ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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人生の深い絶望に効く〈名作文学〉 ドストエフスキー、カフカ、太宰治ほか 「ひきこもり」の私からの手紙

 手に紙の束を持ち、表紙をめくり、並んだ文字に目をはしらせる——ただそれだけの、「読書」と呼ばれる単純なことの先に、人生を変えてしまうような衝撃と出会うことがあります。私のこれまでの人生は、一人きりで歳月を過ごす孤独なものでした。書物は時に気晴らしであり、時に退屈を与えるものでしたが、その中でわずかに、心を熱く高揚させるような出会いもありました。今回は古典文学の中から、私のめぐり会った何冊かの書物を紹介したいと思います。
これは、孤独だった私から、あなた宛てにしたためる短い手紙です。

 

 

 

ドストエフスキー 『地下室の手記』 (1864年)

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 世界的な文豪として、もっともよく知られた者の一人がドストエフスキーでしょう。この『地下室の手記』は、若くから活躍していた作家が、壮年期の42歳となって発表した作品で、後期の大作群——『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』など——へとつながる重要な作品だと言われています。

 

 ドストエフスキーの作品に顕著なのは、単純な言い方ですが、作品そのものがもつ面白さです。読みづらい作家と思われているかもしれませんが、ミステリー・サスペンス小説として読める『罪と罰』や、コメディといえる『ステパンチコヴォ村とその住人』など、自作を読ませることに対して、尋常でないサービス精神を持つ作家です。

 

 『地下室の手記』は文庫版で200ページ弱の長さなのですが、そのほとんどが独白でできており、人の日記を読むような秘密めいた魅力があります。40歳の無職の男が、時に激昂し、時にうろたえながら、世の中を憎み、憂う、自意識に満ちた手記をしたためます。

 

ぼくは病んだ人間だ……およそ人好きのしない男だ。

ああ、ぼくの何もしないのが、たんに怠惰のせいだけであったなら!

いったい人間を四十年間も、仕事をさせずに一人でほうっておいていいものかどうか?

 

 150年以上前のロシアで書かれた「手記」は、並々ならぬ熱量を持って現代の孤独な精神にまで届きます。孤独も、怒りも、人間であることへの憤懣や憂愁も、この「手記」に綴られています。この普遍的な精神に、古びているものはありません。

 

 

太宰治 『人間失格』 (1948年)

人間失格、グッド・バイ 他一篇 (岩波文庫)

 恥の多い生涯を送ってきました。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。

 

 これは太宰治自身の半生をそのまま重ね合わせた、唯一無二の小説です。太宰治は、本作を書き上げた一ヶ月後、38歳にして入水自殺。あまりにも伝説的な最後のせいで、作家の印象を強制的に暗鬱なものに変えられてしまいますが、本来は技巧力の高い、喜劇性のある短編を得意とした書き手です。実力をもった、未来のある書き手が、四十前にして自ら命を絶ち、その辞世の散文のように残していった一冊が本書です。

 

 この小説においては、人間が人間として生きていく、というその単純極まりないはずのもののすべてが異化され、根本的に疑われます。食べること、住むこと、親があること、愛されること。本来ならば人が安全を感じるようなものが、濁流のような危険となって押し寄せます。鋭敏な感性をもった幼児か、もしくは神経を病んでしまった者が狂気半ばで垣間見る心理の深淵のようなものを、この作品ははっきりと見定めてとらえています。

 

 

リルケ『マルテの手記』(1910年)

マルテの手記 (岩波文庫)

 

 『マルテの手記』は、20世紀を代表する偉大な詩人、リルケによって書かれた散文の作品です。デンマークから都会のパリへと移り、藝術で大成するという野心を持ちながらも、無名で、頼る者のない孤独な生活を送る青年の心理が描かれます。青年の感性は過敏を極め、巨大なネジがぎりぎりと回転しながら胸を痛ませているような、尋常でない痛覚が全編にわたりみなぎっています。

