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宅配便の受け取りが、世界を救うと信じてる

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(文・南 しらせ)

 

「南さん、お荷物でーす」

 

玄関先で響く声に、私の体が瞬間にしてこわばる。掌をぎゅっと握り、うめき声が漏れる。

 

「また来たか、世界の危機が・・・・・・」

 

避けられない宅配便の受け取り

ひきこもり世界に、緊急事態を告げるサイレンが鳴り響く。間違いない、宅配便の受け取りだ。途端に世界から色がなくなり、ほんの数秒がどうしようもなく長く感じられる。

 

一般の配達物は、配達員がポストに勝手に届けてくれるので、大きな問題はない。しかしこうした荷物の中には、手渡しでなければならず、受け取り時に受取人本人か、その家族のサインが必要なものがある。

 

これがやっかいなのは、もしも本人確認が出来ない場合、再配達票がポストに入れられ、再度手続きをしなければいけないことだ。仮に私が居留守を使って、今彼らとの接触を避けたとしても、それは一時のこと。このやり取りは再び繰り返される。悪夢である。

 

宅配員に父の姿を重ねる

なにより私がこの問題に頭を悩ませる理由が、父にある。父は運送会社に勤めており、毎日決まった地域の家々に荷物を配達する仕事をしている。毎日くたくたになって帰ってくる父の姿が、この仕事の過酷さを物語っている。

 

こうした事情もあって他の運送会社の社員も、なぜか他人事ではないように感じてしまうのである。運送業界で働く者をもつ家族ならではの、あるあるなのかもしれない。

 

私は仕事もしてないし、ネット通販なども基本しないため、私名義で届く荷物はほぼない。多くは家族が頼んだ通販物やクレジット関係、この時期だとお歳暮なども多いだろうか。

 

正直なところ、私の荷物ではないのに、なぜ毎回私が受け取らなければいけないのかという不満はある。しかし平日の日中、家族は仕事で不在だ。

 

ここで私が受け取らなければ家族はもちろんだが、運送会社や配達員の手間は間違えなく増える。玄関先でため息をつく配達員の姿が想像され、そこになぜだか父の表情が重なる。

 

「ああ、もう」

 

そうこぼして、重い体を引きずりながら、私は今日も玄関へ向かう。

 

ささいなことかもしれないけれど 

私は宅配物の受け取りを自らの使命とし、家族の不在時はなるべく自分で対応するようにしている。もちろん体調が悪く布団から起き上がれない日や、無精ひげが伸びまくって、こんな状態で顔を合わせたくないと思う日もある。

 

時にはどうしても対応したくなくてためらっている間に、不在票がポストに投函され、「ああ・・・・・・」と無性に落ち込む日がある。こういう日は本当にだめで、その後は何も手につかない。あと少し早く対応していればなどと、一日中罪悪感や後悔の念に苛まれ続ける。

 

こんな私が、今ひきこもっていて、宅配便の受け取りを自分でするか迷ったり、ためらっている人に伝えたいこと。それは「できるなら、なるべく出てほしい」ということだ。

 

宅配便の受け取りは、本当に大きなエネルギーを使う。しかしそのぶん配達員やその家族を幸せにする。オーバーな言い方をすれば、世界を救うと言っていいくらい、誇らしいものなんだ。

 

何気ない日々の出来事の裏で、この世界には静かに危機が訪れている。私が宅配便を受け取ったことでその危機は防がれ、世界の平和と安定が保たれる。そう思うと少しだけ、不安と恐怖のなかに勇気が湧いてきて、私の体を動かしてくれる。

 

こんなささいなことだが、私にもできることがある。それが確かに誰かのためになっている。宅配便を受け取って、玄関の戸を閉め終える。深呼吸しながら、心の中でガッツポーズをする。