
そう言ってドウバが差したのは、厚紙で作ったかぶり物と、すり切れた赤色の布だった。それが「王子」の王冠とマントのつもりだ。
「いやだよこんなの。バカみたいじゃないか」
みさきは嫌がったけれど、「この方が王子さまのお姿にふさわしいですよ!これからある歓迎式典では、どうか身につけてくださいね!」
という。聞けば、これから町中総出で、「みさき王子さま来町歓迎式典」が開かれるとのことだった。「町」の人たちは一丸となって、木を切り出し、丸太を並べ、即席の舞台を建設中だった。みさきは、「町」の人たちのエネルギーがどこからきているのか全然わからなかった。
「舞台ができあがって式典が始まったら、歌と踊りで歓迎いたします。最後にはスピーチをお願いいたします!」
と言われた。
みさき本人にはどうでもよかったけれど、時間が経つと否応なしに「歓迎式典」が始まり、ドウバのあいさつがスタートした。
「このたびは!ご多忙のなか、みさき王子さまが我々の町にやって来てくださいました!工場で働く我々を励まし、慰めるために、遠いお城からお越しになられたのです!」
と熱いあいさつをして、「町」の人たちも拍手と歓声を送った。
町長のあいさつと、副町長のあいさつと、現場監督のあいさつが終わり、そのあとは音楽の出し物だった。みさきはござの敷かれた「特等席」で、へんてこな打楽器と歌詞を聞き取れない「歓迎の歌」を聞いた。目の前では何人もの大人たちがみさきを讃えていて、何から何まで真剣だった。
長々「歓迎式典」を見せられていると、みさきはちょっと感動してきた。見ず知らずの自分のために、大人たちが精いっぱいがんばっている。舞台だってついさっき作られたばかりだ。作業着は汚れていたし、ヘトヘトで汗まみれになっている。それなのにみさきを全力で歓迎しようとしている。
この「町」の人たちが盛大な誤解をしているのだとしても、みさきは「王子」役になってあげようという気分になっていた。 そのため、
「ささ、みさき王子、我々のために、スピーチをお願いいたします!」
といわれた時には、「町」のために「王子」としてふるまってあげた。
「うん。わかった。みんなのためにスピーチをするよ」
みさきは厚紙の王冠と、ボロ布のマントを身につけた。
みさきが舞台の上に立つと、目を輝かせた大人たちの視線が集まる。話すことは考えていなかったけれど、どんな話をしても、みんなは「王子!」といって褒めてくれるだろう。
「えーと、歓迎をしてくれて、どうもありがとう。ぼくは……」
しかしその時、遠くの工場からブザーが響いた。動物のうなり声のような低い音が、林を抜けて「町」に響く。それは工場の仕事再開の合図だ。大人たちはその音をさかいに、ピタっと歓迎の動作をやめた。顔色も姿勢も変えて、工場の方を見る。大人たちは急速にみさきへの興味を失って、ノロノロとした動きでテントに歩き出した。舞台の前からは誰も人がいなくなった。ブザーを合図にして、みさきが誰からも見えなくなったみたいだ。
大人たちは深緑色のリュックに荷物をつめ、着くずした作業着を整え、持ち物の点検をする。一人一人が黙ったまま、別々に動きながら、工場へと戻るための支度をしている。
「ねえ、あの工場に行かないといけないの?ブザーがなったから?」
舞台からおりて質問をしても、大人たちの反応は鈍かった。無表情で少しうなずいたり、みさきを見もせずに「ああ」というくらいだ。
「歓迎式典のつづきは、仕事が終わったらあるの?ぼくは、ここで待っていたらいいのかな?」
とみさきはドウバに聞いた。けれどドウバは、王子のことななんて、もうどうでもいいようだった。
「……よ」
「え?」
「……ないよ、式典なんて」
ドウバは表情をなくした顔で、作業道具をリュックにつめていた。
「わかってるだろ、自分でも言ってたじゃないか。王子なんかじゃないって」
他の大人たちはバラバラに工場に歩きだしていて、みさきへのあいさつも笑顔もない。みさきや舞台の方をふり返りもしなかった。ドウバは言う。
「お前は、もともと王子でもなんでもない奴だろ。ただの子供がただの子供としてあつかわれるようになっただけなんだ。なにも失くしてないんだから、別にいいじゃないか」
みさきは怒りのせいでめまいが起こるくらいだった。称賛の声はどこへいったのか。大人たちの拍手や歓声はどうして消えたのか。
「おい、言ってたじゃないか!ぼくは王子なんだろ?それならずっと王子としてあつかえよ!ドウバ、なんでもお申しつけくださいって言ってたじゃないか!自分は下僕だって言ってただろ!おい!」
ついさっきまでみさきを褒めちぎっていたドウバが、まともに返事も返さない。
やがてドウバも、残っていた最後の一人も去っていき、みさきだけが取り残された。厚紙の王冠も、ボロ布のマントも、汚いゴミでしかない。「町」も「王子」もなく、使い古された無人のテントが並んでいるだけだ。みさきは、待っていればそのうちに、工場のブザーがもう一度なって、自分が王子になる時が再びやってくるのではないかと思った。それでもまた、ブザー一つで王子でなくなるだろう。みさきは「王冠」を捨てて「町」を去っていった。帰り道で人とすれ違ったけれど、その人にとってみさきはただの子供だった。
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執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の3年間は同世代との交流なく過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター 喜久井ヤシン (@ShinyaKikui) | Twitter
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