 

人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。

僕は汗で頭が重くなった。僕の体にはしびれるような苦痛が走った。僕の血の中に何か大きなものが交って、それが欠陥を押しひろげながら流れていくように思われだした。空気がもはやなくなってしまい、僕は僕の肺の吐き出したものを急いで吸い込んでいるような気がしてきた。

 

 マルテは都市を歩き、さまざまな人や物を見る観察者となりながら、自身の苦悩と向き合い、内省します。そのまなざしに宿る峻厳な知性は比類ない正確さをもっており、瞠目すべき文藝を生みだしています。私にはこの作品が、なにか奇跡的な精神によって書かれているように思われました。

 

 

夏目漱石 『それから』(1909年)

それから 門 (定本 漱石全集 第6巻)

 

 『それから』は、今からちょうど100年前に発表された長編小説です。ですがそのテーマは現代的で、言うなれば100年前の「ニート」の、個人主義の物語です。「高等遊民」という言葉で語られますが、主人公の代助は三十歳・無職。当時も働かない者へのバッシングは強いもので、友人たちからは生活ぶりをけなされてしまいます。

 

君は金に不自由しないからいけない。生活に困らないから、働く気にならないんだ。要するに坊ちゃんだから

君だって、もう大抵世の中へ出なくっちゃなるまい。その時それじゃ困るよ


 などと言われます。友人たちから言われるだけならまだしも、問題は父親からの批判です。代助の父は言います。

 

三十になって遊民として、のらくらしているのは、如何にも不体裁だな

三十になって、普通のものが結婚をしなければ、世間では何と思うか大抵わかるだろう

 

 やけに年齢を責められていますが、その後、働かない代助は家から追い出されそうになります。しかし自分が労働しているところが想像できず、具体的に動き出すことができません。夏目漱石といえば、日本文学を代表するような高名な人物ですが、描いているのはむしろ神経衰弱ぎみの、弱い男たちが多くあります。その弱さが実に魅力的な作品を生みだしていると思うのですが、男たちはへこたれているばかりではありません。代助は考え、周囲からの批判に抗弁します。

 

世の中へは昔から出ているさ。〔中略〕ただ君の出ている世の中とは種類が違うだけだ

 

 代助は、自分一人がどのように生きていくのかということを、生真面目に、周囲の言葉を受け止めつつ、誠意をもって考えます。夏目漱石は個人主義について考究していた作家ですが、それはこの代助に宿る、近代日本にとっての新しいテーマではなかったでしょうか。本作には「ニート」の主題とともに、日本の100年ごしの問題が書かれているように思います。

 

 

カフカ 『変身』(1916年)

変身・断食芸人 (岩波文庫)

 

ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した。

 

 この作品は、「自分ではどうにもならない変化によって、部屋の外に出ることができなくなる」ところから始まります。それはいわば、「ひきこもり」や「不登校」の当事者が、ある朝目を覚まして、自分の体が自分の操作できるものではなくなっているのを発見することの比喩として読めます。当人の精神状態がそのままでも、周囲はとり返しのつかないことが起きたと思って右往左往し、それまでの関係性はまるごと変わってしまいます。

 

 カフカは、見方によってはいくらでも難解になりえる作品を生みだした作家ですが、本質的なところには、ドイツ流の苦いユーモアを含んだ滑稽があるように思います。ある朗読会の時には、自作の朗読中に笑って噴き出したというエピソードもあります。この『変身』も、「グロテスクに腐っていく害獣の姿」を見れば陰鬱ですが、淡泊に想像するなら、「とんでもないことが起きたのに卑近なことばかり悩む人たち」のコメディになりえます。何を主眼とするかで色合いが様変わりするところに、カフカという作家を読むための、現代的な契機があるように思います。

 

 

イプセン 『人形の家』(1879年)

