ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

夜中の街のにおい

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頭をたれて地面を見る、それが私の歩くときの癖

 

文・写真 ゆりな

無辺の空気は私を包み

思考は

むやみな感情からの解放を試みる

 

夜は、私の一辺を手放し

けれど同時に、私の生は握ったまま

その手綱の結び目はどこにあるのか

頭上を見上げる

 

静心をまとい、黒みを決め込む

深更は

虹彩を操る必要のない時間帯

 

同調に従わず

在るものは在り続け

静的に、動的に

人の作為が薄れる

 

騒がしさを逃れた街のにおいは

私には心地よい

 

 

人の湿気のない、乾いた空気

気配のない

視線のない

心の起動がない

企みの軌道がない

無形のそれは

私に安寧秩序をもたらす 

 

人の呼吸が生み出す蒸気は

私にとってまとわりつく蜘蛛の糸

私の歩む足に絡み付いて精神を奪っていく

 

 

社会と不縁を結んだ私の

居どころは

腕にはめた時計が

重力を与えられず

磁場の杭を打たれ

秒針が行く先を彷徨うように

定まらない

 

不縁の契約を交わした私に

硬い空虚な道は

「なぜそこに道があるのか」

私はその存在の意味を問わずにはいられない

 

 

私が意味を問う、如何なる由縁 

傷付けられた過去

埃のかぶった生傷

膿んだままの風景を眺め続ける日々は

私から生きる意味を拐った

 

私がこの世界の価値を疑おうとする理由は、いつもそこにある

 

 

 

いつしか

体が深く息を吸い込むことを許し

鼻を鳴らして

「こんな におい だったっけ」

と、心が自然と声を出す

 

人の血生臭さと

社会の虚偽の臭いが静まる夜

 

日付は同一線上にあるにも関わらず 

 

私は

太陽と月の区別を喜ぶ

 

その区別に、人間のにおい  はしなかった

 

 

作為のない世界は、私に及んでこない

 

何をしても喜ぶことのない世界が広がると

私は自由でいられる

 

 

今なら独りでいられる。

今だけなら。

 

 

その自由さにかまけて

私は

道路を分けるセンターラインの実線を踏む

 

白い標示は 人の存在を隔て

整理することを忠実に守り

分断を駆り立てる

 

車の減速を促すために作られた道路の凹凸も

その凹凸の存在を知らせるライトの点滅も

 

誰かのために存在することのない時を迎え

それがあることによる何かの作用を期待することなく

その座する境地は

私に介入を望ませない

 

 

意義に困らない樹脂の有り様は

私にどこか憧憬を与えつつ

けれど

その意義から逸脱して分離したくなる人の性を

恍惚と見直す

 

作られ 置かれ 命ぜられ 動く 

音もなく 意もなく 

無機物として存在するそれらは

 

有機物の私に

無と有の境界を教示する

 

 

人の意思の減った世界は

時の輪廻が

またどこかへ連れていってしまう

 

この目に人を映さずに生きていたい

それを微かに叶えることのできる時間は短い 

 

私は焦り、急ぐ

 

人をこの目に映したら

「この思いはどこへ行ってしまうだろう」

 

明るくなるまえに

私の意思を自分の中だけに仕舞わなければ

 

心にくるんだ思いが

瞳孔に照らされたら

見えなくなってしまう

浴びた光に反射して溶けてしまう

 

私の目の届くところから

私の体のそばから

離れていってしまう

 

それを見失ったら

「私の意味」が

なくなってしまう

 

 

この世界に迎合するには

あまりにも残酷だ 

 

夜は、今日も

闇と沈黙の対角線を目指す

 

 

 

たゆまぬ動静に消息をあずける

私の足が向かうのは

私を否定する場所

 

私の目が黒目だけの形となる

家という名の線と枠

 

私の心が視力を失うのを感じた

 

盲目になるのは、いつか。

 

寝息の待つ家に帰ってきた

 

 

 執筆者  ゆりな

2018年2月、ひきポスと出会う。
「私はなぜこんなにも苦しいのか」
ひきこもり、苦しみと痛みに浸り続け、生きづらさから目を背けられなくなった。
自己と社会の閒-あわい-の中で、言葉を紡いでいけたらと思っています。