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失敗力 「成功体験」より「失敗しても大丈夫な体験」がほしかった

新たな挑戦がしやすいのは、「絶対に成功しなければならない人」よりも、「失敗しても大丈夫な人」だ——。「ひきこもり支援」は、当事者が働けるように急かすけれど、それは正しいやり方なのか。当事者によるひきこもり支援論をお届けします。

 

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(文・写真 喜久井ヤシン)

 

ちょっとおかしな言い方になっているかもしれないけれど、どうしようもなく孤立していたときの私は、「失敗力(しっぱいりょく)」のようなものをなくしていた状態だった。

 

働くことができないでいた私は、就職活動を「成功」させるための、ひどく大きなプレッシャーに病んでいた。

親や支援者からの直接の言葉もあれば、世間由来のかたちのないものによる、脅迫じみた就労への圧力もある。

けれど私にとっては、履歴書の一枚や面接のための電話一つが全身をおののきさせるような恐怖で、とても新たなことに挑戦できるような心もちにはなれない。

社会的な価値が「ゼロ」としか思えない自分が、アルバイトの不採用などによってさらなる失敗をしてしまったら、その価値は「マイナス」になってしまう。

そうなれば、自分は生きていくことをあきらめるほかないと思えるような、あとのない精神状態にまで追いつめられていた。

親や支援者も、就労を「成功」させるためのアドバイス(のつもりで言われている脅迫の声)を、私にくり返し寄せていた。

けれど、おそらく働けない私に必要だったのは、「成功させねばならない」という緊迫感なんかではなく、「失敗しても大丈夫」だと思えるだけの余裕だったと思う。

 

人のあたりまえの心理として、広い道であれば、何も考えずにスタスタ歩いていくことができる。けれどそれが断崖絶壁で、足を踏み外せば命がないとなれば、慎重な足取りになるほかない。

もしくは適当なたとえで、目の前の地平が晴れた日の野原のようであったとしても、そこに大量の地雷が埋まった危険地帯であると思わされていたなら、そもそも歩きだすことができなくなる。

そのときに必要なのは、「こわがらずに挑戦しろ」という無茶なアドバイスではない。

歩きだして不運にみまわれたとしても、その失敗はたいしたことがなく、くり返し失敗しても大丈夫だ、と伝えてくれることだ。

就労支援によって、「面接での対応能力を鍛えねばならない」と講習をするよりも、「適当に面接へ行って、5、6回落ちてきてみたら?」というスタンスであったほうが、目の前の一歩ははるかに動き出すやすくなっていたことだろう。 


私は、「ひきこもり支援」をふくめて、就労支援をおこなうサポートステーションなどに通ったことがある。

それらの団体では、余白でしかない履歴書のうまい書き方や、面接を突破するためのことこまかなアドバイスをしてくれるもので、就労を「成功」にみちびくための講習があった。

けれど、「成功するためにどうするか」というアプローチを極めれば極めるほど、結局私の就労へのプレッシャーは高まり、緊張感は上がっていった。それが励みになる人というのがいればいいのだろうが、私の数十年の人生では、そのような期間はまったくなかった。

ある団体では、活動目的を語るパンフレットのなかに、参加者が「成功体験を積み、自己肯定感を高める」という、心理学的な喧伝がされてあった。

基本的には良心的なプログラムなのだろうけれど、私は昔からそのような宣伝文句にうさんくさいものを感じる。

「成功体験を積む」とか「自己肯定感を高める」とか、変化としては良いというほかないことであっても、そこに含まれているのは「成功」を重視するメッセージだ。

就労支援の活動目的からすれば、そのようなアプローチはやむをえないのかもしれない。

けれど私が欲しかったポイントは、「成功体験を積むこと」よりも、「失敗しても大丈夫な体験を積むこと」ではなかったかと思う。

自己肯定感とか自己効力感というのは、そのあとにゆるやかに湧きおきてくるものではないだろうか。

労働を始めて、一つのミスもなく、完璧な仕事をやりつづけられる人なんていない。同じことを何回も人に聞いて、ダメ出しをされて、何回も間違いをしながら労働を覚えていくことになる。

働いているときに大事になってくるのは、成功しつづけることよりも、失敗しても大丈夫でいられることのように思う。

「成功できる力」だけを支援するのではなくて、「失敗できる力」のようなものをたくわえておかないと、長期的な就労の生活も精神的な安定も、先細りになってついえかねない。

(これは貧困対策の活動をしている湯浅誠さんの、「ため」という考え方につうじるものがあるかと思う。)

 

私が、実際にあった「成功」のための支援の場よりもマシなものを想定するなら、それは「失敗ができる場所」だ。

間違いをしても人間性が否定されず、叱責や忠告がなく、自分を責めなくてもいい。

できそこないの自分を「良くしよう」とさえせずに、まるごと受け入れてくれるような、信頼できる人のいるところになら通ったのではないかと思う。

「成功せねばならない」という圧力を骨身に浴びるような「支援」ではなく、いくらでも失敗できるし、失敗したところでまったく深刻な問題ではないのだ、と伝えてくれる場が欲しかった。

 

もしも「〇〇力を鍛える」というありがちな言い回しのなかで、参加者の「失敗力を鍛える」という標語をかかげた支援団体があったなら、私はホームページのリンクをクリックする程度には興味が湧く。

それは具体的に何をどうやるのかと聞かれても困るけれど、少なくともおじぎの角度や正しい名刺の渡し方を講習するような(、実在するが、私にとってはなはだしく無意味だった)プログラムではなく、むしろただ居るだけでよい居場所を基本とするところだろうと思う。

私が何か活動をして失敗したとしても、その失敗が挑戦でできているがゆえに誉められるくらいの、逆説的なアプローチがあったとしたら。動きだせないでいた私にとっては、その方がよほど本質的な支援になるものだった。

 

 

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 執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の3年間は同世代との交流なく過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター 喜久井ヤシン (@ShinyaKikui) | Twitter 

 

 

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