今回は、「ひきこもり目線」で選んだ2010年代の歌集特集 第二弾をお届けします。五七五七七のリズムにのって、歌い手の思いがこめられた言葉たち。時代を反映した〈生きづら短歌〉の世界をご案内します。
→第1弾 平成の牛丼編
※敬称略
砕け散った〈わたし〉の破片 『キリンの子』
鳥居 『キリンの子』 KADOKAWA/アスキー・メディアワークス 2016年
理由なく殴られている理由なくトイレの床は硬く冷たい
全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る
剥き出しの生肉のまま這う我を蛇のようだと笑う者おり
鳥居(とりい)は過酷すぎる体験をしてきた歌人だ。第一歌集の『キリンの子』と一緒に伝記が出ており、そのタイトルは 『セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』 。鳥居は目の前で母親が自殺し、孤児となって養護施設で生活するも、くり返し暴力を受け、一時はホームレス生活をしていた。なんて激しい人生か。セーラー服を着て生い立ちを語る姿はセンセーショナルなものだ。しかし作品は、作歌のたしかな技術に裏打ちされており、伝統的な短歌の深みを宿している。
病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある
孤児たちの墓場近くに建っていた魚のすり身加工工場
悲痛な体験から生まれた、いくつもの寂しい風景が切り取られている。「病室」や「孤児たちの墓場」が、ほとんどの読者にとって見慣れない景色だとしても、「豆腐」や「魚のすり身」といった食卓の言葉と合わせられることで、日常的なリアリティが加わっている。
個人的なことだが、「病室」という言葉から思い出す体験がある。私は統合失調症の診断を受けたことがあり、「自分」の感覚がわからない時期があった。以下の二首はその頃になじんでいた体感だ。
私ではない女の子がふいに来て同じ体の中に居座る
響くのはひとつの鼓動 乖離する私がわたしのなかに眠らぬ
辛い出来事が重なると、自分が自分でなくなるような感覚を覚える。精神病をわずらった人に、『わたしはわたしではなくなった』という言葉もあった。特定の出来事から何年、何十年が過ぎていったとしても、「わたし」は今現在の「わたし」を生きることができなくて、毎日しんどい思いを続けねばならない。鳥居の短歌は、その苦しさが現在進行形でずっとつづいている。自分が辛い思いでいるときに、その現在進行形の苦しさが「慰めの威力」となって、言葉が胸まで届いてくる。
以下の歌も、そんな威力を持っていないだろうか。
友達の破片が線路に落ちていて私とおなじ紺の制服
ご遺族に会わないように大雪を選んで向かう友だちの墓
消しゴムを失くしたくらいの風穴を感じて歩く友の死のあと
参考
岩岡千景著 『セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』KADOKAWA/アスキー・メディアワークス 2016年
天国と地獄とコンビニとコンビニ『ひだりききの機械』
吉岡太朗『ひだりききの機械』 短歌研究社 2014年
ごみ箱に天使がまるごと捨ててありはねとからだを分別している
兄さんと製造番号二つ違い 抱かれて死ぬんだあったかいんだ
プログラムは更新されて君は消える 風鈴の向こうに広がった夏
吉岡太朗(よしおか たろう)は、1986年石川県生まれ。『ひだりききの機械』はデビュー歌集で、SF的でポップな作品集だ。表紙だけ見ると硬い感じだが、中には全然短歌じゃない文章や、図の挿入や構図的な遊び、手書きの文字までつまっている。想像力が炸裂しており、いくつかあるうちの章の一つは、「もしスーパーマーケットが戦場になったら」というもの。
攻め込んだゲリラ部隊と店員が特売のねぎでしばきあう午後
万年時給700円が渾身の力ではなつプラズマテレビ
タイトルのとおり、スーパーで大乱闘する人々のパニックと切なさ(?)が描かれている。私小説的な短歌の伝統からはかけ離れた、自由なイマジネーションの世界だ。また別の「ローソン」の章は、おそらく短歌史上最多のコンビニ登場ページとなっている。
ローソンとファミリーマートとサンクスとサークルKのある交差点
ローソンを出るとガストでガストから出ようとするとローソンである
短歌は元々、身近にあるものを歌ってきた。身近にあるものが稲穂や山麓であればそれを歌っていたらいいけれど、残念ながら、現代はそんなに味わい深いものがない。見渡してあるのはコンビニでありスーパーであり、手にはスマホとかUSBとかを持っている。私は短歌の素人だけれど、身近なものを正直に歌う短歌というのは、すごく「正しい」のではないか。遠い風光明媚な世界を歌われるより、よほど心に入ってくるものがある。
もっとも、吉岡太朗は短歌研究新人賞の受賞者であり、堅実な歌風からはずれているわけではない。冒頭の歌もそうだが、未来的なテーマであっても、その歌には叙情が含まれている。
人類の誰もが未だ内定を持たない頃の星のまたたき
五十六億七千万次面接に落ちたのでだれもすくえません(弥勒菩薩)
不死鳥をガソリン漬けにしてぼくら燃やすのはまだもったいないと
たった三十一文字で、見たことのない光景に連れていってくれる。近未来の寂しさを描いた、小さな映画がここにある。
こわれてしまったぼくたちは 『中澤系歌集 uta0001.txt』
中澤系『中澤系歌集 uta0001.txt』 双風舎 2018年 ※再版
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
中澤系(なかざわ けい)は、1970年神奈川県生まれ。2009年、38歳の若さで病死している。
この歌集を最初に知ったくらいの時期だったと思う。よくテレビに出ていた芸人のネタで、「あたりまえ体操」というのがあった。NHKの体操の音楽に合わせて、通常ならストレッチをおこなうところ、「右足を出して 左足を出して 歩ける」など、あえて「あたりまえ」のことをする意外性で笑いをとっていた。しかし当時「ひきこもり」的だった私は、そこに全然「あたりまえ」さを感じなかった。私にとって、外を歩くことは果てしなく複雑怪奇なことだ。
秩序 そう今日だって君は右足と左足を使って歩いたじゃん
戦術としての無垢、だよ満員の電車を群衆とともに下車する
ヒトとして生きる訓練ならばこの混み合う車内も愛するべきか
通勤・通学のために、道を歩いて電車に乗ることは、社会人として「あたりまえ」のことだとされる。でも私は、本当には理解できていないのだと思う。3番線の快速電車が通過するその瞬間に、私はホームに立っているべき人間ではなかった。「ヒトとして生きる訓練」のように、毎日満員電車の群衆と同化する。そんなことがどうしてできるのか。私からすれば、世の中の「あたりまえ」の方が不思議でならない。
メリーゴーランドを止めるスイッチはどこですかそれともありませんか
出口なし それに気づける才能と気づかずにいる才能をくれ
牛乳のパックの口を開けたもう死んでもいいというくらい完璧に
きげんにせんろっぴゃくごじゅうきゅうねんの夏 あたらしき戦後はまだか
中澤系の歌は、現実からすこしだけ遊離した景色を切り取りって、そこに生じた恐ろしい谷間を見せつける。「道を歩く」こと、「電車に乗る」ことが、ゾッとするような深淵を孕んでいることに気づかせてしまう。
街中に流布したルールそれはそのルールのためのルールであった
理解したような気がした 理解したような気がした、ような気がした
上の二首には同じ言葉のリフレインが入り、奇妙な味わいを生んでいる。それは正統な韻律からするとやりすぎているものかもしれないが、言葉がぐにゃりと入り込むような独特の気色悪さが、生理的に残る後味を生んでいる。
そして、歌集の最後を飾る歌が次の一首だ。壊れたコンピューターがエラーメッセージを発しつづけるように、同じ言葉がくり返されている。この一首からは、終わることのない三十一字の悲鳴が聞こえる。
ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
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執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の3年間は同世代との交流なく過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター 喜久井ヤシン (@ShinyaKikui) | Twitter
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