著・写真 ゆりな
川崎殺傷事件、練馬ひきこもり長男殺害事件から残酷にも時は経過し、1ヶ月という月日が私に問いかける。
今日に至るまで「ひきこもり」というワードを核にして様々な議論が行われ、多くの人の意見や見解が述べられた。
事件の究明を急ぐものから、ひきこもり支援、当事者の心境が綴られた記事など、多様な視点で切り取られたニュースを私は目で追った。
事実が明らかになっていくにつれ、記事の中で言及される内容も、事件の容疑者の背景を追うものから、社会問題としてのひきこもり、そのひきこもり当事者を取り巻く状況、ひきこもり当事者や当事者家族の抱える孤独など、
現在苦しむ人に焦点を当てた内容が組まれていくようになったと感じている。
同時に時間の経過、日々の情報が積み重なっていくに伴って、 私自身の抱く感情も、記事の一文字一文字を手にとって確認することが、心の内の気色を、憂いを帯ながら変化させた。
そして、この手記を書くに当たって、私の頭の中をずっと巡り、
どんなに振り払っても、心が問い続けたのは、
身に覚えのある、自らの中にある被害者意識の先に膨れ上がった加害性だった。
自分の中にある加害性について言及しないでは、そこに囚われていない自分を、真実を、語れない気がしていた。
当事者だからこそ語れることはあるかもしれないが、
当事者だからといって安直に論じることを許さない
そんな自分への戒めが
何度も、書く手を止め、投稿することを躊躇させた。
被害者意識だけで書き続けられるほど
当事者手記にペン先を向けることは
思いが許さなかった。
川崎殺傷事件、練馬ひきこもり長男殺害事件が起きてから、
私は
沈黙することを選んでいる自分と、
沈黙することを選ばざるを得ない自分と
沈黙していたい自分とが、
同居した。
現に、ひきこもりという立ち場をもち、さらに、自らを余すことなく説明する言葉を持たない私にとって
事件が起きた目の前の状況をどう捉えるべきか、私は何を思うべきなのか、
感情の居どころを定められずにいた。
言葉の持つ意味と役割を頼り、すがっても、どうすることもできず、
私は長く自室にひきこもっていた時と同じように
「こんなことを考えているのは私だけではないか」
と何度も頭の中で反芻し、毎日、書く手が止まった。
書こうとすると、自らの書けない弱さと対峙し、
言葉を選びとれない
思いを掬いきれない
やりきれなさとやり残した感覚に負い目を感じながら、
眠れず、気づけばカーテンの裾から光が入り込む日々を過ごしていた。
これから私がここに綴るものは
誰かを傷付けるものになるかもしれない。
この手記さえも、私の中の「偏り」を反映させているのかもしれない。
ただ私の中でこの事件から逃げたくない思いだけが私の書く手を動かし、
何かを考えなくてはならない
考えることをやめてはいけない
と
人の心の在る処を求め、心に空いた穴からこの問いが溢れることが止まなかった。
なぜ、自らの中にある加害性を告白することがこんなにも怖いことなのか。
なぜ人は加害性を隠したくなるのか。
なぜ加害性を考えている自分に卑しさを感じるのか。
その問いに対する答えが
社会にとっても要されるべき
そして自らに何かを与えるべくして生まれた問いだと信じたい。
「私を、この苦しみから救えるもんなら救ってみろ」
岩崎容疑者が自らの手で自らの首筋を刺し、彼の本当の動機を知るすべを断たれてしまった今、
私は、彼がこの世で行った事実を知った先で、自らの過去を振り返り、そこから巻き起こる感情を言葉にすることしかできない。
川崎殺傷事件の記事がインターネット上に載った時、そこに映るヘリから撮影された現場の写真を見て
私の脳裏には過去が遡り、頭の中の思考を拐った。
私の思考を支配したのは、
私が自己否定を突き詰め、自らを蔑むことを嗜好としていた当時の感情だった。
私は学生時代、自己否定を極め、自らを滅することに全神経を捧げていた。
自らの存在を危うくさせることに目を血走らせ、
自分の中の何かを信仰するかのようにして、ひたすら鋭いもので心を抉り、原型をとどめぬまでに潰し続けた。
「私はここまで自分の存在を薄く、人の手で拾うこともできないほどに小さく砕き潰すことができたよ。誉めて?」
中途半端に苦しむことを自分に許すことができなかった私は
苦しみのどん底まで落ちていかないと見えない世界があるのだと
根拠もない異世界を見ることを望み、それを信じていた。
私は徹底的に自らを傷つけ、
傷つけ続けることが私のアイデンティティとなっていた。
しかし、
その痛め付けられた傷口から膿が出るように
時に苦しみの隙間からこぼれでた。
「助けて。 」
けれど、その決死の叫びは
声でなく、
目で、態度で、硬直する体で表れた。
スマホのメモの中に必死に言葉を書き綴ることはできても
音のある言葉で、人に助けを求めることは出来なかった。
私の助けを求める様子は周囲には伝わらなかった。
私の心に目をくれるには、あまりにもそれは、周囲にとっては無関心事で些細すぎた。
私の心は素通りされるように、
「苦しみは自己処理してくれ」とでも言うように
私の目の中で、透かさず皆は皆を生きていた。
「助けを求めるのはこれが最後だ」
人の温もりを最後にしようとした。
これを最後にしてしまったら、自分はこれからどこかへ戻れなくなる
それを知っているのに、
私の体は否定の先に手をのばした。
聴こえない助けは誰にも気付かれなかった。
気付く眼差しはあったのかもしれない。
けれど、私が望む世界を持つ者は現れなかった。
私を救う言葉を持つ者はこの世界にはいない。
それから自分を没するための慣行は、一気に加速し、傷に対する感覚が麻痺していった。
自己否定が私の一部になった。
痛みが私の存在証明になった。
誰も私を救えないところまで落ちよう。
誰も救えなくなった世界で私は生きてみせよう。
そうすれば、ようやく私は孤独になれ、この世界の誰の目もないところで生きることができる。
私は周りから異質な人物として存在することを好み始め、何か全能感を手にしたように自らの中にその気色を纏い、
心を異世界に閉じ込め
抉った穴の中に自らを落とし入れていった。
自分にも絶望し
人にも絶望し
社会のあり方にも絶望し
この世界で生きる理不尽さに絶望した
そして、これらの絶望の先を、私は臆することなく望んだ。
否定しきった道で後ろを振り返ると
もう誰もいなくなったのを感じた。
「私のことを救えるもんなら、救ってみろ」
「自分で自分を救えなかった」頃の傷が疼く
「誰よりも人に迷惑をかけないように、
誰も傷つけないように生きているのに
なぜ皆は私をおかしいと笑い、排除する?
自分を否定することに、頭の中で自分を没することに、どれだけエネルギーを費やしてるか知らないでしょ?
………………
あなたにはここまで自分を殺すことができる?
きっとできないでしょう。
だってあなたは、私を知らない世界で生きているから。
なら、それを知らないあなたにこの痛みを、傷をもって体に思い知らせてやりたい。
もうそろそろ誰かを傷付けていいんじゃないか。
あなたたちが私をこの世界から剥がしたように
これからは、私も私を手放すよ 」
自分で自分を救う可能性を手放したとき
自らの中に加害性が湧いた。
自分で自分を傷つけた分だけ誰かを傷付けていい気がした。
この時だ。
私が被害者意識の膨れ上がった先に加害性が待っていることを知ったのは。
被害者意識が膨れ上がった先の加害性を身をもって体験している私には
事件を文字で追っていると、
自分で自分を救えなかった過去の傷が疼く。
人を傷付けたくなる衝動は
自分で自分を殺め、衆の意識が私を葬った痛みから自己への回復を叫び、
悲痛の底に身を委ねていることだ
と、体が言葉にしようとする。
あの頃の、自己否定の先に異世界を望み信じてきた私に、当時見えていた世界があったとして、
それを今、ここに伝えられるとしたら
「私の事を救えるもんなら、救ってみろ」と被害者意識が膨れ上がった先にあったのは、人への威嚇と社会への侮蔑だったと、文字を連ねたい。
川崎殺傷事件に立ち返り、私は、事件にどんなに思いを馳せても、誰に対して思いを馳せても、
これ以上は考えてはならないと心がブレーキをかけた。
そのブレーキは意識的でも、意図的でもない。
生物として、行ってはならない境地に足を踏み入れることを止める
静かなる雷が頭の上に落ちる感覚だ。
けれど、
自らの加害性に無自覚であることが恐ろしかった。
加害性を忘れ去ることを了承したら、
加害性を考えることから逃げようとしたならば、意識がそれを許さなかった。
考えることから逃げれば、そこにいる私に対して罪悪感という刃物が向かった。
そして、加害性から目を背けた先に待っているものを頭上に浮かべたとき、それが私には慄くものだった。
「救えるもんなら、救ってみろ」と
助けを求める感情が
時間の経過の中でいつしか彼の中の自尊心を駆逐し、食い尽くされて何かを越えてしまった。
橋を渡った向こうにいる彼に
私は、共感も、言葉も
何かを伝えようとする意思を手渡すこともできない。
加害者と自らを隔てる壁に手を当てた瞬間、加害者の心理を紐解こうとする行為へ手をつけようとすれば、それはたちまち、自らの背後を切り落とす想像へと結び付く。
人を傷付けることに無自覚であることがこれからも人間を虐げ、人間を淘汰し、人間を屠り続けるなら
私はペンを取る。
この事件を私事として捉えるために。
私は首をめぐらす。
この事件が起きるに至った経緯、
そして、
すでに予想されていた未来を放棄し、
流れ着いた今のこの社会を。
過去記事
執筆者 ゆりな
2018年2月、ひきポスと出会う。「私はなぜこんなにも苦しいのか」ひきこもり、苦しみと痛みに浸り続け、生きづらさから目を背けられなくなった。自己と社会の閒-あわい-の中で、言葉を紡いでいけたらと思っています。