今回は〈生きづらブックガイド〉特集をお届けする。近年発売された本を中心に、うつ・ひきこもり・アダルトチルドレンなど、生きづらさを描いた8冊のオススメ本をご紹介。コミックエッセイや有名タレントの本など、比較的読みやすいものを集めました。
- 田中圭一 『うつヌケ』
- 先崎学 『うつ病九段』
- 山田ルイ53世 『ヒキコモリ漂流記』
- 若林正恭 『社会人大学人見知り学部 卒業見込』
- 汐街コナ『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由』
- 田房永子 『母がしんどい』
- Create Media 『日本一醜い親への手紙』
- 『石田徹也全作品集』
田中圭一 『うつヌケ』
田中圭一著『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』KADOKAWA 2017年
作者の田中圭一は、手塚治虫などの巨匠の画風をパロディにしてきた漫画家だ。重いうつ病をわずらった経験を活かして、音楽家や作家など、さまざまな人のうつの体験談を漫画化している。語られるのは自殺願望や孤独など、極めて深刻な事態だが、ユーモラスな絵柄で描かれているおかげで読みやすい。
一度はうつから回復して「もう大丈夫」と思えても、好不調には波があり、ふたたび落ち込む時期がやってくることなど、当事者ならではの切実な視点がある。
印象的だったのは、「うつはほうっておくと死に至る病です」と断言するところだ。場合によっては、「うつは心の風邪のようなもの」と言う例がある。それは精神科を受診しやすくなる効果はあるけれど、「うつで会社を休むこと」=「風邪程度で会社を休むこと」だと思われかねない。そうではなく、うつは癌(がん)にたとえられるくらいに重大な状態であり、無理して放っておくことは危険だと伝える。軽い漫画タッチの中に、熱のあるメッセージがこめられている。
先崎学 『うつ病九段』
先崎学著『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』文藝春秋 2018年
著者は17歳で将棋のプロとなってから、30年にわたり第一線で戦い続けてきた。しかし棋士として多忙を極めるなか、突如うつに襲われ、喜怒哀楽の感情を失くしてしまう。入院先で十日間風呂に入らず、死にたいと考えていたことや、『ふざけんな、みんないい思いしやがって』と怒りをぶちまけるところなど、自身の体験が赤裸々につづられている。
著者はうつ病について調べ、うつが「心の病」ではなく「脳の病」であることを知る。それを実感したのは、「七手詰めが詰まなかったとき」だという。うつからの回復期に将棋と向き合ったが、以前の勘が戻らない。
『それにしても、簡単な五手詰や七手詰などというものは小学校の三、四年のころにはもう瞬時に解けるようになっていたはずである。だから四十年ぶりに私は易しい詰将棋と格闘したのだった。』
という。詰将棋の基準が尋常ではない。
著者がうつに苦しんでいたのは、奇しくも藤井聡太四段(当時)が連勝記録を作り、世の中に将棋ブームがおとずれていた時期だった。棋士たちの名が実名でばんばん出るため、将棋界の裏話がわかることも面白い。
山田ルイ53世 『ヒキコモリ漂流記』
山田ルイ53世著『ヒキコモリ漂流記 完全版』KADOKAWA 2018年
「一発屋芸人」として知られる髭男爵の山田ルイ53世が、自身のひきこもり経験と、売れない極貧生活時代をつづった自伝。「神童」と言われるほど頭が良かった幼少期から一転、中学時代にひきこもり、強烈な自己嫌悪に襲われる。
やることもやりたいこともなく、「人生が余ってしまった」絶望的な期間のことを、山田ルイ53世はこう語っている。
『もう勝ち負けの決まった終わったゲームを続けなければならない理由などないのである。将棋でも、何手も先を読んで、潔く早々に「まいりました」をするではないか。一回表で30対0で負けているのに、最後までモチベーション高く試合ができるだろうか。否である。』
本の後半は、売れない芸人時代のエピソードだ。捨てられた弁当などで飢えのしのいでいたので、体がぜんぶ「ゴミでできていた」時期があるという。芸能界の荒波にもまれた芸人の、独特なメンタルのセンスが光る一冊だ。
若林正恭 『社会人大学人見知り学部 卒業見込』
若林正恭著『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』KADOKAWA/メディアファクトリー 2015年
お笑いコンビ「オードリー」として活躍する著者が、生きづらさ盛りだくさんのエピソードをつづった。雑誌『ダ・ヴィンチ』連載を単行本化。
自意識過剰で人からどう見られるかを気にするが、お世辞を言えないせいで仕事にもさしさわりがでるほどプライドが高い。『ぼくは「スタバ」で「キャラメルフラペチーノ」の「グランデ」を飲んでいるところに知り合いがきたら窓を破って逃げる』なんて言葉も出てくる。しかし人から「中二病」だと指摘されても、自分で納得するような冷静さがあり、エッセイとして微妙な味わいがある。
出色は芸人らしい貧乏話で、一時は電気代や家賃が払えなかったという。近所の知り合いのおばさんからは「大丈夫よ。面白いもの」と励まされるも、現実は厳しく、まったく笑いがとれない。おばさんからエクレアをもらったあとで自己嫌悪におちいり、『おばさんが帰った後、エクレアを左手で握り潰して壁に投げつけ、ぐちゃぐちゃになったのを泣きながら食べた。』というくだりなんて笑えて悲しい。ぐだぐだしている精神面の描写は親近感が湧く。
