ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

私の目線 ーひきポス編集長の思いー

 

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目線の先の感情

  

著・写真 ゆりな 

目の前にある人生の岐路

 
2019年への時間軸をまたぐ時、
私は床から出ることが叶わず
掴みようのない、自らの内面と向き合っていた。
 
私を縛るもの、私がしがみつくもの、
私に吉として刺さるもの、
その全てが複雑に混ざり合い
これらを
乱暴に突き放したいような
でも、じっくりと整えたいような
そんな対な気持ちは
私に肉体的にも精神的にも
不安定な時間として覆い被さっていた。
 
こらえ、惜しみ、溺れ、私の日々は
また自らを閉じ込めた。
 
私は苦痛を引きずりながら、
ひきポスが日々更新されていくことを見守り、記事を読み続けた。
 
 
 
時間が経てば経つほど
記事を読めば読むほど
皆を知れば知るほど
 
私は何を求められ
何処にいるのか
立ち位置の解像度は薄れ、足元が霞めて見えなくなっていった。
 
求められていくことは常に変わり 
次に、彼らに会いに行くときには
皆、体の中に私の知らない経験や思いをため、積み重ねている
 
彼らの思いや、やり方も
試行錯誤の中に途切れることなく次へ進む
 
私には追い付かない早さをもって
空気が距離を作っていく
 
 
私は
 このまま立ち尽くして
このまま置いていかれる 
 
 
 立ち止まった体は
皆の行く先を追えず
私は自分の体の重さを感じることしかできなかった。
 
 
 
しかし
時は並行して
私は今の、事の捉え方、感じ方、言葉への距離に
どこか自分でも行く先のなさと
居心地の悪さを感じていた。
自分から何かを手放し、何かに手を伸ばさなくてはならないことの自覚を
呼んでいるかのように
この感情はどんなに目を背けても
否が応でも私の眼前に居座っていた
 
 
その恐怖と魅惑は私の思考に
とろり と入り込み
私の脳裏を支配した。
 
 
この葛藤を安らかに落ち着けるには
どうすれば………そんな問いが
苦悩の裂け目からこぼれ出し
 
 
私の心は、いつしか編集長に聞くことを求めていた。
 
あなたの行く先が見えていないと不安を感じるようになった。
 
 
編集長にとってひきポスの活動を続けることはどんな意味を持っているのか」
 
日に日に、聞きたい気持ちは大きくなっていった。
 
 
 

人生の価値を取り戻している姿を素直に受け止める

 
 
後日、編集長と話す機会があり
彼は私のために時間をとってくれた。
 
「俺がひきポスの活動をしている意味だっけ?」
 
彼は、私が聞きたいことを覚えていてくれた。
 
 
店内の騒がしさが空間を覆う中、
編集長の気分は、この空間を楽しんでいるような、それでも、どこか
スッと空気を切る鋭利さをまとって、私に向き合ってくれた。
 
 
「俺がひきポスの活動をしているのはね……」
 
 
「ひきポスをきっかけにして
人が羽ばたいていくのが嬉しいんだよね。 」
 
 

「この世界では、ほとんどの生物は微生物として生まれる。

哺乳類として生まれるのはとても可能性の低いこと。

しかも、自分は人類として生まれた。

 

知識を学んだり、考えたり、道具を作ったりって、人間しかできないことだよね。料理をして、捕食を別次元の楽しみに変えてしまうのも。同じように、苦悩することは人間にしかできないことで、、そこには必ず意味があると思うんだ。

だから苦悩すら俺は精一杯楽しみたいと思ってるんだよね 。」

 
 
私は思った。
 
あなたはひきポスの活動をすることで
過去の自分自身への"補完"をしているんじゃない。
 
自分のために運営しているのではなく
活動に関わる人々が、そこからどう変わり、どう成長していくのかに充実感を覚えている。
 
その人が人生の価値を取り戻している姿を素直に受け止めている。 
 
ひきポスの周りに集まる、その人が自らの人生を生きている姿を見ている。
 
そして、
あなた自身が、あなたの人生を楽しみ、
そして、
「生きていること」を感じている、と。 
 
 
一緒にいてこんなにも心地よい理由は
"ここ"にあったのだと、
ずっと体の奥で鳴っていた小刻みな揺れが静かにおさまるのを感じた。
 
 
 
編集長の横で、私は
あなたがこれから紡ぐ先に、意味を見出だしたいと願う。 
あなたの背中を見失わないよう、首をもたげ、私は自らが求める姿を探す。
 
 
話終わると、彼は
私の心への干渉しない距離感と、心地よい無関心を示す。 
 
 
私に語ってくれた後、
彼はテーブルの上にあるチーズペンネに手を伸ばし、口に運んだ。
その手はあまりにもあどけない、
苦しみに向き合い続け、自分自身を否定しきった先に生きる彼は
私の遠い標として、心にピンを打つ。
 
私は
世界に楽しみを感じて生きていることがどういうものか
彼越しに見せてもらった気がする。
そして心に留めきれない、
この はみ出した感情は
あの日の私の帰路と共にある。
 
 
執筆者  ゆりな
2018年2月、ひきポスと出会う。
「私はなぜこんなにも苦しいのか」
ひきこもり、苦しみと痛みに浸り続け、生きづらさから目を背けられなくなった。
自己と社会の閒-あわい-の中で、言葉を紡いでいけたらと思っています。