ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

生きていたくない -彼女が語った言葉-

 

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彼女の言葉に共感した、あの日
 
 
生きていたくない
だから、もちろん働きたいとも思わない。
世界がなくなって私一人、孤独になりたい。
でも、世界をなくすことはできない。
だから、私がいなくなれば、私は孤独になれる。
 
 2018年9月、
私が参加した講演会にそう語る彼女がいた。
私の近くで、彼女はマイクを握り、テーブルの角に肘を乗せながら、心のままに出てくる言葉を
自分の"今"として語っていた。
 
私は彼女とその日、初めて言葉を交わした。
か細く小柄な体が、恐れながらも儚く映った。
けれど、その儚い体の中に存在する確固たる思いは
彼女が放つ雰囲気、そして足取りに宿り、
その強さに私はどこか、彼女の"芯"を感じていた。
 
講演開始前の忙しない会場を歩き回り、
ある時は物販の売り子さんとして、
ある時は参加者の皆さんを気遣って、
ある時は主催者の方の意を汲み取って
 
講演が始まるまで彼女は明るい様子を見せていた。
 
 
講演が始まり、主催者の経験談、ジャーナリストの方の意見と、様々な情報が流れていく。
 
私自身も、ひきこもるまでの経緯、
過去のいじめの経験、そして今もなお苦しむ母親との確執について恐る恐る 口にした。 
この講演は、私が初めて、会場という場で自分の過去を語る機会となった。
 
 
私の話の後には、彼女の語りの時間が待っていた。
 
彼女は思いのままに、「自分」を語った。臆することなく、 これまでの経験から得た自分の考えを述べていた。
その姿は苦しんで生きている人間が"そこにいる"ことを強く、会場に示しているようだった。
 
中学1年生の夏休みに不登校になり、精神科を受診するようになったこと
入退院を繰り返し、現在は精神科に通院していること
摂食障害を抱え、生きていること
作業所に通所するも、耐えられずひきこもったこと
そして、20年の引きこもりに今思うこと
 
 
全ての経験が、彼女の口から語られることの意義の大きさを噛み締めながら
私は彼女の言葉に聞き入っていた。
  

私の過去はまだ終わっていない……

 
しかし同時に私は
自分の思っていることを、恥じることなく、赤裸々に、人前で話す彼女に
自分自身の至らなさを感じていた。
 
私は未だもって過去をどこか突き放し、同じ経験をした人の前であっても、その詳細を隠そうとする。
 
大勢の前で自分のことを語ろうとすれば
誤解を恐れ、そしてその過去が拡散されることに怯えて口を閉ざす。
 
自分の中で踏み固められていない過去に、他者からの手が伸びてくると
途端に震え、拒絶感を放ち始める。
 
彼女が流暢に話す姿を見つめ
私は同じ場に留まってよいのか意思が揺らいでいた。 
 

彼女は今、

 
そんな私の鬱々とした気持ちをよそに講演は無事に終了した。
 
彼女は少し疲れた様子だったが、変わらずあっけらかんとしていて、
開放的な態度で人と接していた。
 
彼女へ労いの言葉をかける人達、そして会場に集まった参加者の心に
彼女の言葉が残ることを私は願った。
 
 
 
 
後日、講演会の主催者と連絡を取り合う中で
講演以降、彼女との連絡がつかなくなったということを聞いた。
 
 
私は、その事実が宙に浮いたように、どう手を触れていいのか、迷いと焦りに襲われ、
安易に彼女の心に踏み込むことへの躊躇に、体力は割かれた。
 
 
私の体の中に、彼女の言葉に共感し、吸い寄せられ、彼女の口から出る言葉を求めた時間が蘇る。
彼女の"苦しみを伝える強さ"が記憶の中に響いた。
 
彼女の今に、これまでの苦しみに、
敬意を表したい気持ちはあの日から変わらない。   
 
 
「それを大変だと感じたら、生きていけないから」
 
 彼女の口から自然と出た言葉。
 
  
あの日、私は彼女の話に聞き入りながら
スマホに、急いで書き留めた。
 
私はそれを、今も見つめる。
 
講演会が終わったあと、
「私と同じだね」と言いながら、彼女が私に抱きついてきてくれた感触を思い出しながら。
 
 
私の中にもいまだ消えないでいる
この感情は
自分を大切に生きることと
社会で生きていくことの両立を難しくする
 
私はどう生きていけばよいのか
 
彼女の言葉に
思いを巡らす。
 
 
 
(著・写真 ゆりな)
執筆者  ゆりな
2018年2月、ひきポスと出会う。
「私はなぜこんなにも苦しいのか」
ひきこもり、苦しみと痛みに浸り続け、生きづらさから目を背けられなくなった。
自己と社会の閒-あわい-の中で、言葉を紡いでいけたらと思っています。