汐街コナ『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由』
汐街コナ著 ゆうきゆう監修『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)』あさ出版 2017年
汐街(しおまち)コナによる実体験コミックエッセイ。「ブラック企業」に就職し、どれほど過酷なパワハラで追いつめられても、会社を辞めることができない。そんな精神状態を記録した、真に迫った当事者手記だ。『マンガで分かる心療内科』シリーズを手がける精神科医・ゆうきゆうが監修を担当している。
骨折したときは、無理に歩こうとしても歩けない。本作はメンタルの行方を描くとともに、今まさに苦しんでいる人たちが無事であるようにという願いが込められている。誠実に作られた一冊だが、このような本が描かれ、多くの反響を生んでしまう社会であるところに、現代日本の恐ろしさを感じる。
田房永子 『母がしんどい』
田房永子著『母がしんどい』KADOKAWA/中経出版 2012年
田房永子(たぶさ えいこ)はコミックエッセイの描き手で、もっとも多いテーマは、自身の体験を元にした「毒親」だ。本作の他にも、『それでも親子でいなきゃいけないの?』(2015年)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(2018年)など、強烈な作品を連発している。
実体験という重さが詳細な記録を生みだしており、「毒親」がどのように精神をむしばみ、大人になってからも悪影響を与えるかがよくわかる。「親を悪く言う」ことは、世間的な道徳からすれば許されていない。著者自身も親を批判的に描こうなどと思っていないのだが、どう考えても精神を壊してくる相手(母親)がここにいる。著者自身が悩み、驚き、苦しんでいるために、言葉が嘘にならない。絵柄に個性的すぎるところがあるものの、どぎつい内容にメスを入れていく力を持っている。
Create Media 『日本一醜い親への手紙』
Create Media編『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』dZERO 2017年
90年代に、『日本一短い「母」への手紙』という本がベストセラーになったことがある。一般の人々が母親への感謝をつづったもので、全編にわたり家族愛や親子の情の深さが伝えられていた。それに対して、『日本一醜い親への手紙』(1997年)がカウンターとした出版されている。親からの虐待を生き延びたサバイバーたちが、自身の親に向けて吐く怨恨や決別の手紙だ。今回紹介するのはその20年後の続編だが、基本的なところは何も変わっていない。親から壮絶な虐待を受けた人々がおり、親への憎しみの感情が世間の人たちから理解されないことを嘆く。この構造は20年経っても変わっていない。ある人は親を『死んでも許さない』と言い、ある人は『小さい頃から私は、お母さんが吐き捨てる毒のゴミ箱だった』と語る。これらいくつもの凄まじい手紙は、親と子の関係を考えるうえで、読者の試金石になるだろう。
『石田徹也全作品集』
石田徹也著『石田徹也全作品集』求龍堂 2010年
少し趣向を変えて、画集も紹介する。本書は空想的な自画像を多く描いた画家の作品集だ。透明感のあるファンタジックな画風だが、そこには孤独、空虚さ、抑うつなどがこめられており、鑑賞者に不安な後味を残す。日常的な物と同化した画家自身の顔は、はっきりとした敵意や苦しみすらもなく、行くあてのない、呆然自失した表情を見せている。これはロストジェネレーションを描いた、きわめて現代的な表現だ。なお石田徹也の公式ホームページで、多くの作品を鑑賞することができる。
タイトルに『全作品集』とあるのは、2005年に31歳の若さで画家が亡くなっているため。本書は遺作集でもあり、アート界の異才を追悼する記念碑でもある。
・・・+1
サン=テグジュペリ『星の王子さま』
サン=テグジュペリ著『星の王子さま』河野万里子訳 新潮社 2006年
近年の日本の本を取り上げてきたけれど、おまけでもう一つ。読むたびに印象を変える20世紀の名著、『星の王子さま』だ。バラの「愛」のあり方、王子さまを求めるキツネの寂しさ、たった一人の星にいる名もない人々……。印象は読んだときの気分によって変わり、ある時には王子さまの冒険の本であり、ある時にはうらぶれた男たちの孤独の本になる。
日本では子ども向けに売られている印象があるが、そもそも児童書として作られたものではない。著者の祖国であるフランスの場合、本書は哲学的で高度な比喩をもつ作品として知られ、多くの思想家を刺激している。すでに話を知っているという人も、あらためて読み返してみると、まったく違った作品に見えるのではないだろうか。
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執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の3年間は同世代との交流なく過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター 喜久井ヤシン (@ShinyaKikui) | Twitter
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