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不登校の人に言うべき言葉を見つけた  「#8月31日の夜に」のための遅すぎる手紙

(文・写真 喜久井ヤシン)

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戸塚ヨットスクールから見た知多湾の風景

 


教育で子どもが死ぬ
というありえないことに、多くの人が慣れてしまっている。

ガッコウは苦痛を与えて、子供たち自らに命を絶たせている。

 

私自身、8歳のころからガッコウに通わなくなり、十代は常に苦しいものだった。
悲しみと憎しみに満ち、自分の命から退去することを何度も考えていた。

支援的なものがなかったわけではない。
ガッコウとのつながりが切れた私をサポートしようと、スクールカウンセラーや教育関係者は、寛大な態度を示してくれた。
慰めようとする言葉もあれば、励まそうとする言葉もあった。
けれど当時の自分を思い返してみると、本当にたくましさを与えてくれた言葉というものは、なかったのではないかと思う。

 

大人の言葉は時に叱責で、時に傲慢で、多くがまとはずれだった。
メッセージに誠意があろうとなかろうと、自分の苦しさにとって、言葉は無力だった。

 

夏休みが終わり、ガッコウが始まる日には、子供の自殺が倍増するという調査結果がある。それを受けてここ数年、NHKの『ハートネットTV』では、「#8月31日の夜に」という企画がおこなわれるようになった。ガッコウに行くことが苦しい子に向けて、多くの著名人がメッセージを送っている。

現在でもホームページなどで見られるが、
「生きていてほしい」
「どうか死なないで」
「逃げてもいいんだよ」……といった、それ自体では、良い言葉が並んでいる。自身の体験をもとにした、誠意のこめられた声もある。

私は『不登校新聞』というメディアとかかわっているので、何らかのメッセージを送れる立場にいた。けれど、私には応援の言葉に違和感があり、結局何も送ることができなかった。昔の自分に聞かせられるような言葉が、自分自身の内に見つからなかったためだ。「昔はフトウコウだったけど、今は元気にしています」なんて伝えたところで、慰めを与えられるとは思えなかった。

 

何を言えばよかったのか……月日は過ぎ去ってしまった。

しかし先日、戸塚ヨットスクール事件について調べる機会があり、言葉の糸口が少しだけ見つけられたように思う。
戸塚ヨットスクールは、80年代にフトウコウの人などに対して暴行をはたらいた団体で、数名の死者を出しているところだ。現在でも運営が続けられており、代表者はフトウコウやヒキコモリに否定的な主張をしている。
その資料を調べているうちに、例のメッセージに感じていた違和感の正体が、少しわかった気がした。

 

深く苦しんでいる子に対して、ある人は「死なないで」と言う。
しかし、まっさきに言うべきなのは、殺す側に「殺すな」と言うことだ。

これから命にかかわる事件が起こる、というときに言うべきなのは、被害者への「死ぬな」よりも、加害者への「殺すな」という声であるべきだと思う。

ガッコウは多くの人を死に追いやっている。
ガッコウに通わない人や、孤立しひきこもる人に対して、極端に否定的な態度をとる人たちがいる。
むりやり外に連れ出したり、ネット上の声も含めて、おそろしい言葉で脅すような人たちがいる。
それらの「殺す」側に対して、大勢の人が、強い言葉で「殺すな」というメッセージを発し、やめさせるようにしているなら。
もしそのような世の中だったなら、昔の私にも、生きていくためのたくましさを与えられただろうと思う。

 

そして私は、自分からフトウコウの人へ、一点だけ伝えられる言葉があったことに気がついた。
今さらになってしまったけれど、一つだけならメッセージを言える。

それは「ごめん」だ。

 

ごめん。

 

子どもであるあなたが、生きやすい社会にできなくてごめん。
「ガッコウへ行かないことは悪いことだ」と、思わされる世の中のままでごめん。
あなたを抑圧して、苦しみを与えつづける世界でごめん。

本当のあなたは大きく自由だったのに、ガッコウがあなたを小さくさせ、怯えさせてしまっている。
教室でのつまづきが、まるで人生の失敗であるかのように思わされてしまっている。
問題があるとわかっているのに、ガッコウのシステムは何十年も同じままで、自殺者を出しつづけている。

ごめん。

 

私は先に生まれてきて、この世の中を見ていた。
システムを良くするために、物事を変えていけるチャンスがあったのに、あなたが育っていく現在まで、手立てを打つことができなかった。
苦しんでいるあなたに対して、「生きろ」とか「逃げろ」とか、偉そうなことを思ってしまうくらいに、私は身勝手だった。

ごめん。

 

私はあなたに対して以上に、あなたを苦しめるものに対して訴えていきたいと思う。
一人になったあなたに向けてだけではなく、あなたを一人にさせてしまうものに向けて声を発したいと思う。
あなたをおびやかすものが、この世からなくなるようにしたいと思う。

あなたには
ごめん
と謝ることしかできない。
まだ私が望むに値する者でいられたなら、この社会が耐えられるものに変わっていくまで、あなたにはもう少しだけ、待ってみてほしいと願いたい。

ごめん。

 

私からは、この程度の言葉しか言うことができない。

 

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 執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
 1987年生まれ。詩人・フリーライター。8歳からホームスクーラー(「不登校」)となり、ほぼ学校へ通わずに育った。約10年の「ひきこもり」を経験。20代の頃は、シューレ大学(NPO)で評論家の芹沢俊介氏に師事した。現在『不登校新聞』の「子ども若者編集部」メンバー。共著に『今こそ語ろう、それぞれのひきこもり』、著書に『詩集 ぼくはまなざしで自分を研いだ』がある。
Twitter https://twitter.com/ShinyaKikui