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ヘルメル おまえは何よりもまず、妻であり、母であるのだぞ。
 ノラ  わたしはいまはもうそうは思いません。わたしは信じます、——わたしは何よりもまず人間です、あなたと同じ人間です。

 

 『人形の家』はノルウェー出身の19世紀の作家、イプセンによって書かれた戯曲です。独立した精神をもった女性のノラが、夫と子供を捨てて家出を決意するという物語で、当時の保守的な世相にあっては、大スキャンダルを巻き起こしたといいます。現代でも有名人の浮気や離婚のニュースが世間を騒がせることがあるように、男女の別れは衆目を集めるツボのようなものなのでしょうか。

 

 見どころは終盤の、ノラとその夫との議論の場面で、ノラが強い克己心をもって、世間的なしがらみを打ち破るところです。上にあげた、「私は何よりもまず人間です」という言葉は、十代の私にとってかけがえのない励ましとなったものでした。個人的な読み方ですが、母親からの支配的な関係に苦しんでいた当時の私は、「人間」であるよりもまず「息子」であり「被養育者」でした。そのためあらゆる点で隷属的な姿勢になっていたのですが、「私は何よりもまず人間です」という、このような言葉から、自分を取り戻していく手立てをさぐりあてることになりました。ノラの言葉は、人と人との決別を迷う心に発破をかけ、私の精神にたくましさを与えるものでした。

 

 

ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』(1962年)

イワン・デニーソヴィチの一日 (岩波文庫 赤 635-1)

 

午前五時、いつものように、起床の鐘が鳴った。

 

 簡素な冒頭の文章から、難しい表現などなく、ごくあたりまえに読める言葉によって、ある一日が語られます。舞台はスターリン体制下のラーゲル(収容所)でのことで、イワン・デニーソヴィチという一人の男が、収容所の中で目を覚まし、また眠りにつくまでの十数時間をつづっているにすぎません。しかしその「一日」が、恐るべき文学的な魔力をもって読む者をとらえます。予断なく、緊迫し、一切の甘さなく過ぎていく歳月。厳冬の雪原で身を縮め、ひたすら時間という残酷さを耐えているかのような拷問的な歳月の中で、この「一日」はごくわずかな一切れでしかないのです。

 作品は、以下の言葉で簡潔に閉じられます。

 

シューホフは、すっかり満ちたりた気持で眠りに落ちた……こんな日が、彼の刑期から終りまでに、三千六百五十三日あった。閏年(うるうどし)のために、三日のおまけがついたのだ……。

 

 本書では、恐怖であるはずのものが恐怖にさえならない境遇が描かれているのです。そして私は、この「一日」に似たものを経験したことがあるように思います。それは、何年もの歳月を孤独に過ごした者の一日において、人を感知する感覚が鈍くなり、孤独を孤独と感じることさえできなくなっている境地です。本書は、本来的な意味での「日常」が消滅した、一切の自由が剥奪された状況が綴られています。それはある意味では、自らの死を思う絶望よりもさらに深い、本質的な絶望の地点であるのかもしれません。

 

 

 

 

   最後に

 これで、私のこの手紙は終わります。もし少しでも興趣のわくものが見つかるようなら、私にとって幸運なことです。もしも悪くない反応をくださるようなら、その時にはふたたびいくつかの書物を机に並べて、ごく短い言葉を書き綴りたいと思います。このような浅学な手紙に、お時間をとっていただいたことを感謝します。

 

   参照 
ドストエフスキー『地下室の手記』 江川卓訳 新潮社 1969年/リルケ『マルテの手記』大山定一訳 新潮社 1966年改版/太宰治 『人間失格』岩波文庫 1988年改版/夏目漱石 『それから』新潮社 1985年改版/カフカ『変身』高橋義孝訳 新潮社 1966年改版/イプセン『人形の家』竹山道雄訳 岩波書店 1959年改版/ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』木村浩訳 新潮社 2005年改版

 

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 執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の3年間は同世代との交流なく過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ブログ http://kikui-y.hatenablog.com/