ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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NHKの中高年ひきこもり報道「山瀬健治」ははたしてヤラセか?

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2019年3月29日放送 NHK「ニュースウォッチ9」より

文・山瀬健治  編集・ぼそっと池井多

 

 

やはり、「ひきこもり」は「暗い部屋にこもってゲームしてる」というステレオタイプが強いんでしょうか?

 

中高年「ひきこもり」問題に関係して、3月29日、わたし山瀬健治がNHKのニュース番組で報道されたことで、まとめサイトを中心に「これはヤラセではないか」「捏造報道だ」といった誤解が広まりました。

完全な誤解から、「ひきこもり」への誤解あるあるといったもの、さらには耳を貸すに値する意見まで色々ありました。インターネットの「集合知」って面白いですね。

報道された本人として、まとめサイトに流れた話について思うところがありましたので、ひきポスさんのご厚意を得て書かせていただきます。

会社役員やってるひきこもり?

 まず、単純な誤解として

「ネットで名前探したら、会社で執行役員/COOやってるぞ。どこがひきこもりなんだよ」

という件について。

 

会社は、昨年(2018年)の6月に退職しています。

直接の原因は、加齢と長年のひきこもりによる体力不足でした(苦笑)。

 

特に面白かったのは、

「ひきこもり支援を謳う会社の幹部が、ひきこもりを装ってヤラセで出演している。NHKも騙された被害者なのではないか」

という書き込みでした(笑)。

 

NHKから取材のお話があったのは、前職での関係がきっかけですので、当然にNHKはわたしが退職したことは承知しています。

「ニュースウオッチ9」ではカットされていましたが、その前の「ニュース7」では「就労移行支援事業所」でのシーンも放送されています。現役で会社勤めをしていたら、就労移行支援の制度は利用できません。

ひきこもりはテレビで喋れない?

 あと、ひきこもりに対する誤解のあるあるとして散見されたのは、

「こいつは何度も働いてるからひきこもりじゃない、ただのニート(失業者)だ」

というものでした。


「ひきこもりは一度ひきこもったら出てこない」というステレオタイプが強いのでしょう。「働いては心折れてひきこもる」を繰り返すタイプのひきこもりがいるということは、想像しにくいのかもしれませんね。

 

他には、

「テレビの取材に応じてそれなりに喋れるし、身だしなみや部屋もキレイだ。あれは『ひきこもり』ではない」

という声もありました。

 

「テレビの取材に応じて喋れる」という点ですが、この背景には「ひきこもりの人は喋れない」というステレオタイプがあるのでしょう。

社会や人に対して不信感や恐怖感があって、人前では喋らない(喋れない)当事者は多くいると思いますが、身内や信用できる人の間では結構饒舌なひきこもりは珍しくありません。

 

身だしなみの件ですが、さすがに全国メディアですので少しは気を遣いました。

しかし、それでも恥ずかしながら、あの撮影の時まで10日ほど入浴できていなかったという事実もあります(苦笑)。

テレビに映ったのがゴミ部屋でなかったわけ

部屋がキレイという点は、見事な指摘です。

わたしはVTRでも述べていたとおり、家事ができないので、部屋がゴミ屋敷状態でした。ですので、去年の年末から行政から居宅介助ということで家事援助を週に1度受けています。

不思議なもので自分では何もできないのですが、ヘルパーさんと一緒だと(アドバイスのおかげも大きいのですが)少しは部屋の片付けができるようになり、ちょっと片付くと「来週ヘルパーさんが来るまで頑張って維持しよう」という気持ちになれます。

テレビ画面に写ったわたしの部屋が、そこそこにキレイだったのはそういう理由によるものです。ただし、この家事援助は期限付きなので、それまでにXデーに備えて、家事を教えてもらわないといけないと焦っています(苦笑)。

 

ここまでの話で、わたしが「当事者」なのかという点ですが、そこは「ひきこもり」の定義の話にもなってくるので非常に難しいのです。しかし、自分の意識としては、数年前からひきこもりや発達障害関係の当事者の仲間を中心に社会参加できつつあるので、完全なひきこもりではないとは思っています。そうは言っても、経済面や生活面で自立できているわけではなく、漠然とした孤立感や不安が消えていないので、回復途上という認識です。

硬直した日本社会とひきこもり

さて、唯一ネットの書き込みで聴いてみるに値する意見だと思ったのは、

「この人は単なる発達障害で、ひきこもりとは違う」

「発達障害者を報道の趣旨に合わせてひきこもり扱いしている」

という意見です。

 

ただし、この点については、「ひきこもりというのは現象であって、原因はさまざま」だと思うので、ひきこもりになった原因が発達障害に由来するということで問題ないと思います。

 

「ひきこもり」というと、隠者タイプで回避性パーソナリティ障害のおとなしい人というステレオタイプがあるように思いますが、最近では、ひきこもり同様、成人の発達障害が話題になることが増えています。

 

これは、以前なら問題にならない程度の発達障害傾向を持つ人が、学校や企業を中心に、年々高くなる日本社会の硬直性によって、能力ではなく、組織の都合による統制の強化についていけず、「障害者」にされているという側面が大きいと考えられます。

 

そして、今の日本では、一度どこかで「正社員」のレールに乗り損なうか、そこから脱線すると、経済的・社会的に困窮して孤立し、這い上がろうとしても相当な困難があり、結果的に心折れて「ひきこもり」になってしまう、という人が相当数いるのではないでしょうか。

 

そのようなタイプの人は、本人に意欲があっても社会が拒否しているわけで、わたしは「ひきこもり」よりも「ひきこもらされ」という表現の方が的確だと思っています。

つまり、ひきこもりと、成人発達障害者の問題は、「普通でなければいけない」「他人と同じでなければいけない」という、日本社会が内に持つ硬直化への圧力による社会問題であって、当事者を責めるだけでは全く解決しない、ということです。近年は、さらにその傾向が強まっており、誰でも一度転落したら二度と這い上がれない恐怖に怯えなければならない状況に向かいつつある、と思われます。

 

ということで、今回の報道で、「ヤラセ」だとか「あれはひきこもりではない」と書き込んでいる人達も、いつ自分が転落する側になって「ひきこもり」になるかわからない、という想像力をもってもらえれば、と願いつつ筆をおきます。

 

(了)