(文・南 しらせ)
最近はSNSや買い物など、なにかとスマホが手放せない時代だ。「スマホは命」と言っても過言じゃない。私にとっても、スマホは命だ。みんなとはちょっと違う意味でだけど。
許されるためには、すべてを手放さなければならない
大学を進路未定で卒業し、無職・ひきこもりとして迎えた初めての春。
その頃の私といえば、身の回りのモノやサービスの徹底的な見直しに躍起になっていた。収入も、社会的立場もない身。これまでとは違ってなるべく節約したり、不必要なサービスは解約したりと、お金のことをしっかり考えねばならない。
当時は心理的にも余裕がなかった。家で見るテレビ、これまで何気なくしていた買い物。当たり前のことをする時に感じる後ろめたさ。こんなことをやっている場合じゃないのに、という考えが常につきまとう。ひきこもりの私には、もう何をすることも許されないんだ。
そんな私に不必要で、かつもったいないものの代表格が、スマートフォンだった。仕事で使うわけでもないし、家族とのやりとりには家の固定電話を使えばいい。プライベートで連絡をとる友人もいない。そのくせ高い通信費が財布に響く。
私はスマホの液晶画面を、意味もなく何度もなぞった。部屋に乾いた笑い声が響いた。
ひきこもりの私が、スマホを持つ意味
「働いてないのに俺を使うなんざ、いい御身分だな」
「早く働けよ、無理なら手放せ」
スマホからそんな声が聞こえてくる気がして、私は耳をふさいだ。うるさい、うるさい。
私は目を閉じて、もう一度自分に問いかける。今の私は誰とつながっていない。これからつながるわけでもない。そんな私にはこんな高価なモノを使う権利も資格もない。
でもたまにこれで音楽を聞いたり、ネットでつまらない記事を調べたり。そういう時間が私の苦しみを和らげてくれていた。そもそもただスマホが手の中にあること。それが私の大きな心の支えだった。
でもそんな理屈は通用しない。社会的な立場がない人間がいくら主張しても、説得力はまるでない。贅沢だと言われて、おしまいだ。
しょうがない、今はいったん手放すだけだ。また働いて、お金を貯めたらもう一度買い直せばいいだけこと。そう何度も自分に言い聞かせて、私はスマホを解約するため近所のショップに向かった。
いったんで済めばいいけどね。ふとこぼした私の言葉は、誰にも気づかれずにぽつんと部屋に残された。
右手に収まっている、私の心臓
ショップへの足取りは重かった。道中色々な思いが、頭の中に浮かんでは消える。
確かにここ最近の私は、身の回りのモノやサービスを徹底的に切り詰めてきた。でもその姿は、自殺を計画している人間が生前に自分に関する物を出来る限り処分して、事を進めようとする姿と、妙に重なって見えた。そんなつもりはまったくなかったのに。
右手に収まっている、赤黒く光ったMyスマホに目を落とす。私にはふとそれが、自分の心臓のように見えた。今この手でそれを潰したり、手放したりしたら、私は一体どうなるのだろう。右手の心臓から伝わる鼓動と熱と、少しの重みが、私に問いかける。
確かに今はこれを使う用事がない。誰とのつながりもない。それは事実だ。だけどそれを自ら手放すことは、私の未来の可能性を自分で放棄しているように思えてならなかった。それではまるで自殺と同じじゃないか。
私はスマホを手に握ったまま、来た道を引き返した。帰宅して家族と通信費の件を相談し、なんとかめどがついた。大丈夫、まだ私の心臓は動いてる。そしてこのスマホがあったから、私はひきポスと繋がった。
ひきこもりにも生活のなかで、最低限これ以上は譲れないという何かが、きっとある。私にとってそれはスマホだった。ひきこもりではなく、一人の人間として生きていくために手放してはいけないもの。手放したくないもの。
あなたにとって、それは何ですか?
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執筆者 南 しらせ
ひきこもり歴5年目の当事者。学生時代から人間関係に難しさを感じ、中学校ではいじめや不登校を経験。アニメ・声優オタク。好きなアニメは「宇宙よりも遠い場